後日談 主夫になって思うこと
主夫となり、三か月が経過した。
自らが望んだ主夫という立場を全うしようと奮闘している。
今までやっていた家事はもちろんだし、掃除洗濯食事準備等々、基本的には僕の仕事だ。朝食の準備は相変わらず奥さんだが、その分、全力で時間通りに子供が家を出る準備をしている。
他にも、家計簿をつけたり、料理レシピの覚え書きを作ったり、今まで中々手が付けられなかったこと、例えば子供の外履きをこまめに洗ったり、押し入れの整理などもしていた。
そうして、今、主夫という立場に思うこと、それは……
……これ、結構大変だ。
泣き言をいうわけでは無いが、想像していなかった辛さがあった。
時間的な余裕ができ、精神的な余裕もでき、子供たちを怒ることは確実に減ったし、家族に笑顔が増えた。これらは予想通りだ。
やるべき家事が増えたことそのものは、自分の中で心の準備が出来ていたため、それほど問題はない。
何が想像できなかったかと言えば、自分自身の精神的な辛さである。
いやいや、主夫が楽とは思わないが、自分自身のペースでやるのだから、気楽なのでは? と思う人もいるだろう。僕もどちらかと言えばそう思っていた。
でも、例えば自分自身のペースという観点で言うと、どこまで手を抜いたらサボりになるのだろうか?
仕事であれば他者の評価がある。あるいは結果として、売り上げだとか、作成した商品の数など、数字で現れたりする。
しかし、主夫の場合どうだろう?
基本一人でやっているし、結果は、まあ部屋がきれいになるとか、あるいは月の生活費を減らせれば目に見える結果かもしれないが、仕事ほどはっきりとはしない。
もちろん、自分が勤め人だったからこそ、そう感じるのだろう。今まで誰かと仕事をし、自分の頑張っている姿を近くで見てもらえていたし、仕事も人相手だったから、感謝の言葉、あるいは笑顔などの反応で、自分の仕事に対する評価を、鏡を見るかのように確認で聞いたが、主夫はそうはいかなかった。
それに、やろうと思えば仕事は山積みだ。
子供のおもちゃの片付けや、そろそろ子供用の部屋も準備しなければいけない。
大掃除も最近はろくに出来ていなかったから、窓ガラス、網戸、サッシも掃除しなければいけない。
庭の草も気になる。
そもそも家の床掃除は毎日? 布団干しは?
ご飯だってレパートリーを増やさなきゃいけない。
ああ、今自分は十分なだけの仕事をしているのだろうか?
十分な努力をしていると言えるのだろうか?
ちょっと休憩しようと思ったとき、それはサボりじゃないだろうか?
自分の行動に自信が持てないような感覚。これが結構大変なポイントである気がした。
よく、ひと昔、いや、ふた昔くらい前のドラマであった、帰ってきた夫に、奥さんが今日あったことを話して、「疲れてるんだから、後にしてもらえる?」と聞いてもらえないような状況。その時の奥さんの辛い気持ちが分かるような気がした。
今日、自分が何をして過ごしたのかを話して、その上で「頑張ったね」と労ってもらったり、「良くやったね」と評価されたいのだ。
そのようなシチュエーションでは、奥さんの話を聞かなきゃ駄目だよと、昔から思ってはいたが、その主婦たちの根底にある心理には、自分がなってみなければ気づかなかった。いや、皆がそういう心理からそう言っている確証はないが、ただ、主夫(主婦)は仕事に関する評価を得られにくく、充実感が得られにくいことは、理由の一つであるように感じられる。
じゃあ、自分はどうしているかというと……
「今日さ、虎徹と友達と遊ぶ約束してきたよ」
「ほんと!?」
僕の一言に、奥さんが夕ご飯を食べる手を止めて、嬉しそうな反応を見せた。
「学校で待ち合わせてて、自転車で行ってさ。そのまま友達の家まで行って遊んだみたいよ。な、虎徹」
「楽しかった」
「うん」
ご飯が終わって居間で休憩している虎徹は、親指を立てたジェスチャーを見せた。
「忍は何かしたの?」
「パパとね~、将棋したよ~」
虎徹の横で同じく転がっていた忍が体を起こすと、嬉しそうにそう答えた。
「駒の動かし方を覚えたかどうかってとこだけどね」
僕が補足する。
「そうかあ、それは良かったね~。パパがいてくれるから、いろいろできるね」
奥さんもそう言って笑顔を見せる。
奥さんの一言で、僕も笑顔になる。
何のために主夫になったのか。
子供たちのためなのは間違いない。
それを実感できること、そしてそれを奥さんと共有すること。そうしてようやく充実感が得られる。
自分が主夫であることが、家族の幸せに繋がっているのだ。
胸を張ろう。
いや、でもそれだけではない不安もある
やはり、働いていないこと、そのものに不安を覚えるのだろうか。
これは何だろう。
固定観念なのか、社会や教育によって築き上げられた常識なのか、はたまた日本人の性分なのか。
正直、戸惑うほどの不安感を覚える瞬間があるのだ。
これは気を付けないと、気を病む。
きっと、これにあまり反発しすぎてもいけないのかもしれない。
状況に流され、力まず、また状況が変わればその時に進むべき道を選ぶだけなのだから。
今は力を抜いて、流れていかなければ。
子供たちの笑顔のために、何よりも家族の笑顔のために。
いや、違う。違う。そうじゃない。
誰かのためというのは、どこかで精神を削ってしまう。
何故なら、大抵の場合、その誰かに対し、見返りを求めてしまうからだ。
あるいは、それを他者に認められたいという承認欲求が顔を出してしまうからだ。
自分が何をしたいのか、自分がどうありたいのか。
それを忘れてはいけない。
自分が、自分を認められるようになること。
それがないと、つぶれる。
だから、やっぱり僕は自分の中にある思いを、物語にして吐き出さなければ。
いまの状況を、自分自身にとっても代えがたい期間にしなければいけない。
自分を、犠牲にしてはいけない。
僕が楽しくいることも、家族の笑顔のためには必要なのだ。
この主夫という生き方も、始まったばかりなのだから、楽しんでいこう。
楽しく、楽に。
人生は、ようやく折り返し地点に差し掛かったばかりなのだから。
理系の夫、主夫になる。 マサムネ @masamune1982318
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