ぬっぺっぽう

 荷車はカラカラと鳴る。

 先程の男たちから聞いた村はこの辺りだろうかと見てみる。

 幸いなことに荷車を引ける程度には道は舗装されていたものの、とてもじゃないが行軍は無理な細い道であった。最初は平べったかった道も、だんだんと急斜面になっていった。もし百合が絡繰り人形の体でなかったら、この急斜面で荷車を引くのはまず無理だっただろう。


「ここは……開拓農民の村なんでしょうかねえ」


 開拓農民とは、戦のせいで農地を手放した農民たちの中でも新たに農地を手に入れるために山を切り拓いている者たちのことを差す。

 特に戦の活発な場所であったら、男は兵役に駆り出され、女は避難に明け暮れるため、農作業ができないため、年貢を納めることができない。そうなったら生活ができないため、農地を手放して新しい農地を求めることは、戦乱の時代にはよくある話だった。

 百合がそう思っていたら。


「助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ…………!!」


 子供の悲鳴が聞こえた。それに百合は驚いて視線の先を見た。子供が必死な形相で木に登っている姿が見える。そしてその子供を追うもの……それは子供よりもひと回りは大きな熊であった。

 家の手伝いで薪でも拾いに来たのだろう。木の下には枯れ木がばら撒かれていた。それに百合は「まあ……」と声を上げる。

 猪はときおり畑を荒らすために、罠をつくって仕留めることは百合のかつて住んでいた城下の農地でもあったが、熊ははじめてだった。なによりも人間と同じ速さで木によじ登るのがおそろしい。

 獣は下手をしたら人を餌にしてしまう。

 百合は多少壊れてはいるものの、仕方なしと槍を携えた。男たちから奪った一本で狙いを定める。


「その子を襲うのは、お止めなさい…………!!」


 槍は大きく音を立てて、熊の脳天目掛けて突き刺さった。途端に血が飛び散り、呆気なく木の下に落ちていった。


「あ、あわわわわわわ…………」


 子供はしばらく固まっていたが、百合は槍を抜きに熊の元へと出て行った。絡繰り人形の腕力で突き刺した槍は、たしかに熊の命を奪っていたことに、心底ほっとした。


「熊は死にましたよ、大丈夫ですか?」

「あ、あわわわわわわわ……姉さん、強いんだねえ……」


 子供は本当に怖々と言った様子で、そろそろと降りてくると、熊を見て、あわあわとしていた。着ている着物はボロボロの麻で、帯で無理矢理絞めている。髪も麻紐で括っており、毛先はボーボーだ。

 その子があわあわと熊を眺めているのに、百合はきょとんとしている。


「どうかなさいましたか?」

「あー……姉さん、もしかして熊を知らないのかい? 熊は血のにおいを嗅いじまったらすぐに気が狂っちまうんだ。だから本当だったら火を焚いてにおいを消すんだけれど、こんなどころで火を熾せないしなあ……仕方がない。熊を担いでいくか。姉さん、荷車があるんだろう? あれに熊を乗せられないかい?」

「はあ……そうなんですね。ちょっと待ってください」


 百合は荷車で寝転がっている八百比丘尼を端に寄せると、熊をさっさと担いで乗せた。子供は尼僧が寝転がっているのにぎょっとしている。


「なっ……! 姉さん、なんで尼さんが寝てるんだい!?」

「はあ、このひとはそういうもんですから」

「いやいやいや、寝て起きて熊が正面にいたらこの人腰を抜かしちまうよ!? いいのかい!?」

「いいもなにも……私は既に熊が死んでいることを知っていますから……これを運べばいいんですね?」

「うん……本当言うと、もっと上手くやれたらよかったんだけど、場所が場所だからしょうがねえや。このまま村まで運んでおくれ」

「わかりました」


 とんちんかんな会話を繰り広げながら、百合は久々に小さな子と一緒に歩ける時間を喜んだ。城下にも農村の子がいたし、家臣の中で子供が生まれたという話を聞いて皆で祝ったものだった。百合はついぞ子供をつくることができなかったが、それでも子供は好きだった。

 一方の子供は、百合の微笑ましそうな顔を怪訝に思いながらも、一緒に歩きはじめる。


「それにしても姉さん、女ふたり旅って危なくないかい? ここいらだって人買いが出たりするもんだから、皆ピリピリして国境に門番を置いてるんだからさあ」

「そうですね。普通の女ふたり旅であったのなら、苦労したと思いますが……私は強いですから」

「その尼さんはあ?」

「彼女は寝ているのが仕事です。彼女が起きない方がいいんですよ」

「そうなのかい?」

「ところで、あなたの村は開拓農民の村だと思いますが……技術者はいらっしゃいますか? 修理工です。あなたの村の方らしき方から教えていただいたのですけれど……」

「うん。修理工なら、裏の三郎がそうだよ。なんでも直せるんだ。一時期は京で羽振りを利かせてたらしいけど、今はきな臭いからね、逃げてきたんだと。それでもかなり腕が立つから、物々交換で生活してるよ」

「なるほど……ありがとうございます」


 京がきな臭いという言葉に、百合はなんとも言えないものを感じた。

 元々京は公家たちが生活をしていると聞いていたが、その公家がなにをしているのかは百合にはいまいちピンと来ていなかった。ただ、国が乱れるときの予兆は、京から避難してきた人間が出てきたときだ。本来ならば帝のいる京が一番平和にもかかわらず、そこから一般人が逃げ出す羽目になるとなったら、相当国が乱れている証拠だろう。


(十年も寝ていたから、あまり今どこでなにが起こっているのかはわかってないけれど。それでも今は私が城にいたときよりもよっぽど乱れている時代なんだわ)


 その中でも逞しい者たちはいる。

 現に「カァーンカァーン」という木を切る頼もしい音が響いている。

 舗装されている道といい、木を切り拓いて村をつくっている者たちといい、頼もしい限りだった。切った木は乾かされ、それが木材となる。

 畑はつくられてはいるものの、まだ土が硬くお世辞にもふくよかとは言えない様子だった。そこを必死に開墾している様が見える。

 やがて、子供が叫んだ。


「皆ー! 熊を殺したー! 久々の馳走だよー!」

「なんと!」


 途端にざわついた。たしかに肉なんて、猪や熊、鳩や鹿を仕留めないと食べられる訳がなく、ましてや熊を仕留めるのには狩人としても腕が立たないと難しいのだが。熊を仕留めてきた女のおかげで、今晩は久々に馳走にありつけそうなのだ。

 百合は村をぐるりと見た。

 掘っ立て小屋のような家が数件。まだ乾いている土地。まだ水の出ない井戸。それでもどうにか川から水を引いて水路をつくり、洗濯や生活用水は確保している。木の実やきのこ、川魚を干して、なんとか生活できるように整えている真っ最中だったようだ。

 男たちは早速熊を解体に荷車から熊を担いでいく中、当然ながら百合が乗せていた八百比丘尼の姿に驚いた。


「なんだい……なんでこんなところで尼さんが寝てるんだい?」

「ええっと。このひとはそういうひとなのでお気になさらず。それより、少々技師の人とお話をしたいのですが、よろしいですか?」

「ああ、おい小十郎こじゅうろう。お前たっさんのところに案内してやりな」

「はいよぉ」


 百合をここまで案内してくれた子供……小十郎は頷くと「姉さんこっちだよ」と先頭を歩きはじめた。

 皆服はボロボロだし、まだ畑もできていないが、それでも目は爛々と輝き、熊の肉を解体しては騒いでいる。誰もかれもが、生きることに必死な生き汚さが、ひどく美しいものに百合には思えた。

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