第21話 彼女らにとっての「敵」
『妖魔らしき人物に会ったんだって? ほほう、それはなかなかに興味深い話だね』
『それじゃあ情報交換もしたいから、今から言う場所まで来てもらえないかな?』
通話越しに返ってきた鈴華の返事はシンプルな二言だった。
彼女が指定した通りの道順を辿れば、以前に自分もお世話になった総合病院へと辿り着く。
裏手の駐車場にはカスタマイズされたスポーツスター一二〇〇が、そして車体にもたれ掛かるようにして待っている彼女の姿があった。
「やっ」
軽く手を振ってくれた彼女に、周哉も早足で駆け寄った。
「はぁ、はぁ……お待たせして、すいません」
「構わないよ。それに呼び出したのは私の方なんだから、気にしないでくれたまえ」
天王寺鬼丸の死によって、数年ぶりに活動を再開した羅刹衆の真意は、不明瞭なものになってしまった。そんな最中に、さらなる妖魔らしき存在がチラついたのだ。
「それにしても、ややこしいことになってきたじゃないか」
不穏な翳りが見える現状に苛立っていたとしてもおかしくはないと言うのに、鈴華の態度はいつも通りの余裕ぶったものだった。
「君の遭遇した妖魔については既に火垂ちゃんを話を通して、特務消防師団内のネットワークに情報を流しておいたから、何ら心配することもないよ。確か長身の女性で、番傘を持ってるんだって? それだけ目立つようなヤツならすぐに目撃情報も上がる筈だから」
「そう……だといいんですけど」
一方で周哉の受け答えには逡巡する様子が見られた。
そこで、彼女も察したのだろう。
「フム……ここ最近の周哉くんは少しずつ明るくなってきたと思ってたんだけど。あの火事以降の君は力のコントロールを覚えられたのに反して、どうにも調子が振るわないらしいな」
陰鬱とした態度を取っていることは自分でも分かっている。下手をすれば、鈴華たちと出会った頃以上にへこたれているのだろう。
「……」
以前の自分は身に余る力で両親と妹を燃やし、殺しかけてしまった。
しかし、それは蒼炎のコントロールができなかった故の「事故」と捉えることもできた。そこに関わる悪意だって、大半は自分に憑いた妖魔によるものだ。
だが今の自分に宿るのは、蒼い炎を操る力と、紅い血を用いて炎を掻き消す二つの力だ。その二つをもっと上手く扱えていれば、鬼丸の自害を止められることだってできたというのに。
「すいません。少し色々考えすぎってしまって」
「構わないさ。いまの君が考えているのは、あの火事を起こした妖魔のことだろう?」
鈴華は白い息を吐きながらも、こちらの胸の内を見透かしてみせる。
「こういう時の鈴華さんは、鋭いですね」
「まぁね、伊達に団長をやってるわけじゃないから」
「死んだ妖魔」という意味合いのフレーズを避けて、「あの火事を起こした妖魔」と表するのは、彼女のささやかな気遣いであろう。
「私たちは特務消防師団だ。だから悪意を持って災害を起こしたり、誰かを傷つけたりする連中は私たちにとっての〝悪〟や〝敵〟になり得る。────けれど漫画やゲームのように敵役を打倒したとしても、素直に喜べないのがこの職務の辛いところだね」
加えて周哉は、その敵役と直接対峙したのだ。相手の事情を知らずとも、互いの感情がぶつけ合えば、断片程度は感受してしまう。
だからこそ、殊更に後悔が深い根を下ろすのだった。
「周哉くん。君に一つ質問をしようか」
「質問……ですか?」
「そっ。別に難しいことを聞こうってわけじゃない。ただシンプルに、どうして私たちは他者を殺したり、害したりしてはならないと思う?」
「……それは、当たり前のことだからじゃ」
周哉が出したのはありふれた答えであった。
けれど鈴華はその答えに深く頷いてみせる。
「そうだね。私たちは幼少期から、そういう風に己が道徳観や倫理観を育んできた。だからこそ私たちは互いが互いを尊ぶことで、手を取り合える社会制度を確立してきたといえるだろう。────だけどね、皮肉なことに妖魔たちの本質も案外私たちと近しいものかもしれないよ」
鈴華も過去に、妖魔たちと対峙したことがあるという。
彼らは、立ちはだかる鈴華の前に本懐を遂げられなかったことを「敗北」と定義し、そして、一才の例外なく自らの命に火を放った。
彼女と対峙した妖魔は誰もが皆、灰燼に伏すことでの幕引きを選んだのだ。
「多分、妖魔たちの抱いた『敗北は即ち死』って考え方は幼少期から刷り込まれてきたものなんだろうね。それこそ私たちが備えた常識と同じように、彼らの中ではそれが当たり前なんだよ」
「だから彼らは常識に従っただけで、それに立ち会った僕には非がないと。……仕方のないことだったと、鈴華さんは励ましてくれているのでしょうか?」
「すぐに割り切れとは言わないさ。消えてしまった命と向き合うにも相応の時間が掛かるものだから、ゆっくりと整理していけばいい。────けれど、そうだな」
鈴華はくるりと身を翻して、院内の一室を差し示す。
「私たちが向き合うべき命は、なにも消えしまったものだけじゃないんだ」
開いた窓の隙間からは、少女の横顔を覗くことができた。丸っこい瞳をした中学生くらいの少女であった。
(……真奈と同じくらいの子だ……けど、どうして病院になんて)
そこで周哉はようやっと、彼女が誰だったかを思い出す。
「彼女の本名は桐谷彩音(きりたにあやね)ちゃん。あのビルで攫われそうになっていた所を君たちが救いだした少女だ」
窓から見える彩音は入院着ではなく、ワッフル色のコートが羽織っていた。
忙しなく荷物をまとめている様子を見るに、退院の許可が降りたのだろう。
救護者たちが回復傾向にあることは聞いていたが、こうして元気になった姿を見ると安堵するものがある。
「良かった」
周哉は半ば無意識に、その言葉を噤んでいた。
「周哉くん、君はそれでいいんだよ。────それじゃあ、さっそく行こうじゃないか!」
鈴華は弾むように言った。
けれど、彼女の言葉には主語が欠けている。
「行くって……どこに、」
「そんなの決まっているじゃないか」
彼女は再び、彩音のいる病室を指差した。
「実はね、君にしか頼めない職務があってね。ちょっと耳を貸してごらん、」
ヒソヒソ、ゴニョゴニョ。鈴華のクリアーな声音は優しく鼓膜をくすぐった。
けれど、耳を貸した周哉の顔は次第に曇り、最後には真っ青になってゆく。
「いや……無理ですよ! 無理、無理、無理ッ!」
「仕方ないだろう。私と火垂ちゃんと羅刹衆の調査があるし、煉士さんは病み上がりだし。それに第十四特務消防師団の松明周哉に不可能など存在しない筈だ!」
「いや、僕はできないことの方が多いですからね⁉」
「ええい、問答無用ッ!」
それでも鈴華は抵抗する周哉の首をアームロックの要領で固定。さらに、彼女の背には紅血を用いて造形された一対の翼が広げられていた。
「まっ……まさか、鈴華さんッ⁉」
「ふふっ、そのまさかだよ」
彼女はニヤリとほくそ笑む。そして、大きく跳躍し、病室へと羽ばたいた。
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