1-05
数日後、ナターシャはフィオールの中心部で首が痛くなりそうなほど上を見上げていた。
木造の塔。低い地鳴りのような音を響かせる巨大な風車を乗せ、塔は一本の大樹の如く
商業の中枢機関、役場兼ギルドだ。他の地域のギルドと区別する為に『風ギルド』と呼ばれたりもする。
森の木よりも大きな建物に驚きを隠せずにいるナターシャを、街の人々は物珍しそうに振り返る。明るい太陽の下、彼女の桃色はあまりに目立ちすぎていた。アインは人が集まってしまわないうちに、とまだ感動しているナターシャの背中を無理やり押してギルドに入る。
木製の分厚いドアの上部分には、半円状のステンドグラスが
ギギギ、と軋む音を立てながら扉が開かれる。中は最上階まで吹き抜けとなっており、各階の窓から差し込む陽光がステンドグラスで彩られ、一階の床にカラフルな影を落としていた。木製の螺旋状の階段が壁に沿って各階を繋ぎ、ギルドの職員らしき人が上から下へ、また下から上へとすれ違う。
アインとナターシャは、アグレイに言われてここに来ていた。ギルドに登録しておけば仕事を紹介してもらえるので役に立つだろうということだ。
「ヒリナ!」
アインは入口の正面に構えられた無人のカウンターに向かって声をかける。すると、誰もいないカウンターの下からゴンッという硬い音が響き、続いて女性が頭を擦りながら顔を出した。
明るい茶色の髪は顎のラインで揃えられ、外側に軽く跳ねている。白い鼻に散るそばかすのせいでとても幼く見えるが、年齢はアインよりも少し上のようだ。
「アイン、いらっしゃい!」
ヒリナと呼ばれた女性は顔をぱあっと輝かせる。
「体調は大丈夫か?」
「ええ、今日は熱も少し良くなったし、大丈夫よ」
ヒリナは何か喋ろうと口を開き、アインの横にいる異色の少女の姿を見つけると目を見開いた。美しく波打つ桃色の髪に目を奪われ、しばらく見つめてから、ほう……っとため息をついた。
「この子、どうしたの?」
「うちで居候してるんだ。今日はコイツのギルド登録に来たんだよ」
「そうなんだ」
ヒリナは視線をナターシャの方に移し、少し膝を曲げて目線を合わせると、にこっと人懐っこく笑いかけた。
「こんにちは!お嬢さん、いくつ?」
「……わからない」
「へッ?」
ヒリナは面食らって固まる。それから質問の仕方が悪かったかな、と思い、言い方を変えて再び尋ねてみた。
「えーと、何歳?っていう意味だったんだけど」
「わかってる。わからない」
「え?え?えーと……」
ナターシャは真面目な顔で頷き、その直後に首を横に振った。逆にヒリナが混乱してしまい、その後も頭を捻りながら何度か質問するもののナターシャの答えがずっと同じなので、最終的に助けを求めるようにアインを振り向いた。
アインは肩をすくめてみせ、
「……こんな状態でもギルド登録できるかどうかが知りたいんだけど」
それを聞くと、ヒリナは下がり気味の眉をさらに下げる。
「それはちょっと難しいわよ、アイン。今は国民証がない人の登録はできないの」
「でも以前は冒険者用の仮登録ができてただろ?」
「一年前まではね。少し前に他国からの移民を徹底的に遮断するっていう施策が出たでしょ?それに伴って、メラジアス国民じゃない人用のシステムはいらないだろうっていうことで、仮登録制度は廃止になったの」
「ああ……」
アインは顔を
メラジアス王国は周りを取り囲む国々と比べ、あまりに小さい。だが大陸と隔てる激しい流域『リヴァイアサンの回廊』によって数々の列強からの侵攻を妨げてきた。時代に取り残された文化や深く根付く女神信仰に魅了され、観光にやってくる外国人は後を絶たないが、最近になって不吉な力を蓄え始めた隣国ミルスリアの存在を恐れ、数年前に国王は鎖国制度を繰り出したのだった。
ともかくこれではギルド登録ができない。どうしたものかと考えていると、ヒリナが何かを思い出したかのように「あッ」と声を上げた。
「ちょっと待ってて!」
そう言うとヒリナは駆け足で、奥の方にあるギルド職員以外立ち入り禁止の札がかかった扉の中へと消えていく。置いて行かれたアインとナターシャがぽかんとしながら顔を見合わせていると、扉が開いて筒状の何かを持ったヒリナが現れた。
ヒリナは小走りでふたりの元へ戻ってこようとし、途中で何も無いところで足を滑らせて前のめりになって転んだ。筒状のものがヒリナの腕からすっ飛んでいき、ナターシャの足元へころころ転がってくる。ナターシャはそれを拾い上げ、アインはヒリナの元まで駆け寄ると呆れ顔で手を差し出した。ヒリナは恥ずかしそうに笑いながらアインの手を取って立ち上がり、ふたりを隅の方にあるソファの席へと案内した。
ヒリナはナターシャから筒状のものを受け取ると、シンプルなテーブルの上にそれを開いて見せた。それは大きな地図で、開ききるとテーブルをすっぽりと隠してしまった。細部も丁寧に描かれた立派な地図だ。真ん中には大きく歪な月の形をした地形が描かれており、最も東の上向きに尖った部分に『フィオール』と書かれている。ヒリナはそこに人差し指を置き、下半円をなぞるようにして動かす。可愛らしいピンク色の、つやつやと丁寧に磨かれた指先は、『フィオール』から西側にある巨大な森を抜け、白くて細長い建物がたくさん描かれた街『アンディール』を通り過ぎると、上流に大きな水門を構えた広い川を越え、素朴な街並みの中に一際目立つ大きな教会が描かれた街『ノームル』の上で止まった。
「土の街、ノームルにあるシャン・ギヌロス教会に行けば孤児登録ができるわ。それが国民証の代わりになるから、ギルドで依頼を受けることもできるのよ。教会はこの大きな川を渡った先にあるわ。まずは水の街アンディールを通り過ぎなきゃいけないんだけど、ここは街並みがとっても美しいことで有名なの!何人もの大物画家がこの街をモデルに絵を描いているし、舞台や音楽なんかも素晴らしくて……」
仕事中だというのに夢中になって話し出すヒリナ。アインはそれを見ながら苦笑し、だが少し興奮した様子でヒリナに同調した。
「美術や音楽もいいけど、アンディールは通称『文字が泳ぐ街』と呼ばれるほど文学に精通した都市なんだ。この国の人間なら誰もが知ってる『聖釘伝説物語』の著者もアンディール出身で……って、アンタは知らねーか」
ナターシャは頷く。
「ま、薬師を目指す者として様々な学者が集まるこの街にはいつか行ってみてーと思ってるよ」
遠く夢を見るように目を輝かせるアインは年相応の幼さを感じさせる。ナターシャはふたりの話を聞きながら、見知らぬ土地へと思いを馳せた。しかし思い描くことができるのはフィオールの街並みだけで、記憶が生まれ始めたばかりのナターシャにはここ以外の地を想像することができなかった。
「兎にも角にも、登録ができないんじゃ話にならねーよ」
アインはそう言って立ち上がる。用事を済ますことはできなかったが、これ以上長居する理由もない。ナターシャもアインに続いて立ち上がると、ヒリナが机に手をつき上半身を乗り出しながら呼び止める。
「もう行くの?お茶くらい飲んでいけばいいのに」
「じーちゃんにこの事を報告しなきゃなんねーし、オレももっと薬について勉強しなきゃだからな。時間はいくらあっても足らねーよ。またな」
アインはそれだけ言うと片手をひらりと振り、さっさと玄関扉の方へ歩いて行ってしまう。
ナターシャはアインの後を追って歩きつつふと後ろを振り返ると、ヒリナが胸の前で手を握り、心配そうな顔でアインを見つめていた。体調が悪いのだろうか、少しフラフラっとよろけた後、力無く椅子に座り込んだ。ナターシャが見ていることに気が付くと、ヒリナは一瞬驚いた顔になり、慌てて笑顔を繕うと手を振った。
ナターシャはギルドから外に出る際、背後の方で
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