焼け跡と曇天

第20話 鈴華のそっくりさん

 自分はもともと、一度言われたことを引きずってしまうタイプだった。特にその言葉が劇的なものであれば、あるほどに深く心に残してしまうことも自覚している。


 けれども、あの言葉は。


 ────誇れ小僧、お前は俺様に殺したんだ。その事実をゆめゆめ忘れるんじゃねぇぞ。


 あの妖魔が燃え尽く際に吐いた言葉は、心の内側へと突き刺さり、深い根を降ろしていた。


 ◇◇◇


 空は今にもぐずり泣きそうな程、分厚い黒雲に覆われている。


 そんな空の真下で、周哉はビルがあった跡地へと訪れようとしていた。


「…………」


 既にあの火災からは一週間が過ぎてしまった。


 焼け残ったビルは早々と取り壊しが決定し、敷地内はトラテープで囲まれている。

 そこから覗くことのできた骨組みは、力尽きた巨大生物の骸のようでもあり、忙しなく重機が搬入いく様には、どこか哀愁がある。


「僕はやれることをやったん筈なんだよな……」


 虚しさに圧されながらも、周哉は自らに問うた。

 自らの内側に宿った因子は、妖魔と人工吸血鬼(アークパイア)の二つ。それらを用いた、周哉は見事に火元を鎮圧してみせたのだ。


「……あの時の僕は無我夢中だったけど、イメージの感覚をほとんど掴めた」


 蝋燭をイメージしながらに指を立てれば、その先には小さな蒼炎が灯る。


 爆ぜる火花をイメージをすれば、それを簡単に散らすこともできた。


「……大きさも火力もほとんどイメージ通り」


 内に巣食う妖魔を制御してみせる。奇しくも、その目的を達成してしまったのだ。


 これまで炎を暴発させるリスクを抱え続けてきた自分が、こうやって一人での外出を許可されているのも、結果を通して他者の信頼を勝ち得たからだ。


 ただ、どうしてだろうか?


「蒼炎のコントロール」という、自らに課せられた難題をクリアできたと言うのに、ここまで気持ちが晴れないのは。


「……」


 羅刹衆夜行壱番隊・筆頭。天王寺鬼丸。彼の目的も結局、分からず終いになってしまった。


 羅刹衆の生業の一つは暗殺業だ。けれども、あのビルは何処にでもありふれた住宅ビルに過ぎなかった。


 住んでいる住民だって一般人に過ぎず、とても暗殺のターゲットになるようなビッグネームが今回の一件に関わっていたとは思えない。


 それなのに、鬼丸はどうしてビルに火を付けたのだろうか? 


 彼は事前に、自らの姿を模したダミーの灰人を作成。それを逃亡させることで、鈴華(すずか)たちの注意を惹きつけていた。


 では、やはり鬼丸の目的は少女を攫うことにあったのであろうか? そのためにわざわざダミーを作成し、こちらの撹乱を試みたのなら、筋書きに違和感もない。


 あの現場で鬼丸たちと鉢合わせたのだって、ほとんど偶然なのだ。少しでも周哉たちの突入タイミングがズレていれば、彼はそのまま逃げ仰せていただろう。


 けれど、鬼丸はどうして少女を攫おうとしたのか?


 分からない。


 ────まぁ、分かるわけもねぇよな。小僧。テメェが俺を殺したんだから。


 不意に噛み殺した笑い声が聞こえた。頭の中で響いたその声は、タチの悪い幻聴であった。


「違う、僕はお前を殺してなんか!」


 お前が勝手に死んだんだろ。と言い返すのは簡単だった。だが、自らに宿る力を行使した結果として、誰かが死んだとしたら、それは本当に「殺していない」と言えるのだろうか。 


「違う……違うはずだろ」


 自問自答を繰り返したとして。それで納得できる答えが出せるはずもない。


 こうして火事の現場に再び足を運んだなら、何か答えを得られるかもしれないと思ったが、どうやらそう都合よくもいかないらしい。


「何を項垂れてるのだ、童っぱよ?」


 ふと、背後から声をかけられた。透明感のあるクリアーな声音だ。


 振り返れば、そこには見知らぬ長身の女性が立っていた。


 両目を閉ざしたその顔はどこか物憂げである。雨が降りそうだからか、その手には使い古された番傘が握られていて、それが彼女には妙に馴染んでいる。


「先週にはここで火事があったそうじゃな。そんな物憂げな顔をしているということは、お主もここの住民であったか?」


「いえ、そう言うわけでは……」


「ならば、親しい者が死んだのか?」


 握られた番傘もそうであるが、彼女の言い回しもどこか古風なものである。それでいて彼女の質問には、配慮というものが欠けていた。


 だから、周哉も少しムッとして言葉を返してしまう。


「仮に冗談だとしても、そういうのは不謹慎ですよ」


「おや、すまぬのう。けれど、童っぱがあまりに暗い顔をしておったから、思わず邪推してしまったわい」


 彼女は瞳を閉ざしたまま、眉を丸め、ケラケラと笑い始めた。先程までは物憂げな顔をしていたというのにだ。


「……」


 読めない人だ。彼女の声色と掴みどころのなさは、どこか鈴華にも通じるところがある。


(……というかそっくりだ。……ズカズカと遠慮のない態度とか、得体の知れなさとか)


 けれど、彼女と鈴華では決定的に何かが違っていた。


「どうした童っぱ。また小難しい顔をしおってからに。それとも何か妾に聞きたいことがあるのか?」


「じゃあ、僕からも一つ質問です。お姉さんこそ、どうしてこんなところに?」


 ここには焼け落ちたビル以外何もない。


 こんな天気も優れない日にわざわざ訪れる理由もないだろう。


「ははっ、それはお互い様じゃろうに。……けれど、そうじゃな」


 彼女は懐から何かを取り出し、それを足元に置いた。


「ここで死んだ弟へ、せめてもの手向けをと思ってのう」


 静かに置かれたそれは、何処にでも売っているようなチョコレート菓子の箱であった。


 パッケージにはマスコットの動物が無邪気に笑っている。


「妾が言うては、親バカならぬ姉バカになってしまうが、かっこいい弟じゃったよ。豪胆な性格で荒っぽい奴かと思えば、マメだし、家族想いでもあった。それに馬鹿真面目でもあったのう。かと思えば意外にもこんな可愛らしい洋菓子が好んでいたり。……こんな風に突然いなくなってしまうのなら、もっと話をしておけばよかったな」


 彼女は相変わらず、愉快そうに語る。それでも最後の一言だけは本心を隠しきれていないようだった。


 だが、周哉は同時に言いしれぬ違和感を抱いてしまった。


「あぁ、哀れな弟よ……お主の未練はきちんと妾が晴らしてやるからな」


 咄嗟に、今回の火事の死傷者数を思い出す。


 火傷によって重傷を負った救護者や、酸欠によって病院に担ぎ込まれた救護者の数はかなりの数だったと、後になって聞かされた。


「いや……そんな、有り得ない」


 ただ、その中に死者はいなかったはずだ。


 病院に担ぎ込まれた救護者たちの容態も安定しており、一番の重傷を負った煉士がベットで詰まらなそうにしているくらいなもので。それこそ、あの現場で亡くなったのは────


「まさか、貴方の弟はッ!」


 周哉が一つの可能性を辿り着いた時、彼女の姿は消えていた。先程まで、自分のすぐ側に居たと言うのにだ。


 そこには何の跡形も残っていない。


「なっ、なんで……⁉」


 残されたのはチョコレート菓子の包みだけだった。


 暗雲に覆われた空は未だ、晴れそうにない────


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