第29話 再点火

 鼓膜を叩くのは止むことを知らない雨の音だ。


 それでも首が跳ね上がる衝撃と共に、周哉の頭の中は一度真っ白になってしまった。


「なっ……」


 そこに残る痛みと、口の中に滲んでゆく血の味がなければ、蹴られたと理解するのに、もっと時間がかかっていたことだろう。


 それ程までに鈴華の一撃は速く、苛烈であった。


「ちょっと、不知火団長ッ⁉ 今のは、」


「やりすぎか? すまないが、これは私と私の団員の問題だ。第九師団の皆様方には口を挟まないで貰いたい」


 彼女は止めようとする団員達を適当にあしらい、周哉の元へと歩み寄る。


「いいかい周哉くん。私はこれでも特務消防師団の団長をやってる時期が長いからね。人外の引き起こす様々な災害に直面してきたし、その被害に遭った色んな人達と向き合ってきたんだ」


 周哉は思わず萎縮してしまう。自分に向けられる冷ややかな目線と、あまりに普段と掛け離れた彼女の様子に。


 セミロングの髪を雨でぐっしょりと濡らした彼女はまるで他人のようであった。


「災害に巻き込まれた方々の多くは、心に大きな傷を残してしまう。君のように何らかの因果のせいで、望まずとも災禍に巻き込まれてしまうケースだって決して珍しくはない。けれど────そんな君たちが、自らと向き合い、再び前を向いて歩めるためならば、いくらでもお節介を焼いてやろうというのが私のポリシーさ」


 そのスタンス故に鈴華の下には、多くの人々が集うのであろう。


「自分で言うのはアレだが、私はかなり寛容だし慈悲深いと思っている。だけどな」


 けれど、そんな鈴華にも一つだけ容認できないことがあるのなら、


「だけどな、私は自他に関係なく命を粗末に扱う輩だけは許せないんだ」


 彼女は、未だ立ち上がらない周哉の首元にそっと手を添える。


 そこについた手形をなぞりながらに呟かれる言葉はどこか哀しげでもあった。


「『誰が助けた命と思っているんだ』なんて恩着せがましいことは言わない。けれど、この命は君一人のものではないはずだろう」


「僕一人の……命じゃない……」


「そうだ。君のご家族や妹さん、それに私たちだって君が居なくなっては寂しいんだぞ」


 だとしたら。自分はどのような選択をすれば良かったのだろうか?


 ──── 童っぱよ、どうやら妾たちは似たもの同士のようじゃの。


 ────お主がいくら『誰かを助ける』『命を救う』なんて耳障りの良いことを吐き連ねようと、結局は互いを憎らしく思う妾らの本質は変わらない。


 頭の中を反芻したのは蒼恋の言葉であった。


 一度燃え尽きて灰になってしまったものが元に戻らないように、一度、犯してしまった過ちを正すことはもう出来ない。


「……だったら」


 周哉の中に宿るのは、彼女と同じ蒼い炎だ。自分にはこの力の使い方が、もうわからない。


「だったら、僕はどうすれば良かったんですか! 結局のところ、『人を助けたい』ってのも、周りに不幸を振り撒くだけの自分が許されるための薄っぺらい言い訳に過ぎなかったんだッ! 貴女はそんな僕にどうすれば良かったと言いたいんですッ!」


「んなこと、私が知るかッ!」


 鈴華はあくまでも冷淡に吐き捨てる。それはまるで、縋り付く自分を跳ね除けるような物言いだ。


「答えを教えてやるのは簡単だ。けれど、それはあくまでも私が生きる中で、不知火鈴華として見出した答えだ。その価値観や生死観を押し付けたところで、結局は君を思想の隷属にするに他ならない」


「それにな、私の優秀な第十四師団の中でも一番の有望株たる明松周哉団員は、自分の齎した結果にひたすら向き合おうとする人間だったはずだ。己が力や、命と向き合い方を模索しながらに、君は前を向いて歩き出そうとしていたはずであろう」


 その答えを他者である鈴華が教えたところで意味がない。それは同様に、火垂や煉士に諭されたとしても意味をなさないのだ。


 前を向いて歩き出すためには、周哉自身がどこかで答えを見出さなくては。


「いつだったか、私は君にこんな質問をしたね。────『君にはいったい何が成せるのか?』と。いい機会だし、それを今一度、問おうじゃないか」


「……僕に何が為せるのか」


「そうさ。失敗した過去の君ではなく、これからの君が何を為せるかをここで宣言してみせろ!」


 身体が次第に熱っていくのが分かる。


 怖気付いていた膝に力を込め、強引に立ち上がろうとする。


「まだ僕は自分に自信がありません。だから「成せること」の宣言なんて、大層なこともできません。……だけど、この身に宿る力で「成したいこと」があります」


 その身に宿る人工吸血鬼と妖魔と因子は、周哉の心理状態と深く結びつく。


 そして活性化した二つの因子は傷付いた身体の修復を始めた。紅血が早鐘を打つように全身を巡り、覚悟を定めた眼差しは燃ゆる蒼炎のようにギラついていた。


「彩音さんを助けたい。どんな災害だろうと、火事だろうと、僕は彼女を救ってみせるってそう約束したから。────僕はその約束を今度こそ守ってみせるッ!」


 口に残る鉄臭さだけを噛み締めて。


 篝火はもう一度、強く燃え上がる。


「なるほど……ねぇ」


 鈴華は答えを授けてくれはしなかった。けれど、答えを聞いた彼女の口角はいつものようにニヤリと吊り上がる。

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