第1章 僕の日常 ③

「ただいま。みなちゃん、大丈夫?」


 僕は奥さんのことを『みなちゃん』と呼んでいた。名前はつじみなと

 ちなみに奥さんは僕のことを『あっくん』と呼ぶ。


「おかえり!」


 僕が部屋に入ると、虎徹がご飯を食べている手を止めて椅子から飛び降りると、僕の足にしがみついてきた。


「ごめんね、急がせて」


 奥さんは、忍にご飯を食べさせていた。


「いいよいいよ」


 リビングで憔悴しきっている奥さんの姿を想像していた僕は、むしろ今の奥さんの様子にほっとしていた。


「あっくんに連絡を入れてから、何とかご飯の用意はできたよ」


 忍は口をもごもごしながら、帰ってきた僕の顔をじっと見ていた。笑わないので、機嫌が悪いのはまだ続いているようだ。


「はい、お願いしていい?」

「あいよ」


 奥さんに匙を渡されたため、それを受け取り、忍にご飯を食べさせる。その間に奥さんが僕のご飯を用意してくれる。


「できたよ」


 僕の食事が食卓に並んだところで再度バトンタッチして、僕は自分のご飯を食べ始めた。

 すると虎徹が椅子の上に立ち、僕の膝の上に乗ろうとしてきた。


「そういう時は何て言うの?」

「お膝に入っていいですか?」

「よろしい」

「もう、虎徹はパパが帰ってくるとすぐ甘えるんだから」


 奥さんがため息をつく。


「まあまあ、いつもの事」


 虎徹は、いつも僕がいないと自分でご飯を食べるのだが、僕が帰ってくると膝に入ってきて、食べさせてと甘えてくるのだ。


 僕は虎徹を片膝にのせ、自分のご飯を食べながら、虎徹の口の中にもご飯を放り込んでいった。


 ご飯を食べ終わると、僕が忍を抱っこしてあやしながら、同時に虎徹の相手もする。

 テレビがついているので、基本的にはそれを見ているのだが、甘えモードになった虎徹は、忍よりも自分を抱っこしろと言わんばかりに、僕の膝に入ってくる。傍目には幸せな家族の図だろうが、仕事で疲れた体にはしんどいし、何かの拍子に忍が押しつぶされないように気も使っている。


 その間に奥さんは洗い物などの片付けをしていた。

 僕が子ども二人を見ることで、家事に専念できるのも、奥さんにとっては良い気分転換だ。


 だが、まだまだ育児は続く。次はお風呂にお湯をはって、二人とも入れなければいけない。

 僕がいるときは大体、奥さんが先に入って自分の体を洗い、準備ができたところで、僕が忍を連れて行く、忍を洗い終わったら、僕が忍を受け取って服を着せるところまでする。


 奥さんが髪を乾かし終わって、忍を見ることが出来る状況になったら、今度は僕と虎徹が二人で風呂に入る。その間に奥さんは、二階の寝室で忍に授乳をし、そのまま寝かしつける。離乳食は始めたものの、まだ寝るときの授乳は続いていた。


 僕がいつものように十九時三〇分まで残業していると、だいたい帰ってくるのは二〇時くらいになるのだが、その時は二人をお風呂に入れるところまで、奥さんが一人でやっている。


 僕は、一人で二人をお風呂に入れる自信がないので、本当に頭が下がる。


 風呂から上がり、虎徹の水分補給と着替えを行ったら、今度は歯磨きだ。

 でも虎徹は、眠たいくせに遊びたがる。特に僕が帰ってきているからパパと何かしたがるのだ。

 寝る時間は基本的に二一時三〇分と決めているので、その五分前まで付き合って遊んだあと、歯を磨いて、寝室に向かう。


 これも四苦八苦したところだ。前は先に歯を磨こうとしていたのだが、どうしても遊ぶといってきかなかった。もうあきらめて短い時間でも、時間を決めて遊んでからにすると、素直に言うことを聞いてくれた。時間は最初、二一時としていたのだが、それでは短すぎたようで三〇分延長すると納得したのか言うことを聞くようになった。


 こうして寝室に向かうと、だいたい奥さんは寝付いた忍の横で寝てしまっている。

 子どもを寝かしつけると、親も眠くなる。子どもより先に寝てしまうことだってある。

 でも虎徹がベッドに乗ると、奥さんも目を覚まして、


「おいで」


 と虎徹を抱きしめた。


「いつもごめんね、忍ばっかりになっちゃって」

「うん」


 虎徹は奥さんに抱きしめられながら、少し甘えた声でうなずく。


「虎徹のことも大好きだよ」


 奥さんはそう言って、虎徹の頭を撫でている。

 僕もベッドで横になると、一緒に虎徹の頭を撫でた。

 そうして寝かしつけていると、一〇分くらいで虎徹も夢の中へ。

 こうして、ようやく育児にきりがついた。


「寝たよ」


 僕は奥さんに声をかけるが、反応がない。

 奥さんも眠っていた。

 でも、僕は奥さんに念のため声をかける。


「起きなくてもいい? 歯は磨いた?」


「歯は磨いたよ。起きたいけど……今日は駄目だ。眠い」


「分かった。お休み」

 そう言って、僕は一階に降りた。


 時刻は二一時五〇分。


 ようやく、自分の自由時間がやってきた。

 僕は携帯ゲーム機を棚から取り出し、趣味のゲームを始めた。

 本当は、奥さんも起きて自分のしたいこと――最近は編み物――をしたいはずだが、今日の様子では眠気に勝てなかったようだ。

 僕も眠いが、ゲームやりたさに起きている。


 今の僕の唯一の趣味だ。

 子どもができてから、自由に遊ぶことができない。どうしても、自分の趣味に使える時間が限られてしまう。ゲームも昔は据え置き機のゲームをしていたが、今は大半が携帯ゲーム機で遊んでいることが多い。


 僕はインドア派で、ゲームやら本を読むことが趣味だ。ただ、自由時間は子どもが寝静まったあとしかない。まだ虎徹も四歳だから、子どもたちの前でゲームもしたくない。

 いまから一~二時間ほどゲームをしてから僕は寝るのだが・・・・・・

 零時少し前にきりをつけて寝室に上がり、ベッドに入ってしばらくすると、


「――ぅぇええええぇぇん」


 忍の夜泣きが始まった。


 奥さんがのそりと起きて、よしよし、と寝かしつける。

 この時、僕がやってあげられると良いのだが、残念ながら逆効果で、『お前じゃねー!』と言わんばかりに大泣きしてしまうのだ。


 あと一回か二回、二時か四時くらいに夜泣きがある。


 奥さんがあやしてもなかなか泣き止まない時がある。その時は思い切って僕が抱っこする。もちろんぎゃんぎゃんに泣くのだが、それから忍を奥さんに戻すと、静かになることが多いのだ。それに僕が抱っこしている間に、奥さんも少し、忍に対するイライラが落ち着いてくるのもメリットだ。


「・・・――スゥー、スゥー」


 忍の寝息が聞こえてきた。とりあえず今回は奥さんだけで何とかなった。

 奥さんも忍を抱えながら寝ている。

 僕も、また起こされることを覚悟しつつ、眠りについた。


 こうして辻家の一日が終わった。


 はてさてこの一日は、他者の眼にはどのように映るのだろうか?

 幸せそうな一家の一日なのか?

 育児と仕事に追われる過酷な一日なのか?


 分からない。

 

 僕はよくやっている父親なのか、はたまた、まだまだイクメンには程遠いのだろうか。


 分からない。


 他の人がどのような育児をやっているのか、よく分からないのだ。


 職場の人から、旦那さんがどれだけ育児に参加しているか、多少話を聞くことはあるが、それでも実際に見ているわけではないから分からない。


 僕は、ただただ、一日一日を一生懸命生きている。


 一日があっという間に終わり、気が付けば一週間が過ぎ、似たような月曜日が始まる。そんなこんなで一か月が過ぎていく。


 子どもの成長に、瞬間、心癒されながら、日々が過ぎていくのだ。


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