第16話 二択
周哉の目には種も仕掛けも見えていた。
きっと自分の内側に妖魔と同じ因子が巣食う影響であろう。自分には熱の揺らぎや変動を視覚的に捉えることが出来たのだ。
(あれは、空気の壁だ)
鬼丸が拳を握ることで編まれた手印。その中には極小にまで圧縮された蒼炎が握られていた。
(拳の中に隠した炎の熱量で前方の空気を膨張……それで煉士さんの攻撃を押し返してるんだ!)
紅血が「特効」を秘めるのは、あくまでも人外やその異能に対してのみだ。
引金が引かれた銃本体を破壊しても、撃ち出された弾丸が止まらないのと同じように。アークパイアの血を用いたとしても、熱の影響を受けて膨張した空気の壁までは崩すことができない。
そして、その点は血に秘められた「耐性」に関してもだ。
「おいおい、もう終わりかよ? さっきの野獣みてぇな勢いはどうしたッ!」
ハイテンションに叫んだ言葉に反して、鬼丸は一歩も動こうとしない。ただ膨張した空気を押し出して、煉士の巨体を弾くだけだ。
「羅刹────虚ロ威シ(うつろおどし)ッ!」
きっと鬼丸は「特務消防師団」と拳を交えた経験があるのだろう。
それを匂わせる発言もそうだが、対アークパイアに洗練されたメタ戦法こそが何よりの証拠であった。
(アイツはこの階層から火を消した理由を、攫った少女を燃やさないようにするためだって言ってた。……けど、半分はブラフなんだ)
辺りが炎に包まれたままでは、膨張させたい空気まで燃焼してしまう。だから一度炎を消して、土俵を整えたのであろう。
現在、這いつくばる周哉にも二つの択があった。
一つは自分が気付いた鬼丸のトリックを煉士に伝えることだ。そうすれば対峙する彼が何らかの対抗策を閃くかもしれない。
「待て……そうじゃないだろ」
ただ、その選択は現状のアドバンテージを捨てるだけの価値があるのだろうか?
現状のアドバンテージ。それは、鬼丸の意識が完全に周哉から逸れていることであった。
(アイツの頭の中で、僕は既に戦闘不能扱いのはず)
幸いにも、鬼丸は四方八方を空気の壁で覆っているわけじゃない。出来ないと言った方が正確であろうか。
ともかく、その背中はガラ空き。不意を突くにはこれ以上ない好条件であった。
「やってやる」
もう一つの選択肢は背後からの奇襲。────周哉はそれを選ぶことにした。
「……立て……立てよッ、僕の身体ッッ!!」
けれど、体が言うことを聞こうとしない。
周哉は四肢に力を込めようとする。それでも砕けた背骨の再生は未だ追いつこうとしなかった。
ギリリ……と噛み合わせた歯が不快な音を立てる。
「……て」
不意に防火服を引かれた。
振り返れば、そこには鬼丸に攫われかけていたあの少女が倒れていた。
「……けて」
いや、放り出された彼女のすぐ側まで、自分が蹴り飛ばされたという方が適切であろう。
周哉は現状の打開策を考えれるばかりで、彼女の気配にも気づけなかったのだ。
「……助……けてッ!」
酸欠で意識もまばらな彼女の指先が、周哉に触れた瞬間────痛みが嘘のように引いた。
これは何かの根性論であろうか?
いいや、違う。彼女に触れられた瞬間に、なぜかアークパイアとしての再生能力が活性化し始めたのだ。
「どうして?」
当然、周哉の頭には疑問符が浮く。どうして、彼女に触れられた瞬間に傷が癒えたのか。
だが、それを考えるのは今じゃない。
(いいや……現場の雰囲気に充てられるなッ! 煉士さんみたく、冷静であれッ!)
闘争の雰囲気に呑まれ、吼えそうになる衝動を必死に堪えた。故か立ち上がれた身体で、音もなく跳躍。血から成るグローブで拳を覆い、鬼丸の懐へと飛び込んだ。
「────ッッ!」
意識外からの侵攻。確実に不意打ちを決めたという確信もあった。
だが、鬼丸の鼻がスンと動く。
「あー……すっげぇ言い辛れぇんだけどさ。テメェが芋虫みたいに這ってたところから立ち上がるとこまで、全部、血の匂いで分かってんだよ」
その嗅覚は過敏であった。
「なっ……⁉」
「それにテメェの傷口から滲む鮮血は特に変な匂いがしやがるんだ」
最初から誘われていたのだと気付く間も、思わぬ反撃に驚く間も、鬼丸は与えようとしない。
振り抜こうとした周哉の右腕を掴み、そのまま壁へと叩き付ける。
「かッッ……」
頭蓋がかち割れて、額からは血が滲んだ。
「へぇ……今のを貰ってもまだ耐えるか。けど、コイツはどうかな?」
鬼丸は嬉々として、握りしめていた左手を開らく。そこに秘められるのは極小にまで圧縮された蒼炎の塊。────それが今、解放される。
「羅刹────桜ラ吹雪(さくららふぶき)ッ!」
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