六
百合と小十郎が巫女に通された先には、たしかに寺社仏閣が存在した。そこでは巫女や僧侶たちが武装し、それぞれ槍や小太刀の稽古をしていた。
百合はどうにか八百比丘尼から絡繰り人形の体に魂を移し替え、荷車に八百比丘尼を戻すとそれを引きながら境内に置かせてもらった。
ときおり、境内をビクンッと肩を跳ねさせて見やる人々がいる。おそらくだが、呪いの塊である八百比丘尼の体に反応しているんだろう。しかし今は魂が入っていない以上、余計なことはしないため、皆怪訝に思ってもそれ以上は詮索しないようだった。
拝殿に入れてもらうと、そこで巫女は甘茶を出してくれた。それを飲みながら、百合はずっと武術の稽古をしている人々を眺める。
「昨今は比較的に平和になったと伺いましたが」
「ええ、ええ。ですが、最近はあまりにも森を荒らすものが多いため、我々も交替ごうたいで見回りをしているのですよ。この鎮守の森には稀少価値の高いきのこや薬草も生えていますが、知識のない方々は踏み荒らしてしまいますし、あまり根を傷付けられてもいけません」
鎮守の森の木はそれぞれ太くて大きい。これらの根が傷み木が枯れれば、寺社仏閣の建物だって無事では済まないし、そもそもこの近辺一帯が通行止めになってしまったら、南に行く人も北に向かう人も立ち往生では済まなくなる。
巫女の説明に、百合は「なるほど」と頷いた。
「でも金鶏が盗まれるとはいったいなんなんですか?」
「金鶏とは、名の通り金の卵を売る鶏のことです。この辺りでも、代々飢饉が来た際にだけ掘り出すようにという言い伝えがあるのですが……京や大坂は平定されたとしてもこの辺りはまだまだ大国の煽りを受けやすいので、痺れを切らした人々が盗みを働くようになったんです」
「はあ……ですが、ないのでしょう?」
「ございませんよ。ただ今回は少々訳ありでして。誰かが先導しているようなのです。もちろん、本当に金鶏がありましたら、食いっぱぐれた人々が持っていってくれてもかまわないとは思うのですが……森が枯れてしまったら、きのこも薬草も採れなくなり、困る方々も出ます。私たちも金鶏伝説を先導しているのは誰なのかと探しているのですが、さっぱりと見つかりませんし」
たしかにこの寺社仏閣としても困るだろう。森を荒らされ、道を荒らされ、挙げ句の果てにこの地を孤立化させようとする動き。
食いっぱぐれた人々の切実な願いが煽動に使われているのだとしたら、たしかに阻止しなければならない。
「わかりました。私たちもしばらくここに滞在し、お手伝いします」
「……ありがとうございます」
巫女は心底深々と頭を下げるのに、百合は慌てて「顔を上げてください!」と答えた。彼女が「私も稽古がありますから」と境内の稽古に参加するのを見送っていると、黙って話を聞いていた小十郎が「これだもんなあ、師匠は」とぼやいた。
「なにがですか?」
「だってさあ、師匠。俺たちは金鶏をもらえる訳でもないし、ないもんのために揉めてるっていうのも変な話なのに、それに首を突っ込むって。藪をつついて蛇を出しそう」
「でも出してしまえばいいと思うんですよ。蛇を」
「なんで?」
「この寺社仏閣の方々が気の毒だと思うのがひとつですが……そもそも金鶏伝説を信じて勝手に森を荒らす人々を煽動している方はどう考えても悪趣味ですから……まるで」
その底意地の悪さ。人の弱った心をつつく質の悪さ。その胸がザラリとする感覚には、百合は嫌というほど心当たりがあった。
「まるで八百比丘尼のようですから、煽動している犯人をとっちめたくなったんです」
「……ええ。師匠。でも、八百比丘尼の体って、そこにあるのに……」
小十郎が困惑の声を上げるが、百合は続ける。
「いいえ、小十郎。八百比丘尼は体を乗っ取り、魂を追い出してしまうんです。魂はおのずと皆八百比丘尼の体の中に入れられてしまう……そして長いことあの肉体に入ってしまったら、その魂は侵食されて第二、第三の八百比丘尼になってしまいました……肉体を乗っ取った八百比丘尼は、決してひとりではないはずなんですよ」
平安の世から戦国の現世まで生きていた八百比丘尼。玉藻の前から魂の操り方を学んでから、いったい何人の罪のない女を八百比丘尼に仕立て上げたのだろう。
「出会ったらとっちめなければなりません」
百合はきっぱりとそう言い切ると、百合の懐がもぞもぞと動いた。
「みゃー」
「ああ、ぽん」
百合の懐から出てきたぽんを、小十郎は頭に乗せる。
「でも師匠、どうするのさ」
「頑張って探すしかありませんね」
「探すって言ってもさあ……寺社仏閣の人たちだって見つけられてないのに、親玉を探すって言ってもなあ」
「どのみちここに食いっぱぐれた人たちがいらっしゃるんでしたら、その方々からお話を聞くしかありませんね」
「だよなあ」
こうして、金鶏伝説の先導者を探しに、ふたりも行動を開始することとなったのだ。
****
寺社仏閣に泊まりはじめてから、早十日経った。
本当に食いっぱぐれている人々が多いのか、平和になったという言葉とは裏腹に、泥棒は後を絶たずに、すぐに追い出さないといけなかった。
その日も、百合と小十郎は森を荒らしていた人々を縛り上げていた。
「それで……いったい誰に言われたんですか」
「別嬪さんに言われたんだよ、この森には金鶏がいる。掘り起こせば金の卵を産み、その金はよく売れると……」
「……その別嬪さんですが、いったいどんな方なんですか」
縛り上げた人々から聞く話が、全部バラバラなのだ。
共通項は「女性から聞いた」だが、出てくる登場人物が見事なまでに全員違う。
真っ黒な髪の美しい女と言われたかと思ったら、白髪の訳知り顔の老婆と言う場合もある。小十郎のように農民だと教えてくれる場合もあれば、武将のように勇ましい女と教えられる場合もある。
「これって……女がいっぱい集まって集会して皆を騙して回っているとか?」
「いえ。寺社仏閣の人々は数が多いんです。もし徒党を組んでいる場合は、すぐ徒党の住処を皆さんが強襲をかけていてもおかしくないでしょう」
寺社仏閣の人々は、とにかく鎮守の森を荒らされ過ぎて怒り心頭だ。ただ横切るだけのつもりだった百合たちだって襲われたのだから、本当に森を荒らしている人々がいたら、ただ縛って折檻だけでは済まなかっただろう。
「ですが、読みはそこまで外れてはいないようです」
「えー……師匠。本当に八百比丘尼の誰かが犯人だと?」
「はい。先導者の候補にひとりも男性がいません。犯人は次々に魂を移し替えているのかと思います」
「たしかにそう考えるのが妥当だけれど……でもさ、そもそも金鶏を盗ませてどうしたいんだよ」
「おそらくですが、金鶏を盗ませることよりも、寺社仏閣の目を鎮守の森に向けさせるのが狙いな気がします」
「うん……? どういうことだ?」
「今は平和な世です。かつての乱世ほどの騒乱は、よっぽどのことがない限り怒らないでしょう。その中で今でも武装を解かない人々がいたら、どうしますか?」
「どうしますかって……より強い力を持って制圧するか……遠巻きに『もう平和だから武装はやめろ』と言うとか?」
「それも一理ありますね。私はおそらくですが、彼らの戦う気力を削ぎ落とそうとします」
百合はかつて、自分の国が八百比丘尼に謀られて滅ぼされたことについて思い出していた。あれは百合が城主を一途に慕っていたが、それを見事に八百比丘尼に利用された末に体を乗っ取られ、そのまま他国を先導されて滅ぼされたようなものだった。
あの底意地の悪い八百比丘尼が、まだどこかにいるんじゃないだろうか。そう思えてならなかった。
それを聞きながら、小十郎は「んーんーんー……」と考えはじめた。
小十郎は子供じみた言動と大人びた言動の落差が大きい子だ。しかし地頭はよく、意外な切り口で物事を考えるところは、百合も目を見張るところが多い。
そんな中、小十郎が「ああ」と声を上げた。
「そんなに八百比丘尼に近いっていうんだったらさ。師匠だって今の八百比丘尼と体を共有しているんだし、使える術で探し出せないの?」
「どういうことでしょうか?」
「師匠がよく使っている魂を移動させる術。あれを応用して、魂の移動を捕捉するってできないのかな?」
小十郎の思いつきに、百合は考え込む。
そもそも百合が使っている魂を移動させる術は、元を辿れば玉藻の前のものであり、今百合がそれを使えるのは、肉体に染みついている技術だったからである。
彼女が使える術は、全て八百比丘尼の体に染みついているもの。百合が今、魂の移動が自由にできているのは、八百比丘尼の体と縁が切れてないからに過ぎない。
だから、今までは他者の魂の移動なんて当然ながら観測したことがないが。やろうと思えば八百比丘尼の体であったのなら、できるんじゃないだろうか。
「……わかりました。やってみましょう。小十郎」
「なに、師匠」
「今回、嫌でも八百比丘尼の体に長く留まることになります。もし私が八百比丘尼の体のまま余計なことまで言いはじめたら、どうかぽんに頼んで雷を落としてもらってください……私は、私のままでいたい」
「んー……わかった」
こうして、ふたりは一旦神社へと戻ることにしたのだった。
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