七
尼僧の言葉に、百合は途方に暮れる。
自分の体は八百比丘尼のもの。だから燃やされても死ぬことはないし、焼け爛れても治ってしまう。そこまでは理解できたが。
「……ときおり、この体から私のものではない言葉が出る。おまけに口調も本来の私のものではない。これはいったい?」
「おそらく、ですが」
尼僧は淡々と告げた。
「八百比丘尼は八百年の年月を生きた末、体に彼女の思想が練り込まれています。前に現れたあなたも、その前に現れたあなたも、あなたと全く同じことをおっしゃっていました」
「それでは……私もいずれ、八百比丘尼に完全に飲まれてしまうと!?」
「今まで我が寺を訪れた八百比丘尼で、元に戻った方はひとりたりともおりません。残念ですが、そのようになるかと」
「それは困る……!」
思わず百合は悲鳴を上げた。自分のものよりも低い声。自分のものより艶のある唇に喉。しかし自分のものでないものから自分の言葉が飛び出るのは、なんと気持ちの悪いことか。
体が魂を侵食して、体に染まった思想に染め上げてしまう。自分が自分ではなくなる。そもそも悲しくとも憎んではいなかった城主や国の者たちに吐き出した呪詛が、自分が少しでも思ったものとは、百合は思いたくはなかった。
……そこまで考えて、まだひとつ納得してないことがあった。
「それで、この先の城がなくなっていたが……あれはいったい?」
「城でございますか? 十年ほど前、この地にございました城は落城され、火を点けられて燃えました。今はもう、あの地は草原しか残されてないはずです。戦のせいで、百姓たちも皆逃げてしまいましたから、今あの地は空っぽのはずです」
「……十年? 私は一度、八百比丘尼の罪を被って火刑にかけられたときには、城はあったはずだが」
「……八百比丘尼は不老不死です。おそらくですが、一度火刑にかけられて燃えてから、体が元に戻るまで、眠っていたのでしょう。十年経って、ようやく目が覚めたのだと思います」
「あああああああ…………」
尼僧の無情な言葉に、とうとう百合は涙を溢した。
八百比丘尼の物盗りをなすりつけられて火刑にかけられた。自分のものではない罪を被せられ、燃やされ、罵倒された。
それでも百合はその罪は自分のものではないとわかっていたから、彼らの言葉に罪はないことを知っていた。一番悪かったのは、八百比丘尼……自分の前の八百比丘尼だったのだから。だが。
もう一度ひと目会いたかった城主も、城内の人々も、民も。皆、戦でいなくなってしまった。もう間違いを正すことも、還ることもできない。
その中、百合の中でドロリと黒いものが吐き出されるような錯覚を覚えた。
「……あはははははははははははははは! 私を馬鹿にした者たちは皆死んだ! いい気味だ、どこの馬の骨ともわからぬ女の諫言を耳にしたのだからなあ! あはははははは! 私は死なぬ、なにをどうやっても死なぬのだから……!」
そこまで言って、百合は必死に口元を抑えた。尼僧は百合をじっと見つめていた。百合の目尻からは涙が溢れる。
「……この言葉は私のものではない」
「さようでございますか」
「でもこのままだと、私は私でいられなくなる。私はせめて……私の魂を取り戻したい。完全に元には戻れなくとも……この呪いのような体はどうにかしたい……私もこのままでは……いつか誰かを罠に嵌めて、私と同じような思いをさせてしまうのやもしれない……私はそれがおそろしい」
「一応方法はございます」
「……それは?」
「今ちょうど、この寺にもうひとり客人がおられますから、その方にも相談してみましょう」
百合はそれに首を傾げた。
****
現れたのは、顔と耳朶がたっぷりと大きい商人のような様相の男であった。彼はにこにこ笑いながら、百合と尼僧を交互に見る。
「これはずいぶんと別嬪な方でございますねえ! ですが、このままでよろしいのでは? これだけ別嬪ならば、いちいち体を替える必要などどこにもなく」
話が見えず、百合は戸惑った顔で商人風の男と尼僧を交互に見た。
尼僧は淡々と言う。
「いいえ、彼女の体は少々呪われておりますから、彼女の魂を一旦別の場所に置く必要がございます」
「そうですかい。なるほど呪われた体と来ましたか。あいわかりました。それでは別嬪さん。あなたのなりたい顔というものをお教え願えますか?」
「……尼僧、これは一体?」
「ええ。この方は大坂で商いをしております方で、腕利きの
それに百合は驚いた顔で商人風の男を見た。
絡繰りは元を遡れば『今昔物語』にも登場する、糸で操る人形のことである。それが時代を下るごとに技術が上がり、昨今では南蛮渡来の歯車の技術をもってして人のように動く高級玩具なども登場するようになった。
それに唖然としている中、絡繰り職人は人形の面を次々と並べてくれた。美しい女の双眸をしている。
「どうせならば、別嬪さんがよろしいでしょう。どれになさいますか?」
「あのう、私にはまだ意図が読めないのだが」
「呪われた体から一度魂を抜き、絡繰りに一旦魂を収める。それで魂の侵食は抑えられる。以前にも呪われた体を持つ方に絡繰りの人形をお出ししたことはございますよ」
そう絡繰り職人が教えてくれた。
たしかに、魂さえ百合のままであったのならば、八百比丘尼の体のままでい続け、自我が消え去る恐怖からは遠ざかるが。絡繰り人形になってしまう勇気はない。
「だが……私が人形になるというのか?」
「ええ。ですが人形になるとは言いましても、これは絡繰り人形でございますよ。魂さえ納めればちゃんと自分の意思で動きますし、話せます。壊れたら腕利きの技師でありましたら直すことも可能ですしね」
八百比丘尼の美しくてもおぞましい体のままでいて、いずれ自分の意思が消え去る恐怖に耐えるか。
絡繰り人形の死なない木と歯車の体に魂を移して、なんとか自我を保ち続けるか。
悩み続けた結果、ふと百合は思い立ったことを口にした。
「……絡繰り人形とこの体を、行き来することは可能だろうか? 玉藻の前は、魂を美女に次々転移させていたと聞いている。それのように、私もこの体と絡繰り人形を行き来すれば……」
「おそらくそれは可能ですが……でもどうして?」
「……この体をきちんと人間に戻さなければ、もし私の魂がどこかで消えてしまったとき、きっと大変なことになると思うから」
勝手にしゃべり勝手に行動する体から魂がなくなった場合。いったいどんな呪いに成り果てるのかはわからない。
百合からしてみれば、自分の体を乗っ取った前の八百比丘尼に対しても、そこまで怒りが沸かないのだ。
(今の私もこれだけ苦しいのだから、彼女はいったい何年、何十年八百比丘尼の体に入って耐えたのかしら……そしてとうとう自我が消えて八百比丘尼の体に飲まれてしまったのだとしたら……あまりにも憐れだわ)
自分のようにドロリと黒いなにかがどんどん侵食してきて、自分の考えを得体の知れないなにかに染め上げられてしまう。自分が自分ではなくなってしまう恐怖に、人はずっと耐えきることができないだろう。
いや、そもそも。
自分が自分でなくなると気付けるんだろうか。それはひどくおぞましくておそろしい。
百合の考えに、尼僧は「そうですか……」とだけ答えた。
「たしかに我が寺には、呪いになってしまったものを調伏する術はございません。この体を人間に戻してしまうのが一番早いでしょうね。ですが、八百年経っても、彼女も人魚を見つけることはできなかったんですよ?」
「それでも。誰かが探さねばならないのだろう?」
「さようでございますか」
百合は一旦尼僧との会話を打ち切ると、今度は絡繰り職人の並べてくれた面をじっくりと検分しはじめた。
せめてかつての百合の似姿に一番近い人形になりたかった。ひとつひとつ見てから、やがてひとつ、穏やかな面を見つける。
「……これがいい」
「ほう? やや別嬪さんと比べてみれば地味ではないかい?」
「いや、これがいい」
その穏やかな面は、八百比丘尼のような凄艶な美女の面ではなかったが、穏やかな菊の花のような風情を保っていた。
それをしばし眺めてから、絡繰り職人はペコリと頭を下げた。
「ひと晩、お待ちください」
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