二
息をせぬ女が尼僧を荷車に乗せて旅を続けるようになる、二年ほど前。
当時は戦の小休止状態だった。
大国であったのならば、あっちこっちに軍略を強いて土地の没収を行っているところだろうが、この国は小さい上に伝手もこねもなく、政略結婚で地盤を固めることもできず、配下の娘を妻に娶り、なんとか国内を安定させる以外のことができずにいた。
「尼僧……ですか」
「ああ。このところ、百姓から文句が来てたのだ。蔵からしょっちゅう備蓄を持って行かれるから、落ち武者でも出ているんじゃないかと思って、連中が武器を持って捜索していて、見つけ出したんだそうだ」
「まあ……」
落ち武者に備蓄を盗まれた挙げ句に妻子を犯され殺されるなんて畜生道、残念ながらこの時代にはよくある話であった。
だからこそ、百姓は戦場跡に武器を拾ってきて、半分は生活の足しに商人に売り払い、半分は落ち武者が来たときの武装として家に持っていた。そして血眼になって備蓄泥棒を探し続けた末に、尼僧を捕獲し、城に連れてきたのである。
城主はやっと戦況が落ち着いたものの、有事の際にしょっちゅう百姓を駆り立てなければならず、百姓たちの話を聞かないことには戦にはならなかった。だからこそ、百姓の連れてきた尼僧についてもそれ相応の裁きをしなかったら、今後の戦の士気に関わる。
「その方をどうするおつもりで?」
「それで困っているんだ。皆が皆、どこの誰かもわからないものの、尼僧だというそれだけで手を出すのをこまねいている」
仏門の者に手を出すのは、宗教上の問題でおそろしいというのがひとつ。その尼僧の所属先によっては、どこかの寺社仏閣を敵に回すのではないかと危惧しているのがひとつ。そのせいで皆怖じ気づいて尼僧から話を聞き出すことができずにいた。
それを妻の百合は「まあ……」と言った。
寺社仏閣には各地の城主の情報やら、各地の領地の情報やらが、あらゆる手段で流れ込んでくる。その上、その地の百姓たちの情報も握っている。彼らを敵に回せば、その地の人々を先導して一揆が起こることもあるため、どこの城主も下手に寺社仏閣を敵に回したがらない。それらを行えるのは、うつけか切れ者と相場が決まっており、残念ながらここの城主はどちらでもなかった。
「それならば、私が食事を持っていき、それとなく話をしましょうか?」
大国の城主の妻ならいざ知らず、小国の妻は基本的になんでもやる。台所の指揮、城の人材管理、城主がいない間の城の留守の管理、などなど。
当然ながら有事の際に牢に閉じ込めた捕虜や罪人の食事の世話なども、百合は普通に行っていたのだ。城主は困った顔をする。
「怪しい女だ……なによりも話を聞いたら、備蓄を盗まれて怒り心頭の百姓以外の誰もが、あの尼僧は美しい、殺してはいけないと不可解なことばかり述べる。百合も食事の世話と最低限の事情聴取をしたあとは、なるべく関わらぬほうがよい」
「大丈夫ですよ、お館様」
百合はにこりと笑った。名の通り、山百合のようにその場が華やぐ笑みを浮かべている。
「殿方はどうかは存じませんが、私は女ですから。美しい人に見とれたりはしませぬ」
「そうか……」
こうして、百合は尼僧の食事の世話係と事情聴取の役割を仰せつかった次第であった。
****
牢は台所の裏側に存在している。粟の握り飯を三つほど握ると、それらを御膳に載せて持って行った。
今の牢には、尼僧以外はいない。百合は見張りに挨拶をしてから中に入る。
そこでヒクリとにおいがすることに気付き、百合は「あら?」と思う。漂ってくるのは潮のにおいであった。この国は海と山の間にあるし、天気がよければ潮風が吹くこともあるが、ここは牢の中なのだ。
(どうして……尼僧が原因なの?)
百合は不思議に思いながら、牢のひとつに外から声をかけた。
「食事をお持ちしました」
「おや……ご苦労」
やけに慇懃無礼なしゃべり方であった。百合はまじまじと尼僧の顔を見た。
たしかにその顔は、異様なまでに整っている。切れ長の瞳に、化粧っ気がないにもかかわらずに白い肌、薄紅色の頬、肉厚な椿の花びらのような唇……。しかしその挑発的な目は、悟りを開いたものとは程遠く、出家した身にしては俗物的にも思える。
(どこかの武家の出かしら……)
武家の女が出家した体で行方をくらませる例は聞くが、百合が知る限りはよっぽどのことがない限りあり得ない稀な話のはずだ。
百合は不思議に思いながらも、食事を渡した。それを尼僧はじっと見たあと、「いただくとしよう」と食べはじめた。
その中、百合はなんとか尼僧の素性を聞き出そうとしたが、彼女はのらりくらりと躱してしまう。
「どうして百姓たちの備蓄を盗んだんですか?」
「腹が減っては戦はできぬは、どの世も常よの」
「今は戦の小休止中ですが……民は税のための備蓄を盗まれて怒り心頭ですよ」
「城主がまけてやればいいだけの話だろう。私に文句を言うな」
「そもそも、人のものを盗んではいけません」
「川の水は直接飲めば腹を下す。川の魚だっておんなじだ。なら、畑に生っているものを取るのが早いし確実だろう。違うか?」
彼女と話をしても話をしても、どうにも噛み合わない。それどころか、この生臭尼僧はやけに達観した言動を繰り返すので、百合もどうしても聞き入ってしまうところがあった。
尼僧は握り飯を囓りながらも、淡々と言う。
「この先の集落。戦場になったせいで、すっかりと百姓たちは逃げて山に篭もってしまった。あのまま放置してたら、田畑は荒れ、人が住めぬ土地になるぞ。今のうちにさっさと人を呼び戻したがいい。山を勝手に開拓されて困るのはこの城だろう」
「ひと目見ただけでわかるものなのですか?」
「一度田んぼになった土地は、どう転んだところで田んぼにしかならぬよ。ならばさっさと次の田んぼの面倒を見る人間を連れてきたほうが早い」
「城主様にお伝えします」
「しかし……そちはちっともお勤めが果たせてないようで、そちらは心配にはならぬか?」
それに百合はビクリと肩を震わせた。尼僧はクツリと笑う。生臭尼僧ではあり、尼僧に似つかわしくないひどく妖艶な笑みを浮かべる者である。
「その手。ずっと戦続きの城主に城の世話を任された手であろう。人手が足りていたら、城主の妻がそこまで手が荒れてはおらぬわ。その上、女日照りと見た」
「な、なにをおっしゃって」
「その肌つや。男に愛されている女のものではなかろう。そち、城主と上手くいってはおらぬのだろう?」
「………っ!?」
思わず百合はパンッ、と大きく尼僧の頬を叩いてしまった。彼女の頬には見事なまでに紅葉のような手形が付いてしまった。しかし尼僧は顔を歪めることもなく、涼しげな態度のままだった。
「ふむ……城主の妻とは、なかなか大層な役割よな。そのせいで相談相手もない。ちょうどいいところに牢には尼僧がおる。困っていることがあったら、相談に乗ってもいいぞ」
「誰が……誰があなたの言うことを聞きますかっ……!」
百合はそう捨て置いてから、気付けば空っぽになっていた御膳を持って牢から逃げ出した。
パタパタと走りながらも、百合は尼僧の言葉になにも言い返すことができなかった。彼女が嫁いでから、早一年。ちっとも城主の渡りがなかった。
武将は男色が華。男を囲っているのを誇る者もいるが、彼女の城主はその手の人間ではなかった。
尼僧には、たったひと目でそれを見破られてしまった。百合の自尊心は今日初めて会った尼僧により、ズタズタにされてしまったのだ。
(私の……なにがいけないのでしょうか?)
人が我慢強いということは、なんの価値もない。
そこから生じた綻びが、やがて隙となっていいように使われてしまうものなのだから。
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