第34話 最優先事項

 周哉には未だ、蒼炎の力を使うことに躊躇も抵抗もあった。けれど重要なのは、この力を用いて何を成すかだ。


「もっと速くッ!」


 背から噴き出す火力を増長させ、さらにスピードを上げてみせる。


「もっと……もっと速くだッ!」


 発信機のタイムリミットはもう五分も残されていなかった。「異号混合隊」を名乗る黒装束たちの足止めにあったのも、タイムロスの要因の一つではあるが、何よりの要因はこの廃ビルの内部構造にあった。


 元々大きな建物であることに加え、明らかに侵入者の想定したであろうバリケードが行手を阻むのだ。


(バリケード自体は多分、このビルに残された段ボールや廃材をつかったんだろうけど、これだけ色んな通路が塞がれていると、かなり邪魔だな)


 きっと特務消防師団が彩音を取り返しに来る。────それを見越した上での対策なのであろう。


「どこなんだ」


 周哉は手にしたタブレットで発信機の信号を拾う。


 幸いにも移動する気配はないが、この廃ビルの正確な間取り図がない以上、信号を頼りにおおまかな位置を予測を立てるのが精一杯であった。


 考え得るなかで最悪なのは、発信機の電源が切れた後に彩音を移動させられるケース。そうなればバリケード迷宮とも言えるこの廃ビル内から、彼女を救い出すことは困難を極めるだろう。


「……考えすぎるのは僕の悪い癖。……時には慎重さを捨てて、大胆な判断を下さなくちゃいけないんだ」


 周哉は指先で小銃を形造り、それを構えた。


 発信機に付加された盗聴機能はノイズが酷く、羅刹衆の会話を拾ったり、彩音のより詳細な居場所を示すヒントを得たりすることはできなかった。


 けれど、拾った音の中には鉄扉が閉まるような、金属同士の擦れ合う音が混ざっていたという。


(きっと彩音さんは分厚い壁の部屋や、金属扉に遮られた部屋に囚われている可能性が高い筈なんだ)


 だとすれば、多少廃ビル内を破壊したとしても、彼女が被る被害は最小限に留められる筈。


 気になるのは羅刹衆の構成員たちの存在であるが、目を凝らせば壁越しにでも、彼らが身に宿した蒼炎の熱で大まかな数や位置を把握することができた。


 そして、今現在。六階に在留する羅刹衆の数はかなり少なくなっている。火垂と煉士の二人が派手に暴れているからであろう。陽動作戦がうまく機能している証明でもあった。


「────だったらッ!」


 周哉はバリケードに向けて、収束した熱線を撃ち放った。


 それもいつもの極小なレーザーではない。人一人が通れる幅を確保するための野太いレーザーであった。


(……消耗もコントロールもキツい。……だけど、このくらいッ!)


 蒼白い閃光は邪魔な障害のことごとくを焼き払い、一本の道をこじ開けてみせた。


 周哉は額に浮かぶ汗を拭い去り、再び走り出す。


 ◇◇◇


 自らがこじ開けた進路を進んだ果てに。周哉はようやっと救護者の姿を見つけることができた。


 けれど、彼女の状態は凄惨なものである。


「彩音さん……ッ!」


 発信機は攫われて以降の音声を拾うことがなかった。それは一体何故なのか?


 気絶した彼女の喉を貫くよう、銀製と思われる杭が打ち付けられていたのだ。杭は一本だけに留まらず。その手足を四本の杭が穿ち、彼女を磔にしていた。


「やりやがったな、アイツらッ!」


 途端に周哉の内側をドス黒い怒りが塗り潰した。けれど、今は優先事項が違う。


「落ち着け……落ち着くんだ、」


 自らの優先事項は、ここで怒りを発露することじゃない。彼女を救ってみせることだ。


「今、助けますから」


 彼女に駆け寄った周哉は、杭を掴み一本一本を強引に引き抜いていく。


 そのたびに飛び散るのは生温かい血液であった。自分の手の中で、彼女の命が薄らいでいくのが解ってしまう。


(……大丈夫だ。……混血と言えど彼女は吸血鬼(ヴァンパイア)。その再生能力があればこの程度の傷、無意識下でも完治できるはず)


 銀製品がヴァンパイア由来の再生能力を阻害していたのだろう。計五本の杭を引き抜けば、ゆっくりとそれでも確実に彼女の傷口は再生を始めた。


「ヨシ」


 そのまま全ての傷が再生したのを確認した周哉は、次に呼吸と脈拍を確認する。


 彩音をその場で横に倒し、彼女のか細い首へと指を添えて、そして────


「クソッ! ……心臓が止まってる!」


 彼女の脈はピクリとも応えてくれなかった。


 失血時のショック症状による心肺停止であろう。傷口を補修するためとは言え、一度に全ての杭を引き抜いてしまったことが仇となったか。


 血塗れになった彩音の前に跪きながらも、思考を回す。


 特務消防師団で学んだ訓練内容の中には当然、救護者の蘇生処置にまつわる座学と実習も含まれていた。


 あの時ばかりは絶対に茶々を入れてきそうな鈴華でさえ、真剣に訓練に取り組んでいたことを今更ながらに思い出す。


「彩音さんも僕も口内に傷はないな……近くのAED装置を探すのが望ましいけれど、こんな場所じゃ見つかるわけもない」


 ────もしも、彼女の蘇生に電気ショックが必要となる場合は?


 そんな可能性が頭を過ぎるも、すぐに頭を振って、その可能性を掻き消した。


「大丈夫だ」


 もしかしたら、追いついてきた鈴華がAEDを持って来てくれるかもしれない。


 或いは陽動を終えた火垂たちがここまで登ってきて、AEDを作ってくれるかもしれない。


 今はそんな糸よりも細い可能性に縋るのだ。みっともなかろうと、情けなかろうと、諦めるよりは数段マシなのだから。


「とにかく僕にできることは、彼女の脳に酸素と血液を送りづけることだッ!」


 今出来ることに全力を尽くす。それが周哉の決断であった。


 彼女の胸元に手を添え、三分の一が凹むまで力強く圧迫する。それを三十回。次に彼女の唇に自らの唇を当てがい二度、空気を送り込む。


「一っ! 二っ! 三っ! 四っ! ……」


 あとはひたすら、これを繰り返すのだ。


「一っ! 二っ! 三っ! 四っ! ……」


 通常の蘇生処置ならば、この胸骨圧迫と人工呼吸のサイクルを一分から二分ごとに他の誰かと交代するのが望ましい。けれど、ここには周哉しかいないのだ。


「一っ! 二っ! 三っ! 四っ! ……」


 処置を続ければ、自身の腕だって次第に痺れを感じ、感覚が失われてゆく。


 ほんの僅かな時間が永遠のようにも感じられ、途方のない闇の中を這い続けるような錯覚に呑まれた。


 けれど、周哉はサイクルのペースを緩めなかった。


「一っ! 二っ! 三っ! 四っ! ……」


 彼女の胸を強く押し込む度に祈る────助かってくれと。


 彼女に息を吹き込むたびに誓う────必ず助けてみせると。


「一っ! 二っ! 三っ! 四っ! ……」


 それをどれほど繰り返したであろうか。


 全身に玉のような汗が浮き、意思に反して次第に腕から力が抜けていく最中。誰かが、力強く自分の防火服の裾を掴んだ────

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