その夜、城主は家臣たちを集めてなにやら話し合いをしはじめた。女たちは台所に入り、夜食の準備だけをする。夜食とは言ってもせいぜい昼間に残った粟をかまどからこそげ落とし、握っただけのものだ。


「また小競り合いになるんでしょう?」

「困ったものね。内通者がいるんですって」

「でも信じられて? 魂が抜けて、その情報を全部隣国に流すだなんて」


 皆も不安なのだろう、会話は密やかで、どこかよそよそしく、いつもの和気藹々とした空気には程遠い。

 百合はそれらの会話に口を挟まず作業を終えると、「お館様たちに持っていってあげて。酒は駄目。尋ねられたら酔っ払ったら話にならないと突っぱねて」と指示を飛ばす。

 そのまま百合は、牢へと向かっていった。

 見張り番はまだ交替時間ではないらしく、少しうつらうつらとしているようだった。それを見計らい、百合は牢へと入っていった。

 牢では相変わらず尼僧が座っていた。


「なんだ。もう食事の時間は終わったのではなかったか?」


 尼僧はニヤニヤとした笑みを浮かべているのに、百合は薄気味悪く思う。


(この方は……自分がやったことを本当にわかっているの?)


 それを口に出すことなく、百合が牢の鍵を差し込んだ。


「……ここにこれ以上いたら、あなたは殺されます。今は隣国との戦に備えて話し合いの真っ最中ですから……今のうちなら逃げられるでしょう。さっさとお逃げなさい」

「どういう風の吹き回しだ? 私を助けるなんて」

「……あなたがどういう意味で私とお館様の仲を引っかき回し、脅迫までなさったのかは存じ上げませんが。このままではあなたは処刑されます……あなたはひどい人ではありますが、恩人には違いありません。ですから」

「おやおやおやおや」


 尼僧の目はツゥーッと細くなった。まるで三日月のようだ。それを無視して百合は牢を開く。


「さあ、お逃げなさい。早く」

「本当に……本当におめでたいな、そちは」

「え」


 尼僧からはすっかりと笑みが消え失せたかと思ったら、牢から出るなりいきなり百合の首をガバッと掴んだのだった。その握力は、とてもじゃないが女のものとは思えなかった。百合は目が白黒とし、口からはダラダラとよだれが漏れる。


「ガッ……アァァッ……アッ」

「育ちのよさというものは貴重だな。人を疑わないし、信じることを美徳とする。この荒れた時代において、そのように信じられることがどれだけ美しいか……よい、よいぞ」


 言っていることは礼賛のはずだが、やっていることが絞首なため、百合は意味がわからず、目を白黒とさせる。だんだん視界がぼやけてくる。

 尼僧は喉でクククと笑う。


「よい、よい……その体きちんと私が使ってやるぞ……ありがたく思え」


 その言葉の意味がわからないまま、百合の意識はフツリと途絶えた。


****


「おい、起きろ!」

「情報漏洩だけでなく、北の方様になんてことを……!」

「この女は、死罪だ!」


(え……?)


 百合は意味がわからないまま、目を閉じた。

 皆が怒った顔で百合を見下ろしている。しかし、何故か視界がおかしい上に肌寒い。そこでようやく百合は自身が着ていたものに気付いた。


(袈裟……? 尼僧様の着ていたものと同じ……)


 その中、しくしくと泣く声が聞こえた。その声には聞き覚えがあった。


「私は……ただあの方が気の毒でならず、逃がしたかっただけですのに……」

「百合。お前は優し過ぎる。あのような者、生かしておく価値はない。よし、連れて行け」


 その言葉に、百合は愕然とする。


「お館様……どうして」


 そう呟いた自分の声に、百合は愕然とする。

 自分の声ではない。その声は女にしてはやや低く、それでいて艶を含んでいて……百合の年相応の高い声とは程遠い。まるで。いや。

 百合は自分に槍を向ける兵の切っ先を見て、愕然とした。

 穏やかな武士の妻の姿ではなく、妖艶な年齢不詳の尼僧の姿がそこにはあった。


(どうして……! どうして私が尼僧様に!? それに……どうしてあの方が私になっているの!?)


 しかし百合の手首は麻縄できつく縛られ、身動きすることはできなかった。そのまま彼女は木に吊される。


「燃やせ!」

 「殺せ!」

  「泥棒!」

「似非坊主!」

 「死ね!」


 足下に火が点けられる。それでメラメラと燃えはじめる。

 百合の……尼僧のつるりとした肌から、だんだん汗が流れてきたが、その汗もすぐに蒸発し、燃えさかる炎で肌が少しずつ、また少しずつ炙られていく。


「い、やああああああぁぁぁぁぁ! 違う、違うんです! どうして……! どうして……!!」


 優しかったはずの城の者たちから、怒りと憎悪を向けられる。

 親しかったはずの城主からは、冷たい視線を向けられる。

 そして自分がいたはずの場所は……城主の隣は、たしかに自分の似姿をした、全くの別人に乗っ取られている。

 意味がわからなかった。訳がわからなかった。

 百合は意味がわからず、ただ子供のように泣き叫んだ。

 熱い。痛い。臭い。熱い。嫌だ。いやだ。イヤダアアアアアアア。


「……フフフフ、ハハハハハハハハハハハハハハハハ……!!」


 しかし百合の悲痛な叫びは、だんだんと彼女のものとは程遠い低い声で、哄笑へと染まっていく。炎で嬲られながら哄笑を上げるなど、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えない。しかし、尼僧は百合が全く紡がない言葉を勝手に紡ぎ出すのだ。

 尼僧になった百合が勝手にしゃべる。百合の意思など関係なく。


「誰を燃やしたのかよく覚えておくのだなぁ……! そして眠れぬ夜を知れ。恐怖しろ。その恐怖に苛まれてこの国は滅びるのだ……!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ……!!」


 それは狐の声、女狐の声と呼ばれてもおかしくはないものだった。

 妖艶な尼僧が哄笑を上げながら炎に嬲られている。その笑い声はおぞましく、そしてこの国を呪うには充分であった。

 その場にいた怒りを孕んだ人々は一瞬怯むが、誰かが尼僧に石を投げた。それを見て、誰かが再び石を投げた。


「うるさい、黙れ!」

 「お前のせいで、この国は!」

  「勝手に備蓄を盗んだ癖に!」

「黙れ! 死ね!」

 「還れ! 還れ!」


 おぞましい光景であり、百合は勝手にしゃべり出す自分の肉体に恐怖し、彼女の煽りを受けて怒りを爆発させた城の者たちに脅え、その光景を青い顔で眺めている城主に怯んだ。しかし、たったひとりだけ泣いたふりをしながら袖で口元を抑えている百合の姿をした女に、なによりもぞっとしたのだ。

 ……口元を隠していても、鏡を見ている百合はよくわかる。あの顔は、笑っているのだ。このおぞましい光景の中、彼女だけが笑っているのだ。


(どうして……どうしてこのような地獄の光景で、笑っているんですか……)


 だんだん息苦しくなり、それ以上は百合も意識が持たなくなっていた。

 どうしてこうなったのか。

 尼僧が自分に声をかけ、煽り続けたのは最初から自分の体を乗っ取るためのつもりだったのか。自分が尼僧に声をかけなければよかったのか。備蓄泥棒の処分を早く終わらせていればこんなことにはならなかったのか。

 百合は意識を朦朧とさせながら、なにもわからないまま死ぬことだけは嫌なのにと思いながら、目を閉じた。もう、息苦しくて呼吸することすらできなくなっていたのだ。

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