二
百合は小十郎に案内された掘っ立て小屋に足を向けると、カンカンと金槌を振るっている男の姿が目に入った。
机、棚、荷車。なんでもかんでも直すのが「たっさん」と呼ばれた男の仕事らしかった。
「たっさーん、お客さんだよ」
「あいよ、小十郎……ずいぶんな別嬪さんだなあ。まるでどこぞの城のおひいさんのようだ」
軽口を叩きながらも、男は油断ない目でじろじろと百合を見た。百合はどうにか腰を下ろして、要件を言った。
「今は無理矢理動かしていますが、単刀直入に申します。私を修理してほしいのです」
「修理ぃー? 俺ぁ医者や薬師じゃねえよ。ただの技師さ。体の修繕ならば他を当たりな……」
「いえ。私の体は人ではございません……絡繰りですから」
「……なんだい、おひいさん。訳ありみたいじゃねえか。ほら小十郎。おひいさんをちょっくら直すから、小屋に連れてきて、少し布をかけてやりな。外から若い奴らが物珍しげに見てたら可哀想だろ」
「へーい」
「たっさん」に言われるがまま、百合は彼の小屋に入る。まだいい大工がいないのだろう。ここは木の皮を剥いで小屋に引っ掛け、どうにか中を隠している様子だった。小屋の戸の前に小十郎が立てばさすがに外から中は見えなくなる。
「とりあえず壊れたって部分を見る。脱げるかい?」
「……わかりました」
もしこれが八百比丘尼の体であったら、多少なりとも羞恥は沸いただろうが、今の百合は触感という触感が失われている。羞恥で上がる熱だって上がる訳もなく、言われるがままに着物に手をかけ、修繕箇所を診てもらうことにした。
国境の門番に壊された箇所を技師はまじまじと診て「なるほど……」とごちる。
「たしかにおひいさんは訳ありと見たね。しかしこれだけ腕のいい絡繰り技師、大坂でだって指折りだろうに」
「私も名前は聞いてはおりません。直せますか?」
「直せる直せる。ただ、一度右腕をばらさないといけないが、大丈夫かい?」
「それはもう」
「……あんたがどういう理屈で人間辞めて絡繰りになってるかは知らねえが、あんまり迂闊なことを言うもんじゃねえぜ」
「……はい?」
「女が見知らぬ男の前で服を脱ぐ、そして体を不自由にされる。そこに危機感を覚えないというのは、いささかまずくないかい?」
「……絡繰りの体ではなく、人間の体であったのなら、きっと羞恥でかっかと熱くなり、恥を忍んで頼んでいたかと思います。ただ、今の体では羞恥を浮かべたくても上がる熱もなく、そのせいで全てが私の上を通る他人事のように感じるのです。それが嫌だからこそ、旅を続けているのだと思います」
「なるほど……なりたくて絡繰りになった訳ではないんだな」
わざわざ諫言まで告げてくれた「たっさん」はいい男らしい。それ以上の忠告はすることなく、百合からスポッと外れてしまった右肩から腕を取ると、そこの修繕をはじめた。油を差して動きやすくしたあと、壊れた箇所に木を当てて注ぎはじめる。まるで着物の端切れの注ぎのようだと、百合はぼんやりと思った。
その手際のよさに、百合は「まあ……」と声を漏らした。
「すごい腕利きなんですね。絡繰りの体をいただいたとき、あいにく私はくたびれて眠ってしまい、よく見ていませんでしたが。見事なものだと思います」
「これは応急処置って奴で、腕利きっていうのはもっと完全に直すことだと俺は思うよ。もっとも、開拓農民の村で、いい材料やいい道具を揃えてこしらえるっつうのは骨が折れる。とてもじゃねえができるもんじゃねえさ」
壊された箇所が修繕され、みるみる直っていき、それを嵌められる。百合は嵌められた腕をぐるぐると回しはじめた。
「違和感は? 触感がないと言ってたが」
「ありません。ありがとうございます。助かりました」
「そいつはどうも。しかし、何度も言うがあんたのそれをつくった絡繰り技師は凄腕だよ。それに……さっきからやっているあんたとのやり取りを見ていたら、少々不安だからね。今は応急処置ができるが、その内とんでもないことになりそうだ。悪いことは言わねえから、あんたの絡繰りをつくってくれた技師をちゃんと探しな。本格的な修繕が必要になった場合、その技師じゃないと無理な部分が多々あった」
「お心遣い感謝します」
百合はそう言いながら、着物を着付けた。その仕草を見ながら、「たっさん」はボリボリと髪を掻いた。
「こんなおひいさんを絡繰りにしちまうような罰当たり、いったいどこのどいつなんだ、おい……」
その言葉を、百合は複雑な気分で聞き流していた。
(私を絡繰り人形にした方は、既に亡くなっていると思います)
今の百合は、体温のない絡繰り人形か、呪いの塊である八百比丘尼のものかしか、体を持っていない。そのどちらもが、ひどく歪な欠陥を抱えている。それだけの話だ。
****
夜になったら、皆で解体した熊を鍋にして食べていた。熊肉に大量の干しきのこ、味噌、酒を放り込んで似ている。熊肉はどうしても臭くなりやすいが、百合がさっさと刺し殺したせいなのか、その日の熊はすぐに血抜きができたおかげか、言われているほど臭くもなく、皆でわいわい言いながら食べはじめた。
その元気な姿を見ながら、百合はどうしたものかと未だに荷車に乗せたまんまの尼僧を見た。赤々と燃える火が照らし出す彼女は、よく寝た無害な女であった。
「なんだい姉さん。食べないのかい?」
小十郎がわざわざふたつ器を持ってきたので、慌てて百合は首を振った。
「いえ。私は修繕が終わりましたらすぐ村を離れる予定でしたから。食事はいりません」
「そうなのかい?」
どうにも小十郎は律儀に見張りをしてくれてはいたが、百合の体が絡繰りだということまでは聞いてなかったようだ。いや、開拓農民がそもそも絡繰りを知っているかも怪しい。
百合は皆が歌いながら熊鍋を食らっているのを眺めつつ、小十郎に尋ねる。
「大坂に行ってみたいと思うんですけれど、ここから大坂まではどうやっていけばいいですか?」
「んー、大坂かい? あそこはもうちょっと西に行かないといけないけど……でも大坂まで出てどうするのさ?」
「絡繰り技師を探したいんです」
自分に絡繰り技師を紹介してくれた尼僧は、彼は大坂の絡繰り技師だと言っていた。大坂もきっと広いだろうが、あそこは京に近い分だけ守りも堅い。そこならば安全に絡繰り技師を探して、自分の体を完全に修復しつつ、あちこちで商っている人々から人魚の情報を得られるかもしれない。
少なくとも、開拓農民の村ではこれ以上聞けることもないように思ったのだ。
小十郎はいまいち百合の話をわかってなかったみたいだが、口を開いた。
「ふうん。そうかい」
「はい」
「なら姉さん。俺も行っちゃ駄目かい?」
「……はい?」
思わず百合は目を瞬かせた。小十郎は屈託なく言う。
「うちの村、まだできたばっかで食いっぱぐれてるからさ。このまんまじゃ駄目だと思うんだよな。だからどこかの殿様に仕官するとか、商売をはじめるとか、なんかここじゃないどこかに行ったほうがいいと思うんだよなあ……」
「ですけど、あなた熊に手も足も出なかったじゃないですか。危ないですよ?」
「なんだい、それ。姉さんだって女ふたり旅やってるじゃないか。俺だって」
「私のはちょっと違いますというか……」
「ところでさあ、あの尼僧さん、荷車に乗せたまんまでいいのかい?」
「はい?」
いきなり全然違う話をされ、百合は戸惑うが、小十郎はあっけらかんと言う。
「この村はさあ。本当にまだなあんもねえんだ。やることとなったら盛ることだけ。女ひとりを、それもあんな別嬪さんな尼僧さんをひとりにしてたら、まあ。やることは決まってるよな」
百合は思わず悲鳴を上げた。
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