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愛する息子へ。


 あんなに待ち望んだ出産も、ついに明日に迫っている。だけどアタシはもう全身がだるくて、頭も肺も喉も手足も、なんだかとっても冷たくて、自分が今苦しいのか苦しくないのかも分からない。力も入らず、こうやって日記を付けることすら億劫だ。

 なんとなくこのページが最後になるだろうという予感がするから、最後に力を振り絞って、アンタへの手紙を書こうと思う。

 もしも無事にアンタが産まれて、アタシも目覚めることができたなら、この頁は破り捨てようと思う。数年後に日記帳を見て、この頁が破り捨てられていなければ……まあ、そういう事だろう。

 少し手が震えて字が下手くそだけど、許してよね。


 日記を読んでくれれば分かるけど、アンタはきっとアタシに似てせっかちだろうから、簡単に纏めるよ。

 アタシは薬師長にバカ息子の不祥事を訴えたところ、怒りを買って左遷。あまりに不当な人事だってんで、抗議の声も上がったけれど、まあ薬師なんてのは宮廷でいう騎士やメイドと同じで、由緒正しき血の一族が偉いっていう悪しき伝統が拭いきれていない職業だ。きっと騒ぎもそこそこに、また変わらない組織が続いていくんだろう。

 ああでも、もしトップが変わるような事があれば、次はディビアンさんにやって欲しいなあ。アタシの同僚で尊敬できる人だ。いつかアンタにも会って欲しい。将来きっと力になってくれるはずだ。

 越してきた当初はよそよそしかった村人たちも、次第にアタシを受け入れてくれたのか、少しずつ話しかけてくれるようになった。自分達も病に冒されて苦しいだろうに、アタシのお腹のことを気にかけてくれる。

 救ってあげたいと心から思ったよ。

 父さんもイーゴも、こんなアタシに付き合わせて申し訳ないと思う。特に父さん……アンタの祖父さんは、過去や伝統に囚われず未来を常に見据えている素晴らしい人だから、このまま薬師協会に残って、これからの世代を支えて欲しかった。

 結局心配性で頑固な父さんはアタシに付いてきたけど、今はそれで良かったと思う。だってアタシはこんなに弱ってしまって、もう自分で自分を診ることもできないんだ。

 アタシの話ばっかりしても仕方ないよな。ここからは、アタシがこのまま回復できず死んだ場合の事を考えて、アンタへ遺すものを記していこうと思う。

 まず、村の南側にある森を少し行くと、アタシのラボがある。追い出されたアタシは持てるだけの荷物を持ってここに来た。その時持ってきた調剤の道具や、ヤタエ村で調達した道具や素材たち、それから薬草や調剤の知識を全て書き写した書物も全部そこにある。使ってもいいし、使わなくてもいい。

 それから煙病についても書いておこう。

 煙病ってのは数年に一度必ず流行るものだし、賢いアンタならわざわざアタシなんかに教えられなくても知ってるとは思うけど、今はまだ明確な治療法や予防法が確立されていない難病だ。毎回少なくても十人以上の死者が出る、解明が急がれる病だ。多くの医者や薬師が、『まるで煙を掴むようなものだ』って匙を投げている。

 でも安心しな、アタシはまだ解明には至らないものの、ひとつの治療法にありついた。それを今から教えてやる。

 必要なのはツボイチゴの葉。若葉は鮮やかな緑色をしているが、大きく成長したあとの黒っぽい葉の方が良い。ツボイチゴには黒いつぶつぶした実があるが、それは傷つけないように丁寧に取ったら森に捨てろ。動物が好んで食べるが、人間が食べると腹を壊す。やがて鳥が実を食べて、飛んで行ったどこかで糞をし、また新たに芽吹くことだろう。

 次に必要なのはきれいな水。熱々に沸かすから、雨水を貯めたものでも問題ないが、不純物が入っていると成分に問題が出るかもしれないので、出来れば井戸から汲んだ湧水が望ましい。

 重要なのはツボイチゴの葉に含まれる殺菌作用のある成分だ。研究施設のある薬師協会ならば、調合・抽出をし、その成分だけを取り出すことが可能だろうが、如何せんこの村にはアタシが持ってきた必要最低限の道具しかない。考えうる方法の中で、これが一番最適だと考えた。

 まずはツボイチゴの葉を鍋の底でる。焦げ付かないように注意しな。熱が通り過ぎると成分を壊すから、少し柔らかくなるくらいでいい。

 そしたら次に、きれいな水、もしくは熱々に沸騰させたお湯で煮込む。次第にお湯も鮮やかな緑色になるから、そうしたら完成だ。な?簡単だろ。

 これで煙病に効く薬草茶……ツボ茶が出来上がる。これを患者に飲ませてやれば、二日から三日で良くなるはずだ。ツボイチゴには止血作用もあるから、しばらくすれば肺からの出血も止まるだろう。

 アタシはこの方法を、すぐ近くにいたイーゴにだけ伝えてある。父さんにも教えたかったけど、父さんも薬師として駆り出されていたから、なかなか話す機会がなかったんだ。イーゴが父さんに伝えてくれていれば良いけど、アイツはこういった薬とかそういう知識には疎いから、どこまで理解出来ただろうか。心配だが、しょうがないからアタシはイーゴを信じるよ。

 これ以外の研究資料や論文は、薬師協会の資料庫に残っている。気になるなら、そっちを覗いてみるといい。協会に行ったら、パドマ博士に挨拶をするのを忘れるなよ。アタシの大切な理解者だからな。

 さて、アタシからの用件はこれでお終いだが、最後に昨日見た夢の話でもしようかな。別にいいだろ?アタシが無意味な話をしたって。

 あれは夢の中で、はっきりと見えなかったけれど、朧気な姿でアタシに話しかけてきたんだ。

 温かくて、尊くて、胸の奥底を震わせる、思わず縋り付きたくなる声だった。

 笑うなよ。あれは神様だった、と思う。

 何故かは分からないけど、そう感じたんだ。普段は神なんて信じない、アタシの直感がそう告げていた。

 女神ファルーカ……いや、あれは男の声だった。神に人間のような性別があるのかというのははなはだ疑問だが、女神と言うからにはファルーカは女なのだろう。

 あれは男だったと思う。

 何と言われたんだったか。覚えていない。そもそも人間の言葉だったかも分からない。

 神はアタシに何事か語りかけた後、目に見えない大きな手で、風がふわりと漂うようにアタシのお腹を撫でたんだ。きっとアンタのことを想ってくれていたんだろう。『安心していい』と、きっとそう言ったに違いない。

 それにしても、死にかけのアタシに話しかけてくるなんて、変わった神様も居るもんだ。それとも、こうやって薬師として天命をまっとうしたアタシに対する慈悲だろうか。

 だとしたら、彼はきっと病の神様であるアインラス神なのではないだろうか。

 古代メラージア神話に出てくる、主君ファルーカに従う忠実な弟子であり、それぞれが絶大な力を誇る三柱神のひとり。その吐息は極寒の北風の如く、人々に病をもたらす厄災であり、その両手は暖かな南風の如く、病に冒された人を包むとたちまち浄化するという、病と薬の両方の性質を持つ気まぐれな神様だ。

 だとしたら、アンタはきっと大丈夫だ。アインラス神のお眼鏡に叶ったのだから、きっと強く逞しい子に育つのだろう。それが今から楽しみだ。

 ああ、眠くなってきた。明日は父さんが隣町から呼んできた助産師が来て、出産を手伝ってくれるらしい。アンタにとっても大仕事になるだろうから、踏ん張って、しっかり生まれてくるんだよ。

 アタシの愛しい可愛い子。

 未知のものに出会い、悩み、考えるといい。アンタの人生が、溢れんばかりの好奇心と、知る喜びに満ちたものであることを願っている。


ミラ・ウィルグ

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