第23話 ボロボロな彼女

「おっ……お待たせ!」


 周哉は院内のエントランスで待つ彩音の元に駆け寄った。その手には二本のホット缶が握られている。


 どうにか彼女と打ち解けようと、備え付けの自販機で飲み物を買ってきたのだ。


「えっと、……カフェラテとおしるこの二本があったんだけど。どっちが良いかな?」


「それじゃあ、おしるこの方をいただけませんか」


 彩音は受け取ったおしるこ缶のタブを開けると、小さな口を付けてチビチビと中身を飲み始めた。


 次第に彼女の頬は赤らんで、硬かった表情も仄かに柔らかくなる。


「あったかくて美味しいです」


「良かった。最近の中学生がどんな飲み物が好きかなんて知らないからさ、妹の好きなヤツを買ってきたんだ」


「カフェラテよりおしるこが好きな中学生はなかなかの少数派だと思いますけど……」


 それは確かに、その通りだ。


 若干の気まずい空気の中で、周哉も残ったカフェラテの方に口をつけようとする。


 しかし舌に当たる液体は、想定よりも温められたものであった。


「熱ッ⁉」


「危ないっ!」


 手から滑り落ちた缶を彩音が辛うじて受け止める。


「大丈夫ですか⁉ まだ熱いから気をつけてくださいね」


「は、はい……」


 幸いにも中身は溢ことなかったが、それでも彼女に恥ずかしいところを見せてしまった。


 まだヒリヒリと痛む舌先と自分の情けなさに辟易していると、彩音が自分の顔をジッーと凝視し始めた。


「あの……お兄さんなんですよね?」


「えっ?」


「ですから! あの火事の時に私は助けてくれたのは、お兄さんなんですよね!」


 確かにそうだ。周哉は火事の最中で、攫われかけていた彼女を救おうとした。


 ただ、助けたというのは少し語弊があるのかもしれない。


「……いや、助けられたのは寧ろ僕の方だよ。……あの時、桐谷さんが声をかけてくれなかったら、」  


 ふと、そこで周哉は忘れかけていた事実に気づいた。


「助けて」という声を聞いて。彼女に触れられた途端、背中の傷が再生したのだ。


 あの時の、アークパイアの因子が活性化するような感覚を言い表したり、言葉にしたりするのは難しい。それでも事実として彼女に触れ合った結果、周哉は立ち上がることが出来ってしまった。


「……なんでだ」


「その真剣な表情。やっぱりあの時のお兄さんだ!」


 彩音がこちらの思考を遮るように、周哉の手を取った。


「えっ、ちょっと……⁉」


「私ずっと、助けて貰ったお礼を言いたかったんです! 『ありがとう』って!」


 彼女に再び触れられても、因子が活性化するような感覚は得られなかった。しかし、こうも詰め寄られては思考を巡らすこともできない。


「ぼ、僕は自分の責務を果たしただけで。だ、だから、お礼を言われるようなことじゃ、」


「私がお礼を言いたいんですから、言わせてください!」


 彩音は断固として譲ってくれなかった。そして────


「ねぇ、お兄さん。助けて貰った上にこんなことを言うのは図々しいのですが、私のお願いを聞いてはくれませんか」


「お願い……ですか?」


「私をお家まで送り届けてほしいんです。一度助けて貰ったお兄さんになら頼みやすいと思って」


 家に送り届けてほしい。それは願いとも言えないような、小さな願いであった。


 けれども、ほんの一瞬。はにかむように話し続けた彼女の表情に翳りが刺したのを、周哉は見逃さない。


「…………」


「実は恥ずかしい話ですが、私はあまりバスや電車のような公共交通機関をあまり使わないので、ここから上手く帰れる自信がないんです。けど、お父さんもお母さんも退院まではもう少し時間が掛かるし……だから私が早く帰って炊事洗濯なんかの家事をやらなくちゃいけなくて」


 違う。


「桐谷さん、君の住んでいたビルは、」


「それにやりたいゲームや、読みたい漫画なんかも部屋に積んだままなんですよ。だから今日は早く帰りたいなーって。


 そうだ! お兄さんも私の家に寄って行かれませんか? まだお礼もちゃんと出来てないですし、わざわざ私の元を尋ねてきたということは何か用事があったんですよね?」


 違う。それは出来ないんだ。


「…………」


 周哉は口を噤んで、黙することしかできなかった。


 彼女の暮らしていた住宅ビルは既に取り壊しが始まっていた。家事をするようなスペースも残っていなければ、ゲームや漫画も炎の中に飲まれてしまったのだ。


 帰りたいと語る彩音は楽しそうなのに、その双眸はどこか虚で、光を宿してはいない。きっと彼女も胸の内では、本当のことを理解しているのだろう。


 ────私たちが向き合うべき命は、なにも消えしまったものだけじゃないんだ。


 頭をよぎるのは、先程鈴華が口にした言葉だ。


 今、その意味がなんとなく分かった気がする。


 彩音は確かにあの火事現場から救助され、身体は回復傾向にある。けれども、彼女にあった当たり前の日常や生活はに燃えてしまったのだ。


 災害はその人にとって大切なものを容易く踏み躙り、傷を残す。仮に周哉がどんな強い力を手に入れたとしても、それを未然に防ぐことは不可能であった。


「…………」


 途端に目の前の彩音がボロボロに傷ついているように見えた。そんな様子が過去の自分自身とも重なってしまう。


(桐谷さんもまだ、蒼炎に憑き纏われてるんだ……)


 救っただけでは終われない。少なくとも、今の彼女に、あのトラテープに囲まれた無惨な焼け跡を見せるわけにはいかない。


「桐谷さん。家に帰るのもいいけどさ」


 傷だらけ彼女に必要なのは、辛い惨状ではなく、ちょっとの安らぎなのだ。


 そう気づいたとき、周哉は後先も考えず彼女の手を強く引いていた。


「その前に、少しお兄さんと遊んで行こうよ」


 口から出たのは歯の浮くような台詞であった。それでも周哉は少し強引に彼女を病院から連れ出すことを選ぶ。

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