器に塗った漆はすっかりと乾き、仕上げに果心居士が磨いてから店子に差し出すと、店子は歓声を上げた。


「まあまあまあ、こんなに素晴らしい品にしてくださいまして! これだけ美しい品に生まれ変わったのでしたら、旦那様も怒ることはないかと思います! ありがとうございます、本当にありがとうございます!」

「いやいやいや、こっちは好きにさせてもらったほうさ。これで、自分たちもあとひと晩だけ泊まったらそろそろお暇だろうね」

「ああ……本当になにをお礼を言っていいのやら」

「いやいや、自分たちの食い扶持稼ぎのために、大道芸を店の前で行う許可をくれた。これだけで充分さ。これで舟で大坂まで辿り着ける」

「それはお礼と言えるでしょうか……」


 店子はそう言うが。

 実際作業時間の大半は待ち時間であり、待ち時間外は普通に京の街並みを散策し、買い出しやら商売やらに明け暮れていた。

 特に百合は小十郎の足のことを気にし、なんとしても舟に乗りたいと言い張っていたら、「だったら大道芸でもいたしましょうか」と提案してきたのであった。それにはさすがに百合も面食らう。


「お前は幻術士ではなかったのか? 大道芸なんて……できるのか?」

「そりゃあもう。むしろ大道芸で幻術は十八番だと思いますけどねえ。おひいさんはどうなさりますか? 綺麗なおべべを買ったんです、それ着て踊っていますか?」

「私は……踊りなんて……」


 実際に百合は踊りを踊るほど雅な生まれではない。そもそも幻術に合わせて踊るというのも意味がわからないと抗議したら、果心居士は「だったらこうしましょう」と提案してきた。


「自分の絡繰りをお披露目しますから、おひいさんは絡繰りを手回ししてくださいよ」

「……それだけでいいのか?」

「そりゃあもう。絡繰りはまだまだ物珍しいですからね。そこそこお金は落としてもらえるでしょう。自分はおひいさんが動かした絡繰りに合わせて、そこそこ見られる芸を披露しますからね」


 こうして、百合は小十郎を伴って、果心居士に連れられて、大通りに絡繰りを並べたのだった。

 用意していた絡繰りは、百合のような精密な絡繰り人形ではなく、小十郎よりさらに小さな子供が鎧兜を着て構えているものであった。


「自動では動かないんだな……」

「おひいさん。そもそも魂を移動できる術を使える人はそう多くはおりませんよ。おひいさんだって、八百比丘尼の体に残っていたから使えたのであって、普通に人間だったときは使えなかったでしょうに」

「まあ、たしかに……」


 そもそも八百比丘尼だって玉藻の前に習わなかったら、そんな術は覚えていなかったのだ。なにがどう転がるかなんて、誰にもわからない。

 それはさておき、百合は果心居士の絡繰りを慎重に回しはじめた。

 正面でそれが眺めていた小十郎は「おーっ」と手を叩いた。

 ぽこんぽこんと手を組んで踊りはじめたのだ。たしかに百合の体のように、人間に見えるほどの精密な動きはしないが、小十郎より少し小さい程度の大きさの絡繰りが滑らかに動くのは、たしかに物珍しい。

 小十郎がきゃっきゃと手を叩きはじめたのが功を成したのか、ひとり、またひとりと足を止めて立ち止まる者たちが増えてきた。

 それを見てから、果心居士は手から扇子を取り出した。


「さて、お立ち会いお立ち会い。こちらにあるはまこと不思議な絡繰り人形!」


 果心居士の朗々とした声は、皆の関心を惹くには充分だった。果心居士は扇子から水を出すと、人形の真後ろに立つ。まるで人形から腕が生え、扇子から水を出しているようにも見えた。


「この絡繰りは、南蛮渡来の技術からつくられた、不思議な絡繰り人形! 人のように動き! 人のように踊る! さすればこのようなことも……!」


 百合は言われたまま手回ししているだけだが、絡繰り人形の動きが滑らかで、まるで子供に芸を仕込んで踊らせているようにも見える面白いことになっているのだけは理解できた。しかし子供にしては重そうな体、ときどき忘れたかのように絡繰り人形だと主張するカクカクとした首の動き。それでいて淀みない踊り方。

 とうとう感心を持った人々から、次から次へとお金が投げ込まれていった。それを百合は「ありがたい」「ありがたい」と受け取っていた。

 そうこうして投げ込まれたお金を集めているときだった。


「なんだ、この人だかりは!?」


 突然物々しい人々が通り過ぎて、先程まで絡繰り人形の大道芸を見ていた客の顔つきが一気に変わった。皆、急によそよそしくなり、我先にと大通りを離れてしまった。

 顔つきは厳しいが、どうも京の治安維持をしている武家らしかった。

 百合は「どうする?」と果心居士のほうに視線を向けたが、果心居士はいつもの傾いた格好で、飄々とした態度を崩さずにいた。


「なんだ、こんなところで芸などして! しかもなんだこれは。こんな小さな子供に芸を仕込んで踊らせていたのか」

「おやおやおやおや、お武家さん。滅相もございません。自分はただ、皆に絡繰り人形の素晴らしさを見せていたところですから」

「なに……絡繰り人形? 嘘つくな。こんな精巧な絡繰り人形などあるものか」

「百聞は一見にしかずとおっしゃいますなあ。おひいさん、操るのを一旦辞めて停止していただけますか?」

「そんなことでいいのか?」


 百合が一旦手を離すと、だんだん絡繰り人形の動きは遅くなり、とうとう止まってしまった。それに武家の者たちはビクついてしまった。


「ほ、本当にこれは絡繰り人形なんだな!?」

「そりゃあもう。自分は嘘が嫌いなんで」


 そういけしゃーしゃーと果心居士が言うので、百合だけでなく、見学者のふりをしている小十郎すら半眼で「なに言ってるんだ」という顔で彼を眺める。

 武家の者たちはビクビクしながら、なにやら話し合いをしはじめた。

 やがて、こちらのほうに振り返った。


「その物珍しい絡繰り人形を、我らが主に見せてはくださらぬか?」

「はあ。それはまたずいぶんな呼び出しで。おひいさんはどうされますか?」

「我らはただ、大坂に行くための路銀を稼ぎたかっただけなのだが……」

「ならば、絡繰り人形を見せていただく給金も差しだそう。我らが主はそれらに対しては寛容だ」


 悪くない話だが、その彼らの主が誰なのかがわからず、百合は途方に暮れた。やがて果心居士は「んーんー……」と言ってから、ようやっと首を振った。


「遠慮しておきましょう。ああ、ひとつだけ忠告を」

「なんだ?」

「かつて癇癪持ちに自分の描いた絵を破かれたことがありましてなあ。その絵を癇癪持ちが破いたにもかかわらず惜しがったので、再び差し上げましたが。もしその話に思うところがあるのならば、もっと他のことをしたほうがいいと思いますよ?」


 果心居士の言葉に、あからさまに武家の者たちは顔を強張らせた。百合は訳がわからず、彼を見つめていたが、彼はきゃらきゃらと笑っているだけだった。


「この大店には世話になっておりますので、あまりここで事を荒立てたくないのです。失礼します。おひいさん、参りましょう」


 そう言いながら、立ち去っていった。

 百合は彼らの顔を眺めつつ、戸惑って果心居士についていった。


「あれを放置しておいていいのか?」

「というよりですねえ。あの方癇癪持ちですからね、いつこちらに癇癪向けてくるかわからないので、距離を置きたいのですよ」

「……いったい彼らは誰の差し金で来たんだ?」

「関白殿下でしょうなあ……」

「関白……関白? 公家?」


 百合はそこにはさすがに顔を引きつらせた。とてとてとついてきた小十郎は、わかってない顔だ。


「関白ってなんだい? 公家なのかい?」

「ええっと……関白は公家の中でも偉い身分だ……だが、彼らはあからさまに武家の者で、貴族のようななよやかではないように見えたが」

「ああ、そういえばおひいさんは十年くらい死んでいた関係で、今の時代がどんなものかはあまりわかってないんでしたね」

「……まあ、そうだな」

「京やら大坂やらに羽振りを利かせている武将が、よりによって帝に頼んで関白の座をたまわったんですよ。あの人の前の主の元に、自分は一度出入りしてたんですがね。どちらも傑物が過ぎて……まあ、かかわりたくないかかわりたくない」

「……傑物はいいことなのではないか?」

「傑物が権力と癇癪を同時に持っちゃ駄目ですよ。権力があるもんだから、誰も癇癪を止められないんで」


 そう言って果心居士は肩を竦めた。

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