四
百合は眠る必要がなく、絡繰りの修理をしてもらったお礼ということで、寝ずの番をしていた。皆が皆、家に引っ込んでしまい、あたりは静かだ。
ただ弟子入りしてきた小十郎だけは、足下に引っ付いてきたのでそのままにしておく。
「お父様とお母様が亡くなられてから、どうやって生活してたんですか?」
「人手が足りないから、あっちこっちの家に順繰りで面倒見てもらってた。子守とか畑の雑草むしりとか畑を荒らす鹿の駆逐とか、仕事はいろいろあったから、追い出されることはなかったんだよ」
「大変だったんですね……」
「うちがたまたま村ができたばっかりで人手不足だったから助かったんだよ。もし畑ができてて、領主様に税を納めないといけないってなったら、食い扶持減らすために村から叩き出されてた。そのまんま野垂れ死にしててもおかしくなかったんだよ」
小十郎が淡々と言い切るのに、百合はなんとも言えない気持ちになる。実際問題、親の死んだ子供ほど悲惨なものはそうそうなく、小十郎のように、人手不足のためにあれこれやれる仕事があるんだったらまだいい。赤子だったら捨てられていただろうし、もう少し大きくなっていたら人買いに売られていてもおかしくはなかった。単純に運がよかったのだ。
わかってはいても、納得できるかは別問題。百合は小十郎が槍と一緒に膝を抱えて座っているのを見ていた。
「師匠は? あれだけ槍を使えるということは武家の出なんだろう? なんで尼僧様連れて旅してんだい?」
「私は……人魚を探して旅をしているんです。人間になりたいですから」
「にんぎょ? なにそれ」
「私も見たことはありません。ただ噂によると、半分人で、半分魚の生き物だそうです。その肉を食らえば不老不死になり、その肝を食らえば不老不死から解放されると、そう聞いています」
「ふーん。薬みたいな生き物だな。そんなもの探してどうするんだい? 売るのかい?」
「売りはしませんね。尼僧様にあげることになると思いますよ」
「うん?」
小十郎は百合の言いたいことの意味がわからず、コテンと首を傾げた。その仕草が可愛く百合には見え、少しだけ笑った。絡繰りでも笑うことができるのだけは幸いだった。
「ところで、私は修理のお礼に寝ずの番をしていますが、小十郎。あなたは違うでしょう。そろそろ眠りなさい」
「えー……師匠は起きてるのにぃ?」
「あなたは弟子である前に子供です。寝られるときに寝ることも、また修行ですから」
「そんなものなのかい?」
「眠れる体があるっていうのは、素晴らしいことですよ?」
実際問題、百合は絡繰り人形になってからというもの、一度も寝たことがない。
八百比丘尼の体はそもそも不老不死だから、睡眠がなくても生きていける。絡繰り人形は寝ない。そのため、彼女は昨日と今日の境というものが消失してしまった。
眠れないということは、全てにおいて区切りがなく、脈々と続いていると痛感すること。気分転換ができる訳でもなく、気持ちを切り替えられる訳もなく。
百合は二年間、ただ昼と夜が繰り返し絶え間なく続くのを眺めていた。空の色が変われども、季節は移り変われども、朝が終わって昼になり、昼が過ぎ去り夜が来る。これだけは絶えず変わらない世の営みだと痛感していた。
せめて引っ掛けるものだけでも用意しようかと、百合が立ち上がったとき。
ひどく気味の悪い水音のような足音がすることに気付き、百合は槍の柄を握りしめた。
「……なんですか?」
「な、なんだよ」
小十郎はカタカタと震えていた。
なにかがやってくる。ヒタリ、ヒタヒタ、ヒタリ……。ずいぶんとぬめった足音を立てて、それが寄ってくるのに、小十郎は歯をカタカタと鳴らし、とうとう「わあっ!」と叫びながら自分の槍を投げつけた。しかし、それはただ地面に突き刺さっただけで、なにかを突き刺した訳ではなかった。
百合は槍を握りつつ、小十郎に短く言う。
「荷車の上にでも乗ってなさい」
「荷車って……尼僧様が眠ってる……?」
「はい、早く!」
有無を言わさず言うことを聞かせると、小十郎はどうにか立ち上がろうとするが、ただ膝をガクガクさせるだけで立てないようだった。
「……あ、師匠……腰が……」
「腰が抜けたものは仕方ありませんね。せめてその場でじっとしていなさい」
百合はそう短く言うと、槍を構えてなにかの元に躍り出た。
出てきたそれは、肉塊としか言い様のないものだった。顔と胴の境目がわからない。そもそも目も鼻もなく、耳の替わりに手が生えているような奇妙な生き物で、こんなものがどうしてこんな村にいるのかがわからない。
ただ。その訳のわからない生き物の口からは、明らかにその生き物のものではない血でべっとりと濡れていた。その血は熊肉よりも赤く滴っていた。
「あなた、まさか……死肉を求めてこんな場所まで!?」
妖怪は人間に関与せず人里に近付かないものもいれば、人里を餌場として徘徊するものもいる。おそらくはこの妖怪は後者なのだろう。
百合はギリッと歯を鳴らすと、そのまま肉塊目掛けて躍りかかった。
「ここにあなたの食べられるようなものは、なにひとつありません!」
突き。刺したまま大きく跳ね、地面目掛けて槍を貫いた。そのまま妖怪は串刺しになる。それを小十郎はポカンと口を開いて見つめていた。
「あああああああ……」
「肉塊の妖怪、ですか。小十郎。この辺りで戦があった場所はわかりますか?」
「わかんねえよ……この数年は、どこも平和だったから…………」
「今は小休止ということでしょうか」
残念ながら百合も十年間死んだままだったのだから、この妖怪がどこで死肉を食らってきたのか、そしてのこのここの村にまで現れたのかはわからなかった。
念のため、この妖怪の血は抜いておこうと、百合は自身の魂を飛ばすと、そのまんま尼僧の元へと飛んだ。
途端に彼女の体は地面に崩れ落ちる。それに小十郎は「ひゃっ……!」と悲鳴を上げた。
「し、師匠…………?」
「今はそやつは起きんぞ。私が起きたからな」
尼僧が起き上がったことに、小十郎は唖然とする。寝ているだけでも美しい尼僧だったが、起き上がれば、たとえ袈裟を着ていようが露出は控えめだろうが、いくらでもその美貌に目が惹かれる。小十郎もまだまだ子供ではあるが、村の女たちと百合くらいしか女を見たことがない以上、これだけ美しい女が存在する事実に、ただ口をポカンと開けていたのだった。
口を開けている小十郎をよそに、尼僧は自身の指を傷付け、そのまま血を流しはじめた。その血を妖怪に触れさせると、彼女の血が大きく脈打ちはじめた。まるで大樹が地面に根を張って地下水を吸い取るように、彼女の血は妖怪の血を脈々と吸いはじめたのだった。そのあり得ない光景を、ただただ小十郎は尼僧を見とれていたときよりも口を大きく開いた。
「これなんだい……?」
「妖怪の血抜きだ。妖怪はばらして市で売れば高く売れる」
「こ、こいつなんだかわからないけど、売れるの!?」
「旅をしていると、どうしても路銀が必要なときがある。私たちは既に国も滅んでいる根無し草な以上、金を使って要所要所を黙らせるしかないのさ。妖怪の肉は大陸の薬のつくりかたにも載っているとは、大坂の商人が言っていたな」
さも平然と言ってのけるのに、小十郎は呆気に取られていた。
師事する相手を間違えたことに、今ようやっと気付いたところだ。
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