百合たちが寝泊まりしている大店の付近は、元々大店や武家を相手取って商売をしている場所なのだろう。百合たちが泥棒を捕まえた路地よりも、気のせいか通る人々が上品だ。さながら、どこかの大店の奉公人や、武家屋敷で中勤めをしている者たちが主だからだろう。

 その中で、着物を買いに行くというのに、百合は慌てていた。


「大店で買えるような路銀は持っていない。そもそも大坂に行くために路銀を稼ごうとしていたのに」

「おやおや、大坂に行くのに、歩かず舟で行くつもりで?」

「私はともかく、小十郎をこれ以上歩かせる訳にはいかない」

「尼僧様が荷車でぐっすりと。絡繰り人形は昼夜関係なく歩くからで? それを連れの少年にも求めるからで?」


 果心居士に指摘されることに、百合は反論ができなかった。


「……ああ、そうだ。絡繰り人形は感覚がない。痛みもないし、疲れもない」

「なるほど。自分のつくった絡繰りに魂を入れているとずいぶん不自由なのですなあ。おひいさんは」

「悪いか」

「いえいえ。ただ、憐れだとは思いますね」


 この男の言葉に、いちいち反応している百合は、少しだけむかっ腹を立てた。


「……もういい」

「ですが、今のお前さんは、言っていることと考えていることは大差ないはずでは? 呪われている体であったとしても、思っていることと言っていることが一致しているならば、言葉遣いは誤差の範囲でしょうが」


 そう言われて、思わず果心居士を置いて大店に戻ろうとしていた百合は足を止めた。

 そうなのだ。果心居士といるとき、百合は八百比丘尼の体に入っても、考えていることと言っていることに大差はなく、その上八百比丘尼がときおり放つ余計なことを一切言わないのだ。


「貴様、この体になにをした?」

「いえいえ。自分ができることは、けっこういろいろあるんですよ。最近は技師として羽振りを利かせてはいますが、場所によっては、妖術師とか幻術士とかの謂われを欲しいままにしてきましてね」

「私に……妖術か幻術をかけたというのか?」

「残念ながら、あなたの本来の口調や性格というものは存じ上げません。しかし見た目はあなたから事細かく聞き及んだので、それに合わせることができます。あとは、できる限りその見た目に沿う言動をするよう、ちょちょいのちょいで幻術を試みるだけ。自分も万能ではありませんから、その尼僧様の体全体に及んでいる呪いを解くことは不可能ですが、これで言動はあなたの意思を持ってしかしないはずですし、余計なこともしないはずです」


 それはもう、幻術や妖術の範囲に留めていいか、百合はわかりかねた。ただわかるのは、八百比丘尼は数百年も前に人魚の肉を食らって不老不死となり、結果として魂が腐り果てて肉体が完全に呪いの塊と化した存在。その呪いを抑え込んでいるということになる。


(この方……もしかして本当にすごい人なのでは。もし、この人がいてくれるんだったら、あるのかどうかさえわからない人魚の肉を探すなんてことをしなくても、私は人間に戻れるのでは……!)


 藁にもすがりつきたい調子で、百合は手を伸ばそうとした。


「ならば……貴様は人の器をつくることも、できるのか……?」

「はあ。それならおひいさんの体は、たしかに呪われてはいるものの、人のものではないですかい?」

「こんなものが、人の体であるものか……」


 百合はガリッと爪を立て、血を流す。血が勢いよく流れても、百合が意思を持って操らない限りは、すぐに傷口は塞がって血も止まってしまう。

 その様子を、小十郎は心底嫌そうな顔で見上げるが、果心居士は顔色ひとつ帰ることもなく眺めていた。


「これを見ても、まだ貴様は私を人だと言えるのか? これが人であるものか。これでは化け物だ……」

「はあ……はあはあ。おひいさんはつまり、化け物に引き摺られて、自分も化け物になっていく言い訳を探したいので? 頑張ってます。結果は出てませんけど。でも頑張ってるんですだから化け物になっても許してくださいと、そうおっしゃってるんで?」

「……そんな訳、あるかあ!?」

「いやいや。その呪いの本能に抗おうとすることこそ、人間だという証なのでは? たしかにこの体は呪いの塊で、魂が強靱でなければ、簡単に自我を削り取って我が物として食らい、自分自身に染め上げようとするけれど。魂が強靱ならば、そう簡単に食われることもありませんやな。魂は肉体と違い、頑張れば鍛えられるというもんでもありませんがね」


 立て板に水とばかりに、果心居士はペラペラとしゃべった。

 それ以上百合はなにも言えず、ただ俯いた。

 ふたりの問答を黙って聞いていた小十郎は、小首を傾げて果心居士を眺めた。


「なあ、あんた。もしかして師匠を慰めたかったのか?」

「おや。坊主にはそう聞こえて?」

「俺は師匠の苦悩はちっともわかんねえよ。ただ師匠はできる限りは尼僧の体になりたくないって言っているだけで。絡繰りの師匠が本来の師匠なんだろうなあとは、俺もなんとなく思うけど」


 小十郎はなんとか言葉を搾り出そうと、眉根に力を込めながら、言葉を続けた。


「ただ、尼僧様の体にしろ、絡繰りの体にしろ、師匠は師匠自身を大事にしないから。自分を大事にしなかったら簡単に死ぬのに。死なないってことは、自分自身を大事にしなくなることじゃないのか? 俺は、師匠のこと好きだから、もうちょっと自分を大事にして欲しいけど」


 小十郎の言葉に、果心居士は満足げに手を伸ばすと、そのまんま彼の頭を撫で回した。それを百合は聞いていた。


「小十郎、お前には私がそういう風に見えてたか?」

「うん。腕すぐもぐし、直るからってすぐ血塗れになるし」

「あはははははは、お前さんは、まずはもっと自分を大事にするところからはじめればいいさ。そのための第一歩が、化粧して着飾ることさ」


 こうして百合は、引き摺られるがまま反物を扱っている大店へと引き摺られていくことになったのだ。


****


 反物屋に並んでいるのは、城勤めしていた百合であったとしても見たことのないような趣向を凝らした布の数々が売られ、それに目眩を覚えていた。

 ほとんど安い麻布しか知らない小十郎は「すげえ、色が派手だすげえ」と素直が過ぎて特に褒められた気のしない言葉を並べてぴょこぴょこと眺めていた。

 果心居士は反物屋に何枚も布を見せてもらってから、白地に藍色の花をあしらった布地を選んだ。


「すまないね、これで着物を仕立ててくれるかい?」

「かしこまりました。女性もので?」

「そうとも。ここの別嬪さんに似合うようにしておくれよ」


 そう言いながら反物を口を開けて眺めていた百合の肩を抱きながら嘯くのに、百合はまたしてもイラリとした。

 果心居士は百合と小十郎と出会ってから、いいことしかしていない。

 京に滞在中の間の住処と食事の手配、絡繰り人形の修繕、その上、こうして着物を見繕ってくれた。彼に対して、感謝しかないはずなのに、何故か百合は苛立っていた。


(私、この方のなにをそこまで気に入らないのかしら……)


 百合自身、それがなんなのかがわかっていなかった。

 彼女はかつて城主を愛していたが、そもそも婚姻自体は親同士で取り決めたものだった。そこに自分が意見する隙はなかった。だからこそ、彼女は自由を未だに理解しきれていない。

 だから彼女自身は、自分の気持ちが本気でわかっていなかった。

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