果心居士

 この傾いた男、果心居士は、なにやらなんでもできる男であった。

 物が壊れたらすぐ直せる。さすがに漆を使うものであったら乾かして削って塗ってを繰り返す関係上そこまで早くはないものの、棚、小箱。

 器の修理の最中、店子たちが壊したものを直してあげては、ずいぶんと感謝されていた。それを小十郎は「はあ……」と口を開けて見ていた。


「なんでい、坊主。師匠を変えるかい?」

「変えねえよ。でもまるで幻術みたいになんでもできんだなと」

「ははははは、そりゃまあ。壊れた原因さえわかれば、なんでも直せるもんさ。お前さんの師匠もな」

「師匠、ばらばらじゃねえか」

「そうしなかったらまずかったんだよ。いったいどんな旅をしてたんだい。久々に会ったらあちこち見事に壊れて」


 小十郎が気まずい思いで視線を逸らす先には、百合の器となっている絡繰りが、ものの見事に分解されてしまっていた。

 腕は外れているのを漆を塗って補強されているし、関節部分の要はヤスリがけされている。首より上だけはなにもされていないものの、残りの部分は全て修繕しなかったらどうしようもない有様だった。


「前に聞いたとき、八百比丘尼の体に魂をどんどん穢されて、最終的に取り込まれると聞いていたとき、体のほうが最終的に優先されると思っていたんだが……いつ完全に機能停止してもおかしくなかった体を動かしていたのが魂だとすると、話は大きく変わってくるなあ」

「直るのか?」


 そう声をかけてきたのは、百合の魂を移された八百比丘尼であった。しばらくこの大店に滞在する以上、袈裟でうろうろする訳にもいかず、どうにか百合の着物を着せてみたが、体型が元々違うせいで、彼女が着ると胸が露骨に出て、ひどく艶めかしくなる。

 それに果心居士はカラカラと笑った。


「俺を誰だと思ってる。あんたのべっぴんさんな絡繰りをつくった男さ。これくらい造作もねえが……器と同じだけかかるさ」

「ふん。つくるのは安し、直すのは遅し、か」

「あまりカリカリせんでくれよ。こっちだってできる限り速く直そうとしてるんだからさ」


 そう言って果心居士が笑った。それに八百比丘尼は「ふん」と鼻息を立てた。


「まあ、気長に待ってやる」

「そうか、そいつはどうもぉ」


 その中、魂の百合は違和感を持っていたが、八百比丘尼の体に入っているせいか、上手く言葉にすることができずにいた。


(不思議……いつも私がしゃべるとき、八百比丘尼は勝手に私が絶対に言わない言葉を捲し立てたり、思ってもいないことを言い出したりするのに……言葉遣いが私のものとはずれているだけで、あまり変わってない……この人、本当にただの技師なのかしら?)


 思えば言われなかったら人間としか思えないような絡繰りをつくる技術。芸術品のように仕立てられた由緒正しい器。その才能は度を超えている。

 百合は自分の体のように普通に使える八百比丘尼の体に感謝した。

 自分の魂さえ削り取られる心配がなければ、普通に食事ができる。普通に酒も飲める。店子が用意してくれた食事をありがたくいただき、眠りにつく。

 それができることがどれだけ貴重なことか、この二年間の内に百合は思い知っていた。


****


 夜が終わり、朝が来る。

 絡繰りであったら眠りは必要なく、朝から昼、昼から夜までは全て一直線であり、淀みなく繋がっているものだった。

 しかし眠りに就ける体であったら、夜と朝の境はわからず、久々によく眠ることのできた百合は「ん……」と喉を鳴らしながら起きた。

 彼女の浴衣はややはだけ、店子に頼んで少しだけ大きめの浴衣に替えてもらうべきか考える。その中で、百合は果心居士が百合の絡繰りの部品ひとつひとつにヤスリがけをしているのを目にした。


「ずいぶんと細かい作業だな。初めてこの器をつくったとき、ここまで長い作業だったか?」

「そりゃそうだ。あのときは急いでつくってあげなきゃ可哀想だったしなあ……この呪われた器では。今はまともにしゃべれてはいるかい?」


 そう尋ねられ、百合は俯いた。

 口調こそ変わってしまうものの、百合の意に反する言葉は滅多に出ない。


「……問題ない」

「ならよかった」

「しかし、お前は何者だ? ただの絡繰り技師にしては、物事が細か過ぎるし……これだけ人に近い絡繰りなんて、売るとなったらもう大名でもなければ買えないのでは? 私は……お前になにも支払えていない」

「いやいやいや。ただの善行でお前さんに絡繰り人形を与えた訳ではないさ。おひいさん」


 そう言って百合の部品のひとつに息をかけた。

 まるで遊女が旦那を誘惑するときに煙管を吹きかけるような吐息だった。


「自分の腕を試してみたいだけでさぁ」

「……腕?」


 やはりこの男は、なにもかもがわからないままだった。

 百合は店子に許可を取って庭に出ると、小十郎に稽古を付けてやる。小十郎はまだ身長こそ伸びないものの、持ち前の柔軟な体や頭で、めきめきと成長を遂げている。おまけに地頭はいいのだろう。まるで乾燥した土に雨水が染み込むように、算額や読み書きも覚えてきた。


「今日はここまでとする」

「ありがとう、師匠。ところで師匠、この体はあまり使いたがらないけど、今は大丈夫かい?」

「今はなんともないな。心配かけて済まない」

「ふうん、それならばいいけれど。なら今日は外行ってもいいかい? この間は市をあんまり見てられなかったからさぁ」

「たしかにそうだな……」


 泥棒を捕まえる捕まえないの話になってしまった上に、大名屋敷を通り過ぎたくらいだ。京の市中の店までは満足に見て回れなかった。


「そうだな、それなら行くか」

「おう! そういえば、あの技師の……」

「果心居士か?」

「そう、あの人はどうすんの?」

「そうだな、今日も修繕作業中ならば」

「おや、師弟揃ってお出かけですかい?」


 いきなり声をかけられて驚くと、果心居士がひらひらと手を振ってきた。


「あっ、果心居士。今から外を見て回ろうかと思ってんだけどさ、一緒に行くかい?」

「おやまあ、都合よく今日の作業は終わりました。おひいさんももうしばらくしたら馴染む体になったかと思いますので、確認してくださればよろしいかと」

「ありがたい……しかし、そのおひいさんと呼ぶのは辞めてもらえるか?」

「はあ。なら尼僧様で?」

「今は尼僧の姿すら取ってはおらぬ」

「そうだねえ……」


 果心居士は、百合の体をじろじろと検分しはじめた。そしてにんまりと笑う。


「わかったわかった。この体に合う服も見繕おうか」

「ええ、師匠よかったな。新しい服だってさ」

「……なんだ、あの男もか」

「師匠?」


 百合の中で、少しだけもやもやとしたものがかかるのに違和感を覚えた。

 彼女の人生はそこまで長くもないが、短くもない。ただ彼女が愛した男は、この世でただひとり、人間だったときに嫁いだ城主だけだった。

 罠に嵌められたとはいえど、愛する人に自分のことを気付かれず、そのまま燃えて、寝て起きたら国は滅んでいた。愛する人に火刑にかけられてもなお、百合は彼のことを憎む気にも嫌いになることもなく、むしろ彼女は情というものに蓋をしてしまった。

 元々百合の体は絡繰り人形のせいで、なにもかもが疎くなってしまう。かつての彼女は世間知らずではあったが、物事に対してそこまで疎くはなく、むしろ聡いほうだったが。

 今は八百比丘尼の体にいるせいだろうが。かつて人間だったときの感情に引き寄せられそうになり、それを百合は疎ましく思った。


(……百合は八百比丘尼から教えてもらった媚薬がなかったら城主様とはなんともならなかった程度には……愛されていなかった。そのせいで、殿方の感情を軽く見ている気がする……駄目ね、そんな風に思っては)


 百合というかつての若い姫だった器は、貞淑さで包まれていて、彼女の魂の叫びを全て受け止めることができなかった。

 八百比丘尼の器は、憎悪と呪いに塗れてしまい、言葉という言葉もまた冒してしまう。

 ならば、百合の魂の叫びはいったいどこに消えるのか。

 彼女は今、自分が果心居士に対して思うところがある気がするが、それを八百比丘尼の器のせいなのか、百合の魂のせいなのか、測りかねていた。

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