【Episode.1】浅葱色の薬師

1-01

………

テ………

ケテ……………………

タスケテ…………………………………………。


 だ、れ……

 光がぼんやりと満ちる。まぶたを開けたのだ。色と共に匂いが蘇ってくる。花の蜜や、青い草、ツンとする薬品の香り。

 耳に残る声は、意識の浮上と共に遠ざかっていく。心の奥底で叫ぶような、張り詰めた悲しい声だった。どこまでも深くへ落ちていってしまうような、そんな声。わたしは声の主を知っている。

 だれ。

 誰だっけ。

 あなたは、だれ……?


「誰って、命の恩人様だけど」

 ぼんやりとする視界の中で、浅葱あさぎ色が見えた。浅葱色がこちらの顔を覗き込み、ひとつため息。眉を上げたのがなんとなくわかった。

「アンタこそ誰?一体何者?」



【Episode.1】浅葱色の薬師



 神秘と混沌に満ちたとある世界、とある大陸【グレート・マギオン】。

 その片隅に佇むは、数々の列強に海を隔てて囲まれながらも、命からがら歴史を生き抜いてきた小さな島国、メラジアス。その最東端に位置するのが、別名『風を捕らえる街』と呼ばれる都会フィオールだ。

 土壁の民家が所狭しと建ち並び、尖った屋根の先には風車が絶えず廻り続けている。『風を捕らえる街』という異名は、この風景から名づけられたものだと云われている。

 色とりどりの洗濯物が窓から窓へと伸びた干し紐にぶら下がり、道行く人の頭上でガーランドのように揺れている。広い公園では子供たちが走り回り、それを大人たちが遠くから見守りながら談笑している。市場の人だかりの中には、樽のような脚の動物を引き連れたキャラバンが、大勢を相手に何やら商売をしているようだ。人と人の距離が近い、そんな様子が伺える街である。

 雑踏を抜け、一人の少年が走っている。浅葱色の髪の毛はさらさらと頬を撫で、木漏れ日に反射して水色に光っている。朝露に濡れた若葉のようなペリドットの瞳は、どこか知的な雰囲気を漂わせている。

 少年の名はアインといった。

 アインは肩から下げた鞄を大事に抱え、大通りを抜けて走っていく。通りすがる八百屋の主人がアインに気が付くと話しかけてきた。

「ようアイン、お使いか?今日は良いナワムギが手に入ったんだよ。安くしとくよ」

「悪い!急いでるから、また今度な!」

 アインは手を振ってその場を離れると、また走っていく。八百屋はその後姿を見て微笑した。

 少し行った場所に人だかりが出来ており、アインがそこを通り過ぎようとしたところで罵声が響いた。アインは驚いて足を止める。

「いいから出ていけ、この薄汚い貧乏人が!俺の店の商品にケチ付けやがって、ただじゃおかねぇぞ!」

 人だかりをかき分けて入っていくと、そこには憤怒する小太りの男と、その前で倒れる老人の姿があった。小太りの男は悪趣味だが仕立ての良い格好をしており、何度も何度も老人を足蹴にする。対して老人が纏うローブはぼろぼろで薄汚れており、男に蹴られながらも体を守るように縮こまっている。

 アインはそれを見て咄嗟に二人の間に割って入った。

「やめろよアンタ!こんなじーさん相手に、なに考えてんだ!」

「ああ!?なんだ貴様……」

 小太りの男はアインを見て、蹴るのをやめた。それから舌打ちをすると、乱れた服を整い始めた。

「大丈夫か、じーさん?」

 アインが手を差し出すと、老人は震える手でアインの手を取る。アインが小太りの男をキッと睨みつけると、男はその迫力に一瞬身じろぎをした。

「ボルガ。アンタは心底サイテーな野郎だな……!」

 小太りの男―――ボルガは馬鹿にしたように笑うと、腸詰のような指でぼろ布の老人を指さした。

「この汚らしいジジイが俺の店に足を踏み入れた上に、料理にケチをつけてきたんだ。俺の店は高級料理店なのでね。臭いにおいが料理についてはたまらんのだよ」

 アインは顔を上げる。そこにはフィオールの街並みに似合わない巨大な店が構えられていた。中世の建造物を模したような荘厳そうごんな外観に、いくつも飾られた小さな彫刻。上方にでかでかと置かれた看板は、ボルガの洋服同様、豪華だが趣味が悪い。店の外にも中にも、いくつも大きな花が飾られていた。

 店の中にいた客も、騒ぎが気になってこちらを覗いていた。アインはハッと吐き捨てるように笑うと、店の中にまで聞こえる声で罵り始めた。

「臭いにおいが、だって?だったらもう手遅れだよ、アンタの店」

「……なんだと?」

「その白くて大きな花弁の花」

 アインは店内に飾られた花を指さす。見たところ造花ではなさそうだ。

「それはツキユリといって月に一度受粉をする風媒花ふうばいかだ。袋状になった雌しべが破裂するように花粉を飛ばし、風に乗せて遠くへ飛ばす」

「……だからなんだと言うのだ!」

「花弁は綺麗なんだけどなー。だけどその花粉がくせぇのなんのって。別名なんと『屁こき花』!」

 ボルガがぴくりと眉を痙攣けいれんさせる。アインはにやりと笑うと、それに畳みかけた。

「見た感じその花もだいぶ花粉がたまってるな。そんなに大きく袋が膨らんでいるなら……数日後、もしくは明日には破裂するんじゃないか?」

 中にいた客は皆、嫌な顔をして花から遠ざかる。いそいそと荷物をまとめ、帰る準備をする客もいた。

 ボルガは顔を真っ赤にし、拳をわなわなと震わせる。荒い鼻息を吹き出し、アインを睨みつけた。

「貴様……!俺の店を馬鹿にするのか!」

「ただ事実を教えてやっただけだよ。ああでも、お似合いかもな?アンタの店には、『屁こき花』の臭いが!」

「き……貴様アアアア!!」

 ボルガの目が充血する。びきびき、と音が聞こえそうなほど額に青筋が立った。我慢の限界を超えたボルガは、しかし言い返す言葉を見つけることができない。ボルガはとにかくこの場を逃れるために、

「ええい、立ち去れ!ここから立ち去れぇぇぇ!!」

 情けなくそう叫ぶことしかできなかった。


 アインは公園まで老人を連れていくと、小さなベンチに座らせる。汚れた布を捲ると、痛々しそうに腫れた肘があらわになった。

「うわ、血が出てんじゃん。痛そーだな。大丈夫か?じーさん」

「ありがとう。ただの擦り傷だから大丈夫だよ」

 老人はそう言って優しく笑いかけるも、体が少し震えている。アインは持っていた水筒の水で傷口を洗い、タオルでそっと拭いてから絆創膏を貼る。それからきょろきょろと辺りを見渡すと、あっという顔になって立ち上がる。

「ちょっと待ってな!」

 アインはそう言って駆けていく。老人はきょとんとし、走っていくアインの背中を見ていると、アインは池の淵から何かを取り、それを持って再び老人のもとへ駆け戻る。手に持っているのはひらひらと葉がいくつもに分かれた植物で、それを軽く水で洗うと、薄い布で包んで老人に渡した。

「これ患部に当ててな。アイスグラスつって、氷嚢ひょうのうの代わりになるから」

 老人はアインからそれを受け取り、腫れた肘に当てる。それからアインを見上げ、不思議そうな顔をした。

「……キミは一体何者だい?」

「オレか?オレはアイン。山の方にオレの家があっから、もし怪我が酷くなったらうちに来な。オレのじーちゃんが薬師やってっから」

  アインは得意げに言うと、ふと老人の持っているに目をやる。透明な筒の中に入れられた小さな丸い虫が、その体の色を緑から青に変えようとしている。それを見て、アインは思い出したように叫んだ。

「やべッ、じーちゃんにお使い頼まれてるんだった。早く帰んねーと!オレもう行くわ。じゃあな、じーさん!」

 早口にそう言い、鞄を抱えなおしてアインは走り去っていく。老人はその後ろ姿を見つめ、少し目を細めた。

 アインがくれた草の包みは先ほどよりも冷たくなり、腫れの熱を逃がしてくれる。

 アイン、と老人は呟いた。

「アイン・ウィルグ……」

 さーっと心地よい風が吹き、老人がまとうぼろ布をはためかせた。

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