八
百合が借りた寝床からは、しばらくの間「カーンカーン」という音がこだましていた。人そっくりの絡繰りをつくってくれ、それに自分の魂を移すという。
魂を移す方法はわからないが、その辺りはおいおい尼僧が教えてくれるだろうと、百合は目を閉じた。あれだけずっと歩いていたにもかかわらず、体は疲れを知らず寝床で重く沈んで眠りに誘われることもない。結局ひと晩こだまする金槌を振る音を聞いて、目を覚ましたのだった。
朝餉に出されたのは粟の水漬けだった。それをありがたくいただいていたところで、「できましたよ」と絡繰り職人に声をかけられた。
彼が運んできたものを見せてもらい、百合は目を見開いた。きちんと着物を着せられて、きちんと髪をひとつに結ってもらっているが、目を閉じているだけでほぼかつての百合姫の体と瓜二つであった。これが絡繰り人形だとは、近くに行って人形の関節を見ない限りは誰も判別できないだろう。
「すごいな、これは」
「ありがとうございます」
百合の感嘆の声を聞きながら、尼僧も「おはようございます」とやってきた。そして絡繰り職人の寄越した人形に目を細めた。
「相変わらず素晴らしい出来ですね」
「はい、おかげさまで」
「ところで」
百合は尼僧に口を開くと、尼僧は百合と視線を合わせた。百合はひと晩寝られないまま考えたことを口にした。
「どうやってこの絡繰り人形に入ればいいんだ? あとこの呪われた肉体……これは燃やしても生き返り、死ぬことがないとわかっている上に、放っておいたら勝手に動く……こんなものを野放しになんてできないだろう」
「昨日も申しましたが、八百比丘尼は玉藻の前に教えを請い、魂を別の肉体に移し返す術を覚えております。それは肉体に刻まれておりますゆえ、あなたでもできるかと思いますよ」
「……私が自力でしなければならないのか」
百合は絶句したが、尼僧も絡繰り職人も困った顔のままだ。
「そうは申されても、我々も千年狐の術などわかりかねますし」
「はい。私もここに八百比丘尼に体を奪われて嘆いている女性たちの相手をし、どうにか体を元に戻す術を探す手伝いをして参りましたが、皆どこかで八百比丘尼の体に意識を染め上げられて、勝手に人の体を奪いに出て行ってしまっておりますから、肉体だけは正しく魂を移動する術を知っているとだけ理解しております」
「そうなのか……」
そうは言われても、百合も自分のしゃべろうとする口調を勝手に肉体に書き換えられてしまう、自分の話したくないことを話してしまう以外で、肉体がなにができるのかを知らないし、わからない。
ただ、十年経っても百合は百合の自我が残っており、八百比丘尼の肉体に侵食されて八百比丘尼になったりはしていないのだ。そこしか希望がない。
百合は目を閉じると、自分の中に呼びかける。
(私は……百合。今は亡き国の城主に嫁いだけれど、結局は国は滅ぼされた……十年前になにがあったのかはわからないけれど、八百比丘尼はどこかと通じていたのだから、そのときに滅ぼされてしまったのでしょう……私は)
どうにか百合は、百合としての人格を浮かび上がらせる。
肉体が魂を引っ張り、魂は肉体という器の形に変わっていく。それを拒絶するように、百合は百合としての人格をどうにか呼び起こそうとしたのだ。
(……城主様の子を産みたかった。城主様に嫁いで幸せだった。城主様が私のことをわからなくなってしまったのだけは心残りだけれど。あの日々は戦乱の世においても心地のよい日々だったから……)
本来の百合の体であったのなら、ポロリポロリと目尻から涙を溢していただろう。だが涙は流れず、代わりに溢れてきたのは、彼女自身だった。
(え……?)
百合は下を見下ろした。視界がおかしい。先程まで尼僧と絡繰り職人と話していたときは、彼らを上から見下ろしておらず、正面から見ていたのに。いや、違う。
彼女の視界の中には、自分の今の体になっていたはずの八百比丘尼もあったのだ。座ったまま、あからさまに意識を飛ばしてしまっていた。
(どうやって魂が肉体から抜け出たのかはわからないけれど……とにかく、あの絡繰り人形の中に入ればいいのね)
百合は飛んでいき、急いで絡繰り人形の中に潜っていった。
「……ん」
喉を鳴らした途端、百合は驚いた。この鈴を転がしたような声は、たしかに百合のものだったのだ。思わず立ち上がる。
前掛けをした着物姿の女性。足取りも軽やかで、腕も動かせる。まるで、元の体に戻ったよう……に感じたのは最初だけだった。
目が全然閉じられないし、気のせいか呼吸もしていない。おまけに体にたしかに感じていたはずの感触……着物の肌触り、座っているときの体重、自身の体温……まるで膜一枚隔てているかのように、なにも感じないのだ。
「あ、の、私……」
「魂の移し替えは成功したようですね」
ひとまずは成功したと判断したようで、尼僧はほっとひと息ついたが。百合は困ったように訴えた。まずは絡繰り職人にお礼を言う。
「これだけの体、いただきまして大変にありがとうございます……ですが。今の私はなにも感じません……絡繰り人形のおかげか、体は元の体のように動きますし、声も口調も私のものなのですが……でも。なにも感じないのです」
「でしょうね。人形ですから、五感は人間のものからは外れているかと思いますよ」
絡繰り職人に言われ、思わず百合はしょげた。
今まで普通のことだと思って享受していた、春の朝の冷たさも、日差しの暖かさも、井戸の水の冷たさも、夏の豊かな土のにおいも……なにもかも感じなくなってしまったのでは、なんのために絡繰り人形になったのかがわからない。
「……私は、どうしたら」
「人魚を探すべきです」
「人魚を? ですが、それは八百比丘尼を元に戻すだけで……」
「あれを元の人間に戻してしまえば、中に入っても呪われることはないと思います。どうせ無理矢理押しつけられた肉体なのですから、そのまんまいただいてしまえばいいのですよ」
尼僧にそう言われ、思わず寝かせられた八百比丘尼の体を見た。
袈裟を着て、完全に気を失った顔をしていてもなお、彼女の艶めかしい色香も、美しさも損なわれることはなかった。
「……いいんでしょうか、本当に」
「一向にかまわないかと思いますよ」
「でも……私がこれをどうやって運べばいいんでしょうか?」
「普通に運べると思いますよ」
尼僧と百合のやり取りに、あっさりと絡繰り職人が口を開いた。百合は少し戸惑いながら、八百比丘尼を抱えて……気付いた。
「あ、あれ……?」
触感がないせいだろう。百合は難なく八百比丘尼を担ぐことができた。それに戸惑っていたら、尼僧が声をかけた。
「裏の蔵に、荷車がございます。それを持っていってもかまいませんよ」
「そんな……わざわざ荷車まで」
「ひとまず、あなたがこの絡繰り人形の体を自由に操れるようになるまでは、ここにいていいですから。そこから人魚を探して、八百比丘尼を元の体にするのがよろしいかと思います」
それに絡繰り職人は「うんうん」と頷いた。
「それに、自分もぜひとも絡繰り人形を存分に使って欲しいのですよ」
「……これ、ただ動く人形ではなくて?」
「大坂の見世物としてだけなら、ただ動くだけで充分商売になるんですが、時期に乱世も終わりを迎えます。そのときにもっと使える絡繰り人形をつくったほうが儲かるじゃないですか。そのための仕掛けをいくつも用意していますので、それを使って宣伝して欲しいんですよ」
(人の体として提供しておきながら、この方はなにを言うのかしら……)
思わず百合も内心ツッコミを入れてしまったが、絡繰り職人はあっさりと言う。
「宣伝してくれれば、料金はただですが、断るならこちらも頂戴しなければなりませんよ」
「宣伝頑張ります」
着の身着のままで、自分のものではない体で放浪していた百合が、大坂で商売をしている絡繰り職人に人型の大きさの人形代なんて、払えるはずもなかった。
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