百合が慌てて荷車のほうに戻ると、早速男たちが八百比丘尼のほうに群がっていた。


「なっ、なにをなさってるんですか!? おやめください!」


 百合が顔を真っ赤にさせて抗議すると、村の男たちはキョトンとしている。基本的に悪気がないのだから、たちが悪い。


「なんだい、熊殺しの姉ちゃん。混ざりたいのかい?」

「混ざりたくなんかありません! 大変申し訳ございませんが、この方はそういうのには向いておりませんので」

「そりゃ尼僧さんだしな。そっち方面は駄目か」

「駄目です。絶対に駄目です。私も駄目です。お願いですから帰ってください」

「やれやれ……熊肉に免じてやめとこうか」


 まるで百合の聞き分けが悪いような言い草に、思わず百合はがっくりとうな垂れた。一方で鍋を突いていた女性陣が百合のほうにやってきて、去って行く男たちを見ていた。


「こら! 久々に来た若い子になんてことすんだい!」

「若いのがいないから盛ってたんだろ」

「本当にどうしようもない馬鹿だねえ!」


 女性陣はぶちぶち文句を言いつつも、百合のほうに寄ってきて「すまないねえ」と謝った。


「せっかく熊肉仕留めてくれたのに、あんたなんにも食べてないだろう?」

「いえ。私は食事がなくても生きていけますから。若い人たちから順番に召し上がってください」

「そうは言ってもねえ……なんにも出さないのは申し訳ないじゃないか。酒も駄目なのかい?」

「飲めませんねえ」

「そうなのかい。申し訳ないねえ」


 まさか百合は遠慮で言ってる訳でなく、本気で飲食を必要としていないなんて言ったら腰を抜かしてしまうだろう。だからこそ、百合は技師のほうに引っ込んでいた訳で。

 百合は女性たちにそれとなく話をしてみることにした。


「先程技師さんから紹介されましたが、大坂には絡繰り技師で有名な方がおられるとか。ご存じないですか?」

「技師ねえ……うちにいる京から逃げてきたのとか?」

「その方から紹介されたんです。なにか心当たりは?」

「そうだねえ……」


 二年間、徒労に終わってもなんとかなっていたのだった。今回も特に大したネタがないのであれば、そのまま日が昇ったら村から出て行けばいい。百合はそうぼんやりと考えている中「ああ、そういえば」とひとりが酒を飲みながら教えてくれた……どうもこの村では果実を発酵させてつくる猿酒を飲んでいるらしく、果物を発酵させた独特の甘い匂いが広がっていた……。


「あの人が言っていた大坂の絡繰り技師の話だったら、ちょっとだけ聞いたかねえ」

「大坂……!?」


 それはちょうど百合も聞いていた技師の話だった。絡繰り自体が高級品なのだから、技師はどれだけいても、絡繰り技師を名乗る人間がそう多くはおるまい。

 百合が前のめりになるのに少しだけ驚きながらも、女は酒を飲みつつ教えてくれた。


「なんでもねえ、最近公方様にも覚えめでたい技師って評判さね。前に大坂を回って商売している商人がその絡繰り技師から商品を買い求めたくって探しているものの、滅多に売ってくれない変わり者ってさ。でもその道楽のせいか、公方様はもちろんのこと、有名人には顔が利くみたいだよ」

「そんな有名人だったんですか、あの人……」


 百合の絡繰りの体をつくってくれたあの人物を頭に浮かべる。技師だという以外で名前すら聞いていなかったが、まさかそこまで有名人とは思いもしなかった。人がいいとはお世辞にも思わないが、食わせ物というほど濃い人物にも思えなかった。ほどほどに好印象だと思える。

 念のため百合は尋ねてみた。


「その方にお会いしたいのですけれど、その方のお名前をお尋ねしてもよろしいですか?」

「うーん、なんだったっけ。ずいぶんと変わった名前だったと思うけれど」


 女たちは皆、顔を見合わせてしまった。百合は皆が思い出せない技師の名前を待っていたときだった。

 ひょっこりと寄ってきたのは小十郎だった。


「あれえ、姉さん。尼僧さんは無事だったかい?」

「はい。おかげさまで無事でした。ありがとうございますね」

「俺はなんにもしちゃいないけどさあ。ところで姉さん。あんた槍は得意なんだろう?」

「得意と言いますか……昔取った杵柄で使っているだけですね」


 長物の取り扱いは元は城を守るために城主の妻としての英才教育の賜物だった。今は女ふたり旅の護衛術として活用している。百合が不思議そうに見ていたら、小十郎が手を合わせた。


「なあ姉さん! 俺を弟子にしちゃくれないかい?」

「……はい?」

「あーあーあーあー……小十郎。お客さんを困らせるんじゃないよ」

「そうだよ」


 小十郎の唐突な申し出に百合が戸惑っていたら、先に女たちが遮ってくる。彼女たちの態度に、小十郎は唇を尖らせた。


「なんだいなんだい。おばさんたちにゃなんにも言ってねえじゃねえか」

「だぁれがおばさんだ、だぁれが」


 小十郎は女たちにスパンと頭を殴られる。それを百合はあわあわ眺めていたら、うちひとりが教えてくれた。


「この子、親が熊に襲われて死んでんだよ。熊避けで火は常に焚いているけれど、森の中じゃ風の強い火には辺り一面焼け野原になっちまうしね。どうにもこの子の親は運が悪かったんだ」

「人の親の話を、運が悪いで済ますんじゃねえよ、クソババア」


 それに女は「小十郎!」とまたも叩くが、小十郎はそれを手で突っぱねる。


「俺が強かったら、父ちゃんも母ちゃんも死ななかったし、毎日熊鍋だって食べれる」


 小十郎のきっぱりとした言いように、女たちは軽く手を振る。


「毎日も食べれる訳ないだろ」

「村の開拓だって畑の世話だってあるんだ。毎日毎日熊狩りなんてできる訳ないだろ」

「しかも熊は冬眠すんだから、毎日は無理」

「あーんもう、うっせえうっせえ! 話が進まねえ!!」


 小十郎がじたばたと抗議するかのように足をバタバタさせたのを見かねて、百合は口を挟んだ。


「……要はご両親を守れなかったのを悔やんで、私から槍を習いたいんですか?」

「そう! それ! 頼むよ姉さん。俺、強くなりたいんだ」

「……強くなってどうするおつもりですか? 今は戦の世の中ですけど、絡繰りが発達している以上、その時代だっていずれ終わりますよ」

「絡繰りが発達すると、どうして戦の世が終わるんだい?」

「私みたいに体が絡繰りにでもならない限りは、絡繰りは無駄が多い技術だからですよ。その技術発展に時間をかけられるということは、それだけ平和な場所で生まれたという話です……大坂は場所が場所ですから、戦ができないおかげでしょうね」


 百合の説明に、小十郎は本気でわからんという顔をしてみせた。女性陣も、似たり寄ったりな顔だ。

 さすがに開拓農民たちは明日の食い扶持のことで頭がいっぱいなのだから、それより先のことなんて見えないだろうと、百合は息を吐いた。


「まあ、戦の世が終わっても、獣にだけ武器を向けるというのなら考えてもいいですよ。人に向けない。獣だけ狙う。それが約束できるなら」

「そんなの決まってるだろう。俺はただ、熊を殺したいだけだ。人間の命を獲ったところで、飯の足しにもなりゃしねえよ」

「それならば大丈夫ですね」


 正直、百合のいた国は既に滅んでいる。その上、二年間も各地を回り、少しずつ戦が遠のいているのを肌で感じている。

 商人たちが通行できるようになったということは、それだけ平和が続いている証だ。

 だからこそ、戦の火種になりかねない武道を人に教えるのには難を示すが、熊退治がしたいだけならば、話は別だ。


「私でよければ」

「おう! 姉ちゃん」

「師匠とお呼びなさい。まずは礼儀からですよ」


 百合はそう言って頬を膨らませた。

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