1-03
アインは道無き道とも言える、
やがて木々の開けた場所に出ると、アインは走る速度を
湿った土の道無き道は、汚れた小石が散りばめられた小道へと変わる。明らかに人の手で整備されたであろう道は長く細く続いており、枝分かれした道の先には民家が建ち並んでいた。
壁は真っ黒に焼け焦げ、不気味な模様が浮かび上がっている。同じく焼けた屋根は崩れ落ち、跡形もないほどに粉々だ。野生動物の一匹もいない、死の村がそこに佇んでいた。
アインはゆっくり歩きながら静かな村を通り過ぎる。拳をぎゅっと握り、黒い石畳を踏みしめる。怒りに鋭く尖っていた眼は、今は冷静さを取り戻し、気持ちを理解してもらえないことに対する悲しみの色を浮かべていた。
「なんだよ……少しはオレの話を聞いてくれてもいいじゃんか。いつも頭ごなしに否定してさ」
アインはぶつぶつと独り言を呟きながら歩く。
荒廃した村に
「……あれ?」
アインはふと足を止める。目の端に何かが見えた気がしたのだ。鮮やかな、桃色の何か。
「……こんなところに桃色の花なんて咲いてたっけ?それにしても、野生で桃色の花なんて珍しいな……」
アインはきょろきょろと辺りを見渡す。それが見えた気がする方向へ歩き、探していると……倒壊した風車のある広場にそれは倒れていた。
アインは息を飲んだ。それは花などではなく、アインよりも少し幼い少女だった。鮮やかな朝焼けのような色は彼女の髪の毛で、薄いシルクのように辺りに広がっている。どこもかしこも黒く焦げ付いた村の中心で、少女だけに色がついているように見えた。服装は白いワンピースのみで、靴などは履いていない。ノースリーブの袖から細い腕が伸び、地面に投げ出されている。
アインはその光景に言葉を失い、しかし少女に意識がない様子を確認すると、慌てて少女を担ぎあげた。だらりと脱力する少女の重さによろめきながらも、なんとか歩いていく。
アインは迷いなく足を進める。
死んだように静かな村を後にし、背の高い草の中を進んでいると、石造りの小さな小屋が現れた。
無骨で所々に苔がひしめく小屋は不格好で、素人の手によって造られたものだと予想できる。木の葉の隙間から零れる陽の光に、苔が反射して鮮やかな緑色に輝いた。小屋の周りには手入れされた柔らかい土が敷き詰められ、等間隔で様々な植物が花を豊かに咲かせている。ごつごつと飛び出た石壁を、小動物が軽快にかけ登っては屋根の上で巣作りをしていた。冷たい石で出来ているのに、どこか温もりを感じる小屋だ。
アインは小屋の扉を足で蹴るようにして開けると、少女を床の上に横たわらせる。薄暗い部屋の中でも桃色の髪は実に鮮やかだった。アインは落ち着いて少女を観察した。
地面と接地していた部分の汚れはあるが、それ以外の汚れはない。靴は履いておらず裸足なのだが、その足の裏も汚れひとつなく綺麗で、まるで歩いたことなど無いかのようだ。よく考えれば服装もワンピース一枚と薄着で、土地勘のある人間でもない限り、山を登るには心
不思議な少女を前に、アインは絶句した。体の汚れを落としてやると、少女が本来持つ柔肌が現れる。傷などはついておらず、本当にただ汚れているだけらしかった。
「う……」
少女が呻き声をあげる。ぴくり、と指先が僅かに動く。意識の覚醒が近いようだ。
「だ……れ………」
少女は夢に
アインが耳をすまして聞いていると、それはだんだんと言葉になっていく。
「あなたは……誰…………?」
アインはため息をついた。謎の少女は誰、誰、と繰り返し呟くと、ゆっくりと瞳を開いた。髪と同様に鮮やかな桃色をした瞳。僅かに逡巡したように揺れ動いた後、それはそばに座る浅葱色の少年を映すと止まった。
「……誰って、命の恩人様だけど」
アインは努めて冷静に振る舞う。だがその胸には、未知のものと出逢ってしまったかのような恐ろしさと好奇心に高鳴っていた。
「アンタこそ誰?一体何者?」
少女はアインの言葉に目を見開き、それからしばらく考えたあと目を伏せた。
「……わから、ない」
「え?」
「……お前は誰だ?ここはどこだ?今は何年だ?何があった?何をしていた?自分は───自分は、何者だ?」
少女は石の天井を見つめ、口だけをぱくぱくと動かす。その様子は静かだがどこか狂った人形のように感じた。ビー玉のような瞳が、きょろりと一周する。
うわ言を呟いていた時のような弱々しさはなく、今はまるで壊れかけの操り人形のような無機質さを放っている。アインは少女の異様さに身震いをひとつし、だが少女の質問にひとつひとつ丁寧に答えてやった。
「お前じゃなくて、オレはアイン。ここはオレの秘密基地だよ。元々は母さんのラボだけど……。アンタは廃村の跡地で倒れてたんだ。どこから来たのか知らないけど、山で迷子になって力尽きたんじゃないのか?もしくは瞬間移動か、突然あの場所にぽいっと捨てられたか……そうでも無い限り、あんな場所で倒れてる説明がつかない。この山は誰も来ないから、オレが通りかからなきゃずっと
少女は黙ってアインの話を聞いている。天井の一点を見つめながら、時々「そうか」と相槌を打つ。
少女はむくりと上半身を起き上がらせる。アインが驚いて飛び退くと、少女は不気味なほどゆっくりとした動きで首を90度捻り、アインの方を向いた。それからワンピースのノースリーブから伸びる細い腕をアインの方へと伸ばす。
アインは自分の方へ伸ばされた手と少女の顔を交互に見つめる。やがて少女は薄い唇を開くと……
「―――助けてくれてありがとう。アイン」
それが握手を求める手だとようやく気づいた。アインは恐る恐る手を伸ばすと、やがて意を決して、少女の血の気のない手を握った。
その手は柔らかく、温かかった。自分よりも一回り小さい、普通の少女の手。僅かに脈を打つ、生きた人間の手だった。アインはほっと息をつく。それから、恐る恐る少女に尋ねた。
「……ところで、一応聞くけど帰る場所とかも……?」
「ああ、全くわからない」
少女はきっぱりと、自信満々に言い切る。アインは「だよね……」と呟きながらがっくりと肩を落とした。
少女は小屋の中をぐるぐると見回し、目をキラキラと輝かせる。背の低いテーブルに積まれたガラスの器や、手作りらしく歪んだ干場を見てはちょいちょいと指先で突っついている。棚のに並べられた本や白い粉末が入った小瓶を不思議そうに見つめ、ひとつひとつ手に取っては
アインは少女の様子を眺めていたが、やがて仕方ない、とため息をついた。
「何だか怪しいけど、うちに連れていくしかないかぁ……」
少女はアインの方を向いて首を傾げる。肩に乗った桃髪がさらりと滑り落ちた。
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