第25話 虚ろゆらり

 番傘の先が、周哉の喉元を刃擦った。


 息を吸う猶予さえない。周哉に出来たのは、この場から彩音を少しでも逃がそうと、彼女を強引に押し除けることだけだ。


「ッッ……!!」


 開いていたはずの距離は何の意味をなさなかった。跳躍した彼女が一瞬でこちらの間合いを押し潰したのだから。


 先が丸い番傘であろうとも、妖魔の膂力で振られたそれは千人斬りの刃と変わらない。


 辛うじて芯を外したが、頸動脈を切られたとしてもおかしくはなかった。


「このッ!」


 周哉は眼前の彼女をキツく睨む。


 閉じられた瞳と右手に握られた番傘────その姿は火事の跡地で遭遇した彼女のものに違いない。


 そして額から前髪を分けるようにして一本のツノが突き出していた。これが彼女の本当の姿ということか。


「貴女……やっぱり、妖魔だったんですか」


 彼女が問いに答えることはない。


 ただ、その口元には余裕を含んだ笑みを浮かべるだけだ。


(前に会った時は饒舌だったのに。……スイッチが入ったら黙り込むタイプなのか?)


 若干の違和感。けれど、今はそれを言及していても仕方がない。


(……どうする?)


 傍目で彩音の様子を確認した。


 腰が抜けてしまったのだろう。彼女は声も出せずに小さく震えている。


「だったら、僕がすべき行動は」 


 周哉は斬られた首からボタボタと滴る紅血を制御、そのまま刀剣の形へと鍛え直した。


「一番ッ! 赤血刀ッ!」


 とにかく、まずは彼女を彩音から遠ざけるのだ。


 普段以上の刃渡りで造形された刃が番傘と激しくぶつかり合う。得物越しに手応えは重いが、それでも周哉は充分に打ち合えた。


 鬼丸との死闘とそこで肌が覚えた戦いでの緊張感。────それが自らの内に眠る潜在的な能力をさらに開花させたのだ。


「やってやるッ!」


 日本刀や鉈、長ドスやダンビラ。とにかく一撃で相手を屠ることもできる刃物なら何だっていい。それらを自分が握る時、相手には何をされたくないか?


 その答えはシンプル。得物を潰されることだ。


「造形解除!」


 元の血液に戻った刃が地面へと滴る。そして周哉は自ら開いた右腕を、彼女の握る番傘へと突き刺した。


 ブスリと、傘の先が手の甲を貫通し、筋繊維がブチブチと引き潰されていく。


 だが、来ると分かっている痛みならば堪え切れた。 


「ぐッ……捕えたぞッ!!」


 傷ならば後で幾らでも再生できる。それにこの間合いならば蒼炎を絞り出す余裕を彼女に与えることもない。


 周哉は刺されに行った拳を握り込み、番傘を固定してみせた。


 彼女も振るえなくなった得物を手放し、バックステップを踏もうとするも、それでは一手遅い。


「貰ったッ!」


 彼女の間合いは殆どないのだ。互いの鼻先や口元がいつ触れ合ったとしてもおかしくはないゼロ距離で、周哉は刺突のような前蹴りを放つ。

 

 だが、撃ち抜いた爪先に手応えを得ることはできなかった────


 周哉の全身は、まるで空を切ったかのような感触と共に、前方へとよろけてしまう。


 それどころか先程まで対峙していた彼女の姿が虚い始めた。


 感じたのは、まるで「幻」を蹴ったかのような虚しさだ。結ばれていた像は不定形に解れ、背景へと霧散してゆく。


「なっ……⁉」


 妖魔たちは身から溢れ出る蒼炎を、ひいてはそこから発生する「熱」を操ることができた。


 そして先程、直感的に頭へと浮上した「幻」という言葉。これらを結びつけることによって、ある可能性に辿り着くことができた。


 蜃気楼────大気が歪むことで光が屈折し、幻影が見えると言う現象だ。


 拳の中であろうと、番傘の裏であろうと、何処だっていい。そこに極限まで圧縮した炎塊を隠して、発する熱で大気を歪めれば虚像の彼女を幻出させることもできるのではないだろうか?


「……いや、違うだろ」


 周哉はすぐに自ら辿り着いた可能性を即座に否定する。


 消えてしまった彼女が蜃気楼よって作り出された幻だと言うのなら、自分の負った傷はどう説明すればいいのだ。


 その証拠に斬られた首と、突き刺された右拳は未だ再生機能が追いついていなかった。彼女がこちらに害を為せるというのなら、そこには確かな質量が存在しなくてはならないのだ。


 だが、果たして本当にそうであろうか?


 炎術────虚ロ威シ。それは以前に鬼丸がやってみせた、蒼炎の熱を用いて膨張させた空気をぶつける技の一つだ。


 蜃気楼によって作り出された幻が番傘を振るうと同時に、本物が遠方で虚ロ威シを発動。そこで膨張させた空気をタイミングよく周哉やぶつければ、幻でしかない彼女にもあたかも実態があるよう欺瞞できる。


「ッ……まんまと騙されたッ!」


 以前出会った彼女があれほどまでお喋りだったのに対し、今の彼女が無口なことにも説明がついた。


 あれは大気の歪みと光の屈折からなる虚像なのだ。そこに擬似的な質量を与えられたとしても、声までは与えることができない。


「────うッ!」


 不意に背後から聞こえたのは、詰まるような彩音の悲鳴であった。


 振り返るも、ブランコの側に彼女の姿はない。ここに来て彩音との距離を空けてしまったことが裏目に出たのだ。


「ははっ! また会うたのう、童っぱよ♪」


 頭上から弾むような声が降る。周哉が首を挙げたなら、滑り台の上には三つの影が並んでいた。


 一つは彩音の首に腕を回した彼女の。そして両脇には黒装束に身を纏う二つが控えていた。


 顔を隠した黒装束たちの額からも、布を押しのけるようにツノが突き出していた。きっとあの二人も妖魔なのであろう。


「妾にも事情があっての。すまぬが、この夜族(ヴァンパイア)の娘は頂いて行くぞ」


 周哉は両腕を血で固めたグローブで覆う。だが、彼女はほくそ笑んだまま腕の拘束を強めた。


「うッッ……!」


 漏れるのは潰れたような声だ。


「止せッ! やめろッ!」


「ふふっ。妾は『動くな、この娘がどうなってもいいのか?』とでも、ベタな台詞を吐けばいいのか?」


 ごきり。────と嫌な音がした。


「まぁ、童っぱが動かずとも力は強めていたがな」


 彩音の首が折られたのだ。必死の抵抗も虚しく、彼女の手足はその場にダラリとぶら下がった。


「彩音さんッ!」


 周哉が悲痛な声をあげるも、それはすぐにクツクツとした笑い声に上書きされてしまう。


「そう騒ぐでないぞ。いくら混ざり物の娘とはいえ、仮にも一時代は夜を支配した者たちの末裔だ。模倣とはいえ、その因子の一端を宿す貴様らなら、自らのオリジナルたる夜族がこの程度で死なぬことは知っておるだろう」


 確かにそうだ。ヴァンパイアなら、首を折られた程度に死に至るわけじゃない。


 けれど、それが理不尽に付け狙われた少女が首を折られる理由になるだろうか?


 いいや、そんなわけがない。答えは当然、否である。


「お前ッッ……今すぐ彩音さんを返せッ! さもなくば、」


「さもなくば、何じゃ? 妾をどうしたい?」


 周哉の内なる感情は瞬間的に沸騰する。


「……姐様。……ターゲットの身柄は確保したんです。すぐにこの場を離れるべきかと」


 ケラケラと笑う番傘の彼女に、恐れながらも黒装束の一人が進言する。


「おっと、そうじゃったわ。ならば、この娘は主に任せるとしようか」


 意識を奪われた彩音の身が宙へと放られる。黒装束たちは慌ててそれを受け止めるも、いきなりのことに困惑しているようであった。


「姐様⁉ 計画と違うじゃありませんか⁉」


「阿呆め。あの童っぱを見てみろ、何がなんでも、娘を取り返すと言う顔をしているぞ。ならば当然必要じゃろうて。この場で奴を足止めする殿(しんがり)が」


 開かれた番傘には、逆巻く蒼炎と鬼の代紋が描かれていた。それは彼女が羅刹衆の一員であることを示す証明でもある。


「それにな、あの童っぱには妾も私怨があるんじゃよ」


 彼女は傘の鋒を、周哉へと向けてみせる。


「妾も鼻が効くからのう。だから初めて会ったときから気付いてあったぞ。お主が人と紛い夜族の混ざり物である『特務消防士団(とくむしょうぼうしだん)』の一員で在ることも。その手に染みついた匂い血の匂いが、妾と血を分けた弟のものであることも」


 ゆらり。彼女の身から噴き出す焔が揺れた。


「妾は羅刹衆の頭目・天王寺蒼恋(てんのうじあおい)だ。────お主が打ち負かした弟の仇、存分に取らせてもらおうかッ!」

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