1-19
少し風が寒くなってきた日の朝。空は晴天だった。アインは朝早くから街に出向き、一軒一軒を回って挨拶をしていた。
今日、アインは誕生日を迎える。
挨拶を終えたらディビアンと共に王都へと旅立つ手筈なのだが、街の住民たちはお別れが名残惜しいと餞別の品を包み、また誕生日プレゼントだと言って綺麗にラッピングされたものを押し付け、手荷物を極限まで減らしたはずのアインの両手は貰い物でいっぱいに埋め尽くされてしまった。
抱えたプレゼントの重みによろめきながら、アインは最後にもう一軒寄る。ギルドの反対側にある住宅街の、端から五番目の家。ヒリナの家だ。
ドアをノックすると、間髪入れずに扉が開き、今にも泣きそうな顔をしたヒリナが飛び出してきた。ヒリナはプレゼントで埋もれたアインの顔を見ると、大きな瞳を涙で潤ませ、思い切りアインの首に抱きついた。
抱きつかれた衝撃で、アインの腕からプレゼントがこぼれ落ちる。アインは突然のことに驚き、顔を少し赤らめながらも、自分に抱きつくヒリナの腕が悲しそうに震えていることに気がつくと、優しく背中を撫でてやった。
「……私、忘れないようにするね。イーゴさんの事も、アインの事も」
ぽたり、と首筋に温かい雫が伝うのを感じる。アインは頷きながら、ヒリナが離すまで大人しくずっとその場で立っていた。
ようやくアインから腕を離したヒリナは、ぐしゃぐしゃになった顔を一生懸命拭い上げながら、辺りを見た。
「あれ、そういえばあの子は一緒じゃないの?あの、桃色の……」
「ナターシャのことか?アイツはディビアンさんと一緒に向こうで待ってるよ。オレと一緒にこの街を出て、ひとまずノームルに向かうらしい」
ヒリナは、ああ、と顔を輝かせた。
「じゃあ国民証を取りに行くのね。そしたらギルドでも紹介できる仕事が増えるから、帰ってくるのが楽しみね」
「いや、旅に出るんだと。もうフィオールには帰ってこないってさ」
「あら……そう」
ヒリナはしゅんと肩を落とす。だがすぐに笑顔を取り繕おうと、口角を上げて見せた。
「ダメね。お別れの時にこんなしんみりしてちゃ。あの子のことも心配だけど、アインもちゃんとしてね?ご飯はちゃんと食べてね。夜更かしはしないで寝るのよ。本は一日3冊まで。放っとくとすぐ図書館中の本を読み漁ろうとするんだから」
「ああもう分かったって。大丈夫だから心配すんな」
「大人の言うことはよく聞くのよ。一日一回のひなたぼっこも忘れずにね。それから……それから……」
またヒリナのまん丸の瞳が潤む。大粒の涙を溜めながら、泣くまいと鼻の頭に力を込めているのが分かった。
「元気でいてね。何よりも自分を大切にするのよ」
アインは頷く。
アインにはもう血の繋がった家族はいない。だが寂しいと思ったのは数日だけで、その後は街の人が良くしてくれていた。アインにとってフィオールの街の人達は家族も同然だった。
アインはふとヒリナがいつもとは違う、青色のシンプルなワンピースを着ていることに気がついた。メラジアスでは青は故人を弔う意味を持つ。アインが自分の服に注目していることに気がつくと、ヒリナはその場でくるりと回ってみせた。スカートの裾がふわりと膨らみ、白い膝が一瞬だけ見え隠れする。
「今からアグレイさんのところに行って、水を撒いてくるの。ほら、雨の季節も過ぎてしまったことだし、誰かが水をやらなきゃいけないでしょ?」
傍らに置いてある
ヒリナから貰ったヒノメリカの茶葉を大量のプレゼントの上に乗せて家まで帰ると、既に出立の準備を終えたディビアンとナターシャ、そして葬儀で祭司を務めた神父が待っていた。
三人の後ろには脚の長い動物が二頭、ぶるると鼻を鳴らしている。真っ白な胴体にスラリとした長い脚、長い首の先には小さな頭がつぶらな瞳をこちらに向けている。真っ直ぐ上に生えた大きな二本の角が特徴的な、『脚長牛』と呼ばれる運搬用の動物、オックロスだ。
彼らの首から伸びる綱と背後のキャビンが繋がっており、こちらも上等な物だと推測できる。ディビアンが呼び寄せた、王都直通の馬車だ。綱を握った御者が、にこりとアインに会釈した。
「挨拶は済んだか?……随分と餞別の品を貰ったんだな」
「行くとこ行くとこで押し付けられちまって。全部乗るかな?」
「問題ない。彼女は一切荷物を持っていかないらしいからな」
ディビアンはナターシャの方を見て言う。確かに、ナターシャは手ぶらだった。もともと何も持たずにこの土地に現れたのだから、着の身着のまま旅立つというのも不思議では無いが……
「だと思ったよ。本当に何も持ってないのか?金も?」
「ああ」
「さすがに少しぐらい金は持ってけ!ほら」
アインは自分の懐からこぶし大ほどの巾着を取り出す。継ぎ接ぎの手作り感満載の巾着はずっしりと重みがあり、ナターシャの手の中に沈みこんだ。
中を開けると、金貨や銀貨がキラキラと輝いている。ナターシャは驚いて顔を上げた。
「アイン、これは?」
「オレがじーちゃんのお使いで貯めたお小遣いだ。オレにはじーちゃんの補助金があるし、養子として養ってもらうから、それはアンタが持っていきな」
「でも……良いのか?自分は何も働いていないし、血の繋がりもないのに……」
「血の繋がりがなきゃ家族じゃないのか?結構アンタって、頭固いんだな」
アインが胸を張り、自信満々に言い放つ。
「オレはこの街の人全員を家族だと思ってるし、それにはアンタも含まれてる。それから、いくら愛し合ってる恋人だって血の繋がりはないんだぜ?そんなに狭いもんじゃねーんだよ、家っていうのは」
そう言い、少し恥ずかしくなってきたのか頬を赤らめる。
「まあ……それはオレからアンタへの餞別だ。メラジアスは小さい国だし、またどこかで会えるとは思うけど、その前に野垂れ死にされたら寝覚め悪りーしな」
ナターシャは手の中の金をじっと見つめ、その輝きに見とれた。そして胸元にしっかりと抱きしめる。
「ありがとう、アイン」
「無駄遣いするんじゃねーぞ!?」
「分かった」
二人の様子をディビアンは微笑ましく見守り、「時間だ」と言って牛車に押し入れた。
御者側にディビアンと神父が、反対側にアインとナターシャが座る。全員の膝の上には、アインが貰ったプレゼントが山ほど積まれている。
御者が鞭を鳴らす。二頭のオックロスが煩わしそうに鼻を鳴らし、やがて動き出した。成長を共にした家が遠くなる。森が通り過ぎていく。
アインは後ろを振り向いた。牛車のカーテンの隙間からフィオールの街並みが見える。
風を捕える街のシンボルであるギルドの塔が、頭上の風車をゆっくり回しながら遠のいていく。あの広い場所は公園だ。まだまだ若い樹が中央で葉を揺らし、そこに近づく人影が見えた。目に染みるほど鮮やかな、青いワンピースを着た女性が。
「忘れていた。私からも君に渡す物がある」
ディビアンはそう言い、懐から一枚の封筒を取り出した。アインはそれを受け取り、慎重に封を切って中を取り出す。そしてあっと声を上げた。
中は一枚の写真だった。色褪せてセピア色になった写真だ。それはアグレイの部屋に飾ってあった、黒いレースを被せられていたあの写真だ。祖父と父、そしてアインを身篭る母が写った、この世でたった一つの家族写真。
アインは唇を噛み、そっと写真を封筒へと戻した。傷つけないように、大事に抱える。
「……ありがとう」
アインがお礼を言うと、ディビアンは静かに頷くだけだった。
がたん、ごとんと振動を受け、牛車の車輪が軋んだ音を鳴らす。いつの間にか舗装された道を抜け、森の中へと入り込んでいた。
まだ見ぬ未来への期待と、少しの不安。隣に座るナターシャへと目を向けると、ナターシャは身を乗り出して外を眺めている。やがてこちらに気がつくと、
「楽しみだな、アイン!」
実に憧れに充ちた様子で笑った。あまりに楽しそうに笑う顔に目を見張りながらも、アインは頷いた。
きっとこの先、祖父が言っていたように理不尽な事が待っているかもしれない。だが、きっとそれだけでは無いはずだと信じて、アインはナターシャと同じように口角を上げて見せた。
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