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「ミラ・ウィルグ?」


 爽やかな風が吹く午後。

 城下町には暖かな光が降り注ぎ、上質な衣服を身に纏った紳士や婦人が行き過ぎる。

 広間の中央に鎮座する、巨大なガラスの噴水からは水でできた大輪の花束を咲かせ、キラキラと空中を彩った。

 噴水が水を噴射するタイミングに合わせ、マジシャンが大きくマントを翻す。するとバタバタバタ!と無数の白い鳥がマントの中から一斉に飛び出してきた。

 観客は大きな歓声を上げ、拍手をしたり、笑ったり、小銭をマジシャンに向かって投げたりしている。

 大成功を期したマジシャンは不敵な笑みでうやうやしくお辞儀をし、マントに隠した顔でそっと緊張の解けたため息を着いた。

 首都、ウィル・オ・ウィスプ。

 王宮を中心に正円を描くようにして造られた街並みは、我らが王家の悠久なる栄華を表しているとか、いないとか。

 そんな風景を一望できる小高い丘の上にある建物の外廊下を、ひとりの男性がキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いている。

 歳は五十代半ばといった具合の、壮年の男性だ。清潔感の漂う純白の服は、眩しいくらいシミひとつない。縁の細い丸眼鏡をかけた薄茶色の両の瞳は少し疲れている。若い頃は艶やかな黒色であったであろう髪の毛は、少し白髪が増えてきたようだ。

「ミラ!」

 男性───ディビアンは探し人の名を呼ぶ。

 そよそよと気持ちの良い風が吹き、どこかで小鳥が鳴いた。と、廊下の向こう側の扉が開く。

「ムウラ薬師」

 扉から出てきた青年は、ディビアンに気がつくとぺこりと頭を下げる。同じ純白の制服に身を包んでいる。

 ディビアンは扉から出てきたのが探していた人物ではないことに肩を落とし、それから気を取り直して青年に尋ねた。

「君、ミラ・ウィルグを見ていないかね」

「ウィルグ薬師ですか……?」

 青年は動揺したように目を泳がせると、えーとえーとと考え始めた。

 ディビアンはその様子を見て、彼は何か知っていると確信を持って畳み掛ける。

「博士が彼女を待っている。早く見つけて連れていかないと、怒りの毒薬瓶がわたしの脳天をかち割りかねん。君、何か知っているね」

 青年はさらに激しく目を泳がせ、やがて観念して扉の向こうを指さした。

「薬草畑の倉庫裏に……ただ、今は取り込み中かと」

「なに?」

「あのぅ、その……アトキンスジュニア薬師とお話をされていて……実は誰も近づけないようにと言いつけられてまして……」

「ああ……」

 ディビアンは渋い顔で頷く。そして目の前の青年を気の毒に思った。

 まだ若い、薬師になったばかりの見習い薬師だ。片手で数えられるほどしかいない宮廷薬師で、しかも薬師協会の現最高責任者であるアトキンス薬師長のひとり息子、ジェスター・アトキンスに脅されては、彼にとって従う以外の選択肢は無い。

「ジェスターにこの事を知られたら、君も肩身が狭い思いをするだろう。わたしはたまたま通りかかった事にしよう。さあ、行きたまえ。教えてくれてありがとう」

 暗く怯えた顔をしていた青年の顔がぱあっと明るくなる。

 可哀想な青年を見送り、ディビアンは教えられた場所へと向かった。

 外廊下を抜けた先の建物の裏側には、一般人は立ち入り禁止の巨大な温室がある。一面ごとに色の違うガラスの壁は、ここで育てている数百種類以上の薬草の個性に合わせたもので、決して外観の美しさから設計されたものではないのだが、数ある名所の中でもここは指折りで美しいとディビアンは思う。

 さて、探し人はここら辺に居るはずだが……と辺りをキョロキョロ見渡すと、温室の入口付近にある倉庫の方から声がした。

 そっと近づいて倉庫の裏を覗くと、ひと組の若い男女が何やら言い争いをしているようだった。

「お前、俺にそんな口をきいて良いと思ってるのか?協会での立場を失くすぞ!」

「やりたきゃやってみな。何度言われてもアタシは旦那を手放す気は無いし、アンタの伴侶になるつもりもない」

 男性が壁に女性を追いやり、覆い被るように両手を壁について逃げられないようにしている。しかし体格的にも不利な状況であるにもかかわらず、女性に怯む様子はなく堂々と目の前の男を睨んでいる。

 その女性が探し人であるミラ・ウィルグである事に、ディビアンは気がついた。浅葱色の長い髪の毛を惜しげも無く垂らし、猫のようなペリドットの瞳は真っ直ぐ男性を睨んでいる。

 そしてミラに覆い被さるようにしながら悔しげに顔を歪ませる男性が、アトキンスジュニア……ジェスター・アトキンスだ。

 ミラがはっと軽蔑した笑いを吐き捨てる。

「第一、自分の親の威光をかざさないと女ひとりまともに誘えないのか?アンタは空っぽだね。そんな奴に惹かれる女なんて居やしねーよ」

 凛と響き渡る男勝りな口調で、ミラはジェスターを嘲笑った。

 ジェスターはプライドを傷つけられてわなわなと怒りに震えるも、言い返すことが出来ずにただ睨むことしか出来ない。ちょっと涙目になっているようだ。

 そんなジェスターにミラは追い打ちをかける。

「アンタが宮廷薬師になれたのも、薬師長の推薦があったからだ。そうでなくちゃ、何も成し得ていないアンタが昇進できるなんてちゃんちゃらおかしいね。それに、聞いたよ。新人薬師に権力で圧をかけて、こき使っているそうじゃないか。パパやベテラン薬師にはびびって逆らえないくせに、自分より立場が弱いと見定めるや否や、態度をがらっと変えて威張ってくるなんて、素晴らしい性根の持ち主だね……!」

 ジェスターの顔がみるみるうちに真っ赤になり、歯をぎりぎりと食いしばる。

 これはまずい、とディビアンはふたりの方へと近寄った。

「お前……!俺を舐め腐るのも大概にしろよ!」

 ジェスターがミラの手首を掴み、強引に捻りあげた。ミラは痛みに一瞬だけ顔をしかめ、しかし強く相手を睨み上げた。

 ジェスターが反対の手を振りかざしたところで、ディビアンはふたりの間に割って入る。ジェスターはびくっと震え、それから慌ててミラの手を離した。

 ディビアンはミラの方をちらりと見やる。ミラは罰の悪そうな顔で目線を外し、掴まれた手首をそっと撫でている。色素の薄い白い手首は、強い力で掴まれた為に赤くなっていた。

「……ふたりとも、いい歳して喧嘩は辞めなさい。ジェスター・アトキンス、君はいずれお父上の研究室を継ぐのだろう。こんな情けないことは辞めて、お父上の側近として研究を手伝うべきだ」

 ジェスターは目を泳がせ、はあ、とか、でも……と口の中でごにょごにょと呟いている。父に報告される事を恐れているのだろうか。ディビアンはため息をついてから、ミラの方を向いた。

「それから、ミラ・ウィルグ。君も言葉遣いを改めなさい。わざと彼が傷つく言葉を選んでいただろう。そういう事はあまり評価されない」

「……はぁい」

 ミラは口を尖らせながらも、しぶしぶ返事をする。

 ディビアンは、うん、と頷くと、本来の目的を思い出した。

「ミラ、博士がお呼びだ。もうかれこれ三十分は待たせている。早く行くんだな」

「え!?やっば……行ってきます!」

 ミラは素早く体を翻すと、白衣をたなびかせながら温室の前を駆け出した。膝丈くらいのスカートがふわりと風を受け、細くしなやかな脚が一瞬だけちらりと覗いた。

 走るな、とディビアンは言いかけるも、あっという間にミラの姿が遠ざかっていくのを見て、諦めてその姿を見送った。

 ジェスターが背後から恐る恐る話しかける。

「あの、ムウラ薬師。この事は父には……」

「ああ、今日のところは秘密にしておこう。だがここ最近の君の言動は目に余るところがある。今後改めて貰わないと、わたしとしてもアトキンス薬師長に報告せざるを得ないだろう。わかるね」

「は……はい」

 ジェスターはがっくりと項垂れ、視線を地面に落とす。そしてふらふらと温室の前を通り過ぎ、外廊下へと続く道を歩いていった。

 ディビアンは、彼の背中がやがて扉の奥へ消えたのを見届けると、温室の中へと入っていった。

 温室の中は中央に細い通路が設けられ、両脇はいくつもの部屋に分けられており、それぞれ温度や湿度、光度が違う。

 メラジアスだけでなく、世界中の薬草がここに集められていると言われているが、実際はそれらのほんの一部に過ぎない。

 カラフルなガラス張りの部屋を何個か通り過ぎ、ディビアンは小さな部屋の前で足を止めた。

 すりガラスの部屋は覗き窓が付けられており、そこから中の様子を見ることが出来る。

 中は畑になっており、一定の間隔で水を撒く自動散水機スプリンクラーが天井に備え付けられている。畑には小さな芽が等間隔で生えており、根元が丸く、先に向かってすぼんでいく形は小さな壺のようにも見える。

 この部屋の管理者はミラだ。

 彼女が個人で行っている研究のひとつらしいのだが、詳しくは教えられていない。彼女いわく、薬師協会の歴史を覆す研究らしいのだが、ディビアンや薬師長を驚かせたいからまだ秘密にしておきたいのだそうだ。

 そんな妙に子供っぽいところが彼女らしいと思った。ディビアンは優しく笑い、その部屋を後にして温室を出る。

 壺の形をした小さな芽たちが、何かを予感するかのように、ふるると体を震わせた。

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