第3章 家族、そして夫婦 ②

 翌日、午後の個別リハビリのときだ。


「ご飯中にただ座っている。なんで子どもは、ただそれだけのことができないんですかね?」

 と、僕は目の前の利用者に子どもの愚痴を話していた。


 その利用者は山田さん。七十代半ばの女性だ。


 自転車で転んで右大腿骨頸部骨折をしており、手術にて骨接合術を行い、病院でのリハビリを行ってから当施設に通っている。家の中の生活をする分には歩けるのだが、もともと変形性膝関節症もあり、痛みが増強し、長距離の歩行は困難。家を出る機会が少なくなっている。


 施設に通っている利用者の皆さんは、知識の宝庫である。


 一番興味深い話は、やはり戦争の話である。

 実際に戦地に行かれた方もいれば、家で夫の帰りを待っていた方もいた。

 空襲に合われた方もいれば、長崎から疎開する道中でピカドンが落ちたと言っていた方もいた。

 それらの話は、テレビで聞くよりも、新聞で読むよりも、より身近に感じるせいか、興味深い。

 先日は、自身の戦争体験を、以前に書いて本にしたのが余っているからと、くださった方がいた。まだ目を通せてはいないのだが、ぜひ読みたいと思っている。


 二番目は、子育ての話だ。

 女性の方が長生きであり、また交流の場に出てくるのに抵抗が少ないこともあってか、利用者は女性の方が多い。そうなれば、話のネタに子育ての話題は欠かせない。それは、方法論としては、今の常識に当てはめて、良いこと良くないことというのはあろう。しかし、子育てをしていて常々感じるのは、子育てに正解はないということだ。だとするならば、利用者の語る、自身が行ってきた子育ての話というのは、どんな話であれ参考になる。


 山田さんは年齢的に若い。もちろん、施設利用者の中では、である。

 考えてみれば、自分の親の少し上くらいの年齢だ。

 加えて山田さんの話しやすい性格もあって、相手の話を聞きばかりではなく、いつの間にか自分の子育ての相談をするようになっていた。

 でも、どんな相談しても、山田さんの返答は、「私は働いていたから大した子育てはしていない。周りが育ててくれた」と締めくくることが多い。


 さて、今回の返答は?


「それだけのことに、いちいちぎゃあぎゃあ言わんでもいいじゃない?」

……まあ、確かに。


「僕も、『それだけのこと』って言ってますもんね」

 語る前から落ちていたか。


「でも、怒れちゃうんですよね。怒っちゃうんですよね。山田さんはそんなことなかったですか?」


「まあ、だいたい子どもたちが私の言うこと聞いてたからね。私は大してしつけはしてない」


「個人差、何ですかね? 何でうちの子は言うことが聞けないんだろう?」


「ふふふっ、楽しみだね」

 山田さんは本当に楽しそうに笑っていた。





 その夜、寝室で子どもたちが寝静まった後、奥さんに山田さんとの話の内容を話した。


「まあね。そうかも知れないけど」


「『言うは易し、行うは難し』だよね」


「だね」


「寝顔はホント、天使だけどね」

 僕は、寝ている虎徹の頭を撫でた。


「そうだね。ところで風邪ひいた?」


「ん? ああ、ちょっと喉がおかしいね」


「ひどくならないように、早く寝なよ? ゲームのやり過ぎに注意」


「そうだね。今日はこのまま寝ようかな」


 そうして今日はいつもより早い就寝となった。


 しかし、翌日。

 さらに声が出にくくなっていた。





 奥さんに心配されながらも、熱はないため、僕は出勤した。


 風邪の引き始めだからか、多少の体のだるさはあるが、声の出にくさ以外には症状はない。喉すら痛くない。


 三十を越えたあたりから、季節の変わり目にはよく風邪を引くようになったが、それにしても今回は声の出にくさに特化した症状だ。


 終業時間になった時には声はかすれきっていて、ほとんど聞き取れないような状態になってしまった。


「天龍源一郎みたいな声ですね」

 同僚にはそう言われてしまった。


 今日はさすがに、残業せずにすぐ帰った。しかし、やはり熱はなく、体のだるさは若干良くなっている気がしたため、医者には行かずに、様子見とした。


 家に着くと、僕は手洗いとうがいをし、マスクをつけた。


「虎徹、今日パパが声でないから、言われたことはちゃんと聞いて、さっさと動きなよ」

 奥さんにそう言われると虎徹がテケテケと僕のところにやってきた。


「大丈夫?」

 聞かれるも、僕は頷くことしか出来ない。


「声、出ない。でも、大丈夫」

 そうやって絞り出して、指でOKマークを示した後、虎徹の頭を撫でてやった。


「ご飯は食べれる?」

 との奥さんの問いに僕は頷いた。


そうして、いつもと少しだけ違う夜が幕を開けた。



 ……静かだ。



 僕がしゃべれないだけでこんなに静かか?


 虎徹も、自分でご飯を食べており、奥さんに怒られていない。


 いや、むしろ今までうるさかったのは、僕の叱る声だったのか?


 大した苦労もなくご飯が終わり、お風呂の時間がやってきた。


 虎徹は居間のソファーで座りながらテレビに夢中で、いつもなら「お風呂入るよー」「やだ!」のやり取りを何度も繰り返すのであるが、今日は声が出ないので、虎徹の近くによるとちょんちょんと肩を叩き、虎徹の注意をこちらに向かせてから、指でお風呂場を指し示してやった。


「そうだった!」

 虎徹はぴょこんと跳ねるようにしてソファーから降りると、洗面所まで向かっていった。


 僕は後を追いかけるようにして、そのまま二人でお風呂に入った。


 着替えも、歯磨きも、就寝も、終始こんな調子であった。


「僕、声、出ない方が、良いの?」


「よく分からないけど、そういうことになるのかなあ」

 奥さんも首を捻っていた。


 その翌日も似たような様子だった。


 僕の声が出ないだけではなく、体の調子が悪いというのも、もちろん影響していると思う。虎徹が気遣ってくれているということだ。しかし、それだけでもないような気がする。


 まず、声が出ないことで、呼びかけずに、相手の肩を叩いている。すると、注意がすぐにこちらに向くのだ。虎徹は、いつもテレビとか興味あることから視線をそらすことができない。注意をそらすことができない。声をかけても、聞こえてすらいないのではないかと思う。そんな状態では何を言っても無駄だとは理解していたつもりであるが、声よりも直接肩を叩くなどして注意を向けさせた方が効果的であると、今回は感じた。


 そして、その後も大きな声を出さずに要件を伝えた方が、しっかり伝わるような気がする。


 加えて、大声を出さないことで、自分も平常心でいることができる。


 『大声を出す』という行為で、自分のボルテージが上がってしまっていることに、気が付いた。大声を出さない方のが、心が冷静でいられるのだ。


 これは、大きな発見だった。


 結局、声は三日たっても治らず、医者に行った。

 薬の内服を始めると、その翌々日には声が出るようになっていた。

 週が明けて月曜日。


 今回のこの経験を、山田さんに報告した。


「大きな声を出しても、いいことないですね」


「そりゃそうだよ」


 山田さんは笑って――。


「楽しみだ」

 そう言った。


 子どもがスイミングをやっている様子を見て、僕は子どもが成長していているのを実感した。


 だから、親だって、親として成長しなければいけない。


「頑張ります」


 僕は山田さんに、そう返答した。


 その後も、基本的には大きな声を出さないようにしている。


 やはり、虎徹も、あのときは体調不良を気遣っていたのだろう。声が治ってからは、その時ほど素直ではない。しかし、大きな声を出さないことは、基本的には功を奏している印象を受ける。


 もちろん、大声を出してしまう日が全くないわけではない。


 だけど、僕も父親として少しずつ成長していきたいと強く感じた出来事だった。

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