1-06

「なあ、アインは薬師になるのか?」

 ギルドから家へと帰る道の途中で、ふいにナターシャが尋ねた。アインは前を歩きながら、得意げな顔で頷いた。

「そうだ。母さんやじーちゃんみたいに立派な薬師になって、いつかは宮廷薬師になるんだ。それがオレの夢だ」

「だがアグレイはアインを薬師にはしたくないと言っていたぞ。アインを、ミラの二の舞にはさせないと」

 ぴたり、とアインが足を止める。ナターシャもそれに合わせて足を止めた。爽やかな風がふたりの間を通り抜け、アインの浅葱あさぎ色の髪をさらさらと弄ぶ。

 アインは俯き下唇を噛むが、斜め後ろに立つナターシャからはその表情は見えない。

「……じーちゃんはいつも、母さんの事ばかりだ」

 ぽとり、とアインの口から小さな声が零れる。ナターシャがそっと後ろから顔を覗き込もうとすると、アインはぱっと顔を上げて、にっと口角を上げて笑って見せた。

「でも大丈夫だ。じーちゃんのお使いでお金は頑張って貯めてるし、十五歳になれば薬師協会付属の学校の試験を受けられる。じーちゃんがどれだけ反対したとしても、オレは絶対に薬師になるんだ」

「……だが、その試験とやらは薬の知識が必要なんだろう?アインはアグレイから薬のことについて教わっていないじゃないか」

 アインがくるりと振り返る。その顔には意地悪いような、何かを企んでいるかのような黒い笑みが張り付いていた。

「問題ねー。じーちゃんに教えて貰えなくても、オレは試験に受かってみせる」

 あまりに自信ありげに言うので、ナターシャは首を傾げる。アインはすっと腕をのばし、何かを指した。細長い指がす方向には森がある。暖かい日差しを喜ぶように緑の木々を風に揺らす、ナターシャが倒れていたところをアインが助けてくれたあの森。

「アンタが目を覚ましたあの小屋、あそこでオレは独学で勉強してる。じーちゃんには内緒の秘密基地だ」


 薄暗い森の中を軽々と歩いていくアインの後を、ナターシャが腰の高さまで伸びた雑草に足を取られながらも着いていく。どこまでも深く、このまま進んでいって本当に帰って来れるのか心配になるくらい深く、進んでいく。

「なあアイン、本当に大丈夫なのか?もう自分は帰り道がわからないぞ」

「心配すんなって。オレは何度もこの山に登ってるから迷子にはなんねーよ」

 不安げに顔を曇らせるナターシャとは対照的に、アインの足取りは踊るように軽い。ナターシャはアインの背中を見つめ、ちらちらと来た道を何度か振り返りながら、やがて諦めておとなしくアインの後を着いていった。

 突然木々が途切れ、開けた場所に出る。ずっと木の葉によって隠されていた青空が、眩しいほどに輝きながら姿を見せた。爽やかな空の下、そこにあるのは黒く静かな死の村だ。

 倒壊した民家に、崩れ落ちた屋根。焼け焦げた瓦礫は、人の顔のようにも見える不気味な模様で埋め尽くされている。

 人の声も動物の声も聞こえない、ただ隙間風が唸る音だけが響く虚無の村────。

「アイン、前も街へ降りる際に通ったが、ここは一体なんだ?」

 一瞬の沈黙が流れる。

 アインは前を歩きながら、低い声で答える。

「……ここはヤタエ村といって、かつてオレとじーちゃんが暮らしてた村だ。七年前、大火事があった時に全部燃えちまって、今は誰も近寄らねーけどな」

「ここに住んでた人はどこに行ったんだ?」

「みんなフィオールに移り住んだよ。ギルドも近くて便利だって、喜んでる奴がほとんどだった」

 灰の積もる村はどこまでも続き、死に絶えた風車の骨組みが、朽ちた翼を広げるように天を突き刺している。元は立派な風車であったであろうそれを横目に、アインはすたすたと前を歩いていく。

 しばらくして死の村の出口が見え、そこを境に再び木々が陽の光を遮っている。

しっとりと湿った土を踏み固め、立派に生えすぎている雑草を押し倒しながら進んでいくと、こじんまりとした石造りの小屋が現れる。アインにとっては昨日も、いや、その前も訪れた秘密の場所で、ナターシャにとっては記憶のスタート地点となる場所だ。

「ここがオレの秘密基地だ!」

 アインはようやく立ち止まると自慢げに胸を張る。ナターシャは興味津々な様子で小屋の周りをぐるぐると回ると、入口の扉近くにある小さな畑を見つけてしゃがみこむ。等間隔に顔を出す瑞々しい新芽を指でつつきながら、

「これは、なんだ?」

「それはツボイチゴ。ツボ茶の原料となる薬草だ」

 ナターシャは、ああ、と苦い顔になる。昨夜のツボ茶の味を思い出し、口の中に痺れるような苦味が広がるのを感じながら、それを忘れようとぶんぶんと首を振る。隣の別の形の芽をつつく。

「これは?」

「それはゲッカゾシ。月の光でのみ成長する多肉植物だ。美容成分がたっぷり入っていて、炎症の鎮静剤にもなったりする」

「これは?」

「そっちはボウレイハナっていって、毒草の一種だ。摂取量によっては幻覚を見たまま一生目覚めなくなる」

 ナターシャは驚いて手を引っこめる。

「毒!?」

「ここにあるものは全部毒草だぞ。その中でも薬として有用性のある毒成分を持つ草花が薬草と呼ばれるだけであって……」

 ナターシャは、隣に座り込んであれこれと説明をするアインの顔を見る。ペリドットの瞳はキラキラと輝き、少女とも見紛みまがう可愛らしい顔は嬉しそうに赤く火照っている。浅葱色の髪の毛を揺らしながら、あっちは何という植物で、こっちはどういう効果がある植物で、と説明している。

「ずいぶん、詳しいんだな」

 ナターシャはふいに呟いた。アインは立ち上がると石小屋の扉に手をかける。建付けが悪いのか、扉はギィィ、と音を立てて開かれる。ナターシャはアインに手招きされるまま、石小屋の中に入っていった。

 木製の低いテーブルに積まれたガラスの器に、歪んで今にも倒れそうな手作りの干場。棚の上の段には白い粉や乾燥した草が入った小瓶がお店のように並べられ、下の段には古い本が窮屈そうに、しかし静かに並んでいる。子供ひとり入ってしまいそうなほど大きな鍋や、何も入っていないように見えるほど透き通った水が張られたガラスの壺などが、少し目を開けてため息をつき、また閉じたかのように、我が物顔で部屋の隅に鎮座していた。ツンと鼻の奥を突く薬品の香りと、甘い花の蜜の香り。

 昨日と同じ、冷たい石の中に秘められた、妙に温もりを感じる不思議な空間がそこにあった。小さな魔女がつい先程まで怪しい薬を調合していたかのようだ。

 アインは棚から本を何冊か抜き取り、開いてテーブルの上に並べる。それをふたりで頭頂部をくっつけるようにして覗き込む。

 それは全て手書きでつづられた資料のようだった。どれも古ぼけてはいるが、筆跡はどの本も同じようで、走り書きされた文字からは生真面目だがどこか先走るような、書いた人物の性格が伺える。所々絵も描かれており、植物や鉱石、何かの動物の内蔵など秩序がない。

「これはオレの母さんの手記だ。宮廷薬師だった頃の研究や、薬草や毒となるものに関しての情報が書かれてる」

「この全てにか!?なるほど、アインはこれを見て勉強していたんだな……」

 ナターシャは改めて視線を本に落とす。合計で二十冊にはなる本の山は、どれもが本と呼ぶには不格好で、紙束を麻紐でくくられただけの簡易なものだった。

 ナターシャが字を読めないことを伝えると、アインは丁寧に本の内容を教えてやる。人体に害を成す毒成分を含む草花や、それらを利用した薬の作り方。比較的症状の軽い病気から、わずか数日で死に至る恐ろしい感染症の名前。

 ナターシャにとってはその全てが未知で不思議なものばかりで、机の上に積まれたただの紙束から錬金術の如く膨大な知識がぽんぽんと生まれ出るようだった。


 アインとナターシャが夢中になって手記を読んでいると、あっという間に辺りは夕方になり、森の中は眠る準備をするべく次第に景色を黒く染め始めていた。

「そろそろ帰らねーと、じーちゃんが心配しちまう。早く帰ろう!」

 アインが慌てて本を棚に戻す。ナターシャもそれを手伝いながら、ふと疑問を口にした。

「なあアイン、なぜこんな秘密を、会って間もない自分に教えてくれたんだ?」

 アインはうーんと唸り、考え込んで斜め上を睨むが、しばらくして首を横に振った。

「……さあ、何でだろうな。よくわかんねーけど、アンタには教えてもいい気がしたんだ」

「ふぅん……?」

 アインに急かされ、ナターシャも忙しく手を動かす。来た時のように本を全て棚に収め、テーブルの上にはガラスの器を、今まさに使っていたかのように並べる。そうしてふたりは外に出た。

 辺りは既に暗闇に染まり、木々の隙間から控えめに覗く空は燃えるような赤色に輝いていた。どこかでカサカサと音を立てるのは虫か、動物か。陰からじっとこちらの様子を観察しては、人間の子供に捕まらぬよう、いつでも逃げられるように身動みじろぎをしているのだ。

 アインは、もはや真っ暗で方角などわからない森の中を、迷いない足取りで進んでいく。ナターシャもその後に続く。

 行きで通ったヤタエ村は、赤い空の中で黒いシルエットだけを浮かび上がらせ、重なり合った瓦礫の影が死人の手のように空へ伸びていた。

「あの秘密基地のことはじーちゃんには内緒だからな。じーちゃんはオレが薬師になるのを嫌がってるから、もしあの場所に行ってることが知られたら、きっと資料も全部燃やされちまう……」

 アインはすぐ後ろを歩くナターシャにそう呟く。悲しげに掠れた声は夕闇の中に溶けていき、いつもしっかりしているアインが年相応の子供のように感じた。

 ナターシャはアインが泣いているのかと思い、顔を覗き込むが、聡明な顔は夕焼けの赤に照らされているだけでしっかり前を見ていた。

 森を抜け、家に着く頃にはとっぷりと陽が沈み、心配したアグレイが杖をつきながら家の前でふたりを待っていた。その後ふたりは、帰るのが遅いとアグレイに夜通し怒られることになった。

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