七
舟乗り場に出るべく、百合と小十郎、果心居士は道を歩いて行く。
この辺りは平和そのもので、ここだったらならず者とむやみな戦いはしなくても済むだろう。
「京の都も平和でしたが……この辺りも平和なんですね」
「そりゃあもう。京には日ノ本各地からの大名の別邸がありますから、誰も彼もがわざわざ彼らを敵に回したくはないんで」
「そうなんですね……」
一方小十郎はそれに唇をぷぅーっと膨らませていた。
「それならうちの村みたいに開拓するので精一杯なところも、もうちょっとなんとかしてくれりゃいいのに」
「開拓?」
「小十郎の村は、戦で田畑を放棄するしかなくて、今は森を開拓して、なんとか田畑を再建している真っ最中なんですよ」
「なるほど、たしかに。平和になったっつうなら、それがきちんと下々のところに降りてこないとあまり意味がないからなあ」
果心居士は小十郎をねぎらうように頭を撫でるが、それを小十郎はぺいっと手をはたく。
「同情すんな。まあうちの村の連中も、夜のことばっかり考えてるけど、それ以外もたまには考えるからいいんだよ」
「そりゃまあ。娯楽がなかったら、しものことしか考えられなくなるからなあ」
「やめてください、路上で。怒りますよ」
「もう怒ってるじゃないかい、おひいさん」
既に百合と果心居士のしょうもない争いは、定番になってしまっていた。
(でも……舟に乗ったらお別れか。この方がどうして絡繰り人形の体になったのかわからないけれど、この方は初めての同士だったのに)
恋というほどふわふわとした気持ちはもうすっかりと霧散してしまったが、寂しさは絡繰り人形の器だろうが人間の体だろうが、そう簡単に薄れることはない。百合は未だに彼に対しての感情を持て余しながら、舟乗り場までの道を歩いていた。
百合の気持ちはさておき、進んでいくとだんだんと人が増えていくことに気付いた。
「この辺りも賑やかなんですね。皆大坂に向かっているんでしょうか」
「いや、なんか変じゃないかい?」
「変?」
「師匠ー、商人が多くないかい? こんなとこで行商するより、都で店を出すか、大坂まで出たほうがいいのに」
「そういえば……」
奇妙に人が増えた、というより立ち往生しているように見えてきた。それで百合たちは行商をしているひと組に声をかけることにした。
「どうかなさいましたか? 私たちはこれから大坂に出る舟を探しに出るところですが」
「ああ……やめておいたほうがいいよ。今舟乗り場は少々荒れてるんだ」
「荒れて……まさか京のお膝元で揉め事ですか?」
「違う違う。今妖怪が出たとかで舟乗り場まで入れなくなってるんだよ」
「穏やかじゃないなあ……妖怪ってえのは?」
果心居士に促され、行商がちらちらと舟乗り場の方角を見ながら口を開いた。
「なんでも河童が暴れてるって」
「河童ですか……」
河童は水神の眷属とも言われている、いまいち詳細の掴めない妖怪だ。そもそも河童は尻子玉を引っこ抜くような悪事は働くが、それ以外では行商たちが足を止めるようなひどいことをする妖怪でもない。
百合は小十郎に言う。
「ここで行商さんとお待ちなさい」
「ええ……俺も妖怪退治に行くよ」
「人の子でしたら、妖怪に尻子玉を引っこ抜かれるかもわかりませんよ」
そう言った途端、小十郎共々行商までも尻に手を当ててしまった。それに百合はクスリと笑いつつ、果心居士に尋ねる。
「果心様はどうなさいますか?」
「自分かい? まあ、舟がなかったら丹波にも大坂にも行けないからなあ……一緒に行こうか。どのみち尻子玉を抜かれないのが行ったほうがいいだろうしね」
「わかりました。あと小十郎、荷車をよろしくお願いします」
「はあい」
百合は荷車とそこで寝ている尼僧を小十郎に預けると、槍を携えて出て行った。果心居士は相変わらず傾いた格好のままで、どこに得物があるかはわからないが、一緒に行ってくれるので心強いと思うことにした。
****
川の流れる音が響き、本来ならば人も舟も行き交う重要な場所だろうに、今は船頭すら立っていない。舟はどれもこれも逆さまになって浮いている。
「これは……」
「やっこさん、ずいぶんと暴れたみたいだねえ……」
舟乗り場でぴょんこぴょんこと大きく跳ねるのは、苔むした肌色をして、頭に皿を載せた男のような姿の妖怪であった。
あれは紛れもなく河童であろう。
「クケケケケケケッ」
「あなた……こんなところでなにをなさってるんですか!?」
「クケッ!」
「もう! お止めなさい!」
河童はいきなり大きく舌を伸ばして、それでぬるりと百合を掴もうとしてきた。その舌の長さは、蛙の捕食を思わせた。百合はそれを無視して、自由な腕で槍を舌に突き刺すが、河童は「クキャッ」と嘲笑うような声を上げるばかりで、ちっとも効いているようには見えなかった。
「な、んなんですか、あなたは……!」
「クケッ!」
もしも年若い女であったら、舌に絡め取られた時点で気味が悪くて戦意喪失しているだろうが、いくら触覚を多少増やしてもらった百合であっても所詮は絡繰り人形である。気持ち悪いというより先に、不愉快さが勝って、苛立ち紛れに槍でグリグリと舌を抉るが、河童はなかなか舌を離してはくれなかった。
「勘弁してもらえるかい、おひいさんの体は折角自分が好みにつくったんだ。壊されたら困る」
そう言いながら、果心居士は背中に背負っていた包みから絡繰りを取り出すと、躊躇わずにそれを河童に向かって投げた。かつて曲芸として、百合や小十郎を交えて商売をしていた子供の大きさの絡繰り人形がぴょーんと飛ぶと、河童の頭に乗ってポカポカと短い腕を振り回して殴りはじめた。
「クギャックギャギャッ」
舌の力が抜け、百合は慌てて拘束から逃れて果心居士の元へと走る。
「……あの河童、殴っても差しても、びくともしません」
「そうみたいだねえ。自分のつくった絡繰りの暴力を浴びてもピンピンしてる。しかし、この一匹だけなら、舟乗り場がこうも閑散とするのかね」
「普通の方では対処はできないとは思いますが」
「うーん……そもそもなんで河童が暴れてるのかね?」
そんなこと言われても、百合は妖怪の行動原理なんてわからない。暴れていたら殴れば終わると思っていたので、そう言われたのは初めてだった。
そんな中。
「みゃあ」
百合の懐から鳴き声が聞こえた。
雷獣のぽんであった。
「……ぽん。あなた京にいる間、ずっとここにいたんですか?」
「ああ、この雷獣ずっとお前さんから離れないと思っていたから放っておいたが、普通に飼っていたのか」
「飼ってはいないんですけれど」
懐から出てきたぽんは、しゅるしゅると百合の頭の上まで昇ると「みゃあみゃあ」と訴える。
「あの……まさかと思いますが、河童に雷と落とす気ですか?」
「みゃあ」
違うと言いたげに首をぷるぷると振る。ふたりのやり取りを見ていた果心居士は、しばらく見比べていたが、やがて自身の戻ってきた絡繰り人形を荷に包み直しながら言った。
「……川に雷を落とす気かい?」
「みゃあ」
「それ大丈夫なんですか……」
「まあ、雷獣がやると言っているんだから、今はそれに賭けようじゃないか。どっちみち河童が暴れてちゃ舟は出せないし戻って来れない。大坂にも丹波にも出られないんだからなあ」
「じゃあ、ぽん。お願いできますか?」
「みゃあ」
ぽんは頷くと、そのまま「みゃあああああ」と空に向かって声を上げた。
次の瞬間、白刃がきらめいた。
ここに小十郎がいたら目を焼いていただろうが、幸いにもここには人間がいない。ただ、雷でビリビリと震える河川と、そこから浮き上がった大きな魚がいるだけだ。
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