百合が血を操る中、巫女はせせら笑いながら、こちらに斬りかかってきた。斬ろうとするのは、すなわち八百比丘尼の体に突き刺さっている魂の切れ端。それがなくなってしまえば、いよいよ巫女の中の魂は暴走し、美しく都合のいい体を求めて未来永劫さまようだろう。


(いったいどこまで自分本位なんですか……八百比丘尼の体に飲まれて、見失って、そして八百比丘尼になっていない方々にまで迷惑をかけて……!!)


 今頃発狂しているであろう老婆に閉じ込められて巫女を、どうにかして助けてあげたかったが、まずはこの巫女をどうにか鎮めることが先だ。

 そして。まだ隠し球を百合は持っている。

 百合は八百比丘尼の体が死なないことをいいことに、そのまま巫女の太刀筋に当たりに行こうとするのを、巫女は訝しがりながら見ていた。


「あなた……おかしいですわね、八百比丘尼になった者たちは、たしかに不老不死を楽しんでましたが、わざわざ痛い思いをしたがる方はおられませんでしたわ。正気ですの?」

「あいにくな、私は五感があるというのが嬉しいからな……!」


 小太刀を腕に受け、そのまま血を流す。グリグリと肉が裂かれ、焼けるように熱いが、その痛みと熱に、百合はニヤリと笑った。

 別に百合は、自分自身を嗜虐趣味とは思っていない。

 果心居士のおかげで感覚を覚えられるようになった普段使っている絡繰り人形の器だが、それでも人間の五感とは程遠い。特に痛みなんてものは全くないのだから、あれで人間だと言い張るには無理があった。

 絡繰り人形は年を取らないし、体が痛くなることもない。それを素晴らしいという人もいるだろう。目の前の巫女の中身のように、ただ美しい自分でいたいという者もいるだろう。

 ただ百合はそれが嫌だった。

 自分自身に戻ることができなくても、人間を止めたくはなかった。

 もう自分が絡繰り人形なのか、八百比丘尼なのか、その境は絡繰り人形の姿で見る昼と夜のように境が溶けて消えて、わからなくなってしまったが。

 それでも人間の感情だけは、失いたくはなかった。

 八百比丘尼のなにがおぞましいかというと、その圧倒的な自己中心的な考えだ。自分以外を自分に都合のいい道具としか見ず、伴侶すら道具としてしか扱わない考え。ひとかけらも情がなく、ただ使えるか使えないかだけを考え続けるのは、もう人間の考えではない。平安時代の貴族すら、伴侶を大切にするという考えがあったというのに、それすら失われれば、畜生にも劣る。

 百合は未だに残っている人間の魂をもって、この巫女から必ずや八百比丘尼だった魂を引き摺り出さなければならなかった。

 それを巫女は訝しがった。


「あなたはなにをそこまで熱くなってらっしゃるの? あなたが体を取られた訳ではないのでしょう? しかも八百比丘尼になったままで」

「……勝手なことを言うな。私を八百比丘尼だから、貴様と同じだと言ってくれるな」

「まあ。あなたはいいじゃない。これからいくらでも年を取らず、美貌のままで旅を楽しめるのだから。だから私をわざわざ攻撃する必要はないのよ?」

「何故金鶏伝説をばら撒いた」


 百合は小太刀で斬られた部分から血を噴き出した。その血は鎖となり、徐々に巫女の体をシュルシュルと拘束しはじめる。それに巫女は小太刀で拘束を斬りはじめるが、だんだんその攻防がずれはじめる。

 百合はわざと巫女の小太刀に当たりに行くため、どうしても巫女は引き気味になる。わざわざ相手の隠し球を増やす必要がないからだ。そうなればどうしても、百合のほうが優勢になる。

 そのことに気付いたのか、巫女は勝手にしゃべりはじめた。

 どうにかして、攻防を優位に勧めるために。


「そうですわね……ひとえに、美しい女を集めるためですわ」

「……私が追い払った連中の中には、男のほうが多かったが」

「あら甘いですわね。先の戦のおかげで、この辺りは男の数がかなり減っていますのよ」


 そういえばと、百合は寺社仏閣で捕らえた者たちのことを思い返した。


(たしかにここは……寺社仏閣以外ではひょろひょろの男たちしかいなかった……小十郎の故郷のほうがよっぽどまともな男が多かったくらいだ)


 大方、戦に駆り出されても活躍できないと判断されて放置された人々しか、村には残らなかったのだろう。

 百合はそう思いながらも、自身の指を動かす。血の鎖で、どうにか巫女を絡め取らないといけなかった。しかし巫女も百合がなにか企んでいると気付いたのか、必死に鎖を壊し続けていた。


「……なにを考えてらっしゃるか存じ上げませんが、お止めなさいな」

「止めやしないよ。私は貴様のような者を逃がす訳にはいかない……同じ八百比丘尼としてなあ」


 なり得たかもしれない自分だが、自分の考えからはあまりにも外れている。だからこそ嫌悪しているし、同情もしている。


(この方は……自分以外を愛することができなかったんですね)


 百合はかつての城主を愛していた。成り行きとはいえど弟子に取った小十郎を大事にし、果心居士に向ける感情は複雑骨折しているが、彼への恋慕は消えれども、情だけは未だに残したままだ。

 誰かを愛する心を失えば、人は自ずと恥を忘れる。恥を忘れるということは、その言動はいずれ畜生にも劣るものと成り果てる。

 今目の前で対話している巫女は、百合からしてみれば憐れで情けなくてたまらない生き物と成り果ててしまっていた。

 やがて……時間稼ぎができた。


「今だ! やれ……!!」


 百合は巫女の小太刀に自分から突き刺さると、傷口から血の鎖を作り出し、自分ごと縛り上げた。いくら巫女でも、鎖だけならば断ち切ることができたものの、ふたりまとめて絡まった鎖を斬ることができなかった。

 巫女は狼狽する。


「なっ、にをなりますの!?」

「まだなにもしていない。これからされるんだ……ほら、来た」


 途端に、辺りが暗くなった。

 暗雲が立ちこめたと思ったら、その場に白線がきらめいた。


「みゃあああああああああ…………!!」

「あああああああああああ…………!!」


 雷獣のぽんが、小十郎の頭から飛び上がると、百合と巫女に目掛けて思いっきり雷を打ち落としたのだ。百合は不老不死だから死なないものの、痛いものは痛いし、自分自身を避雷針にして、それに巫女を巻き込んだのだ。

 巫女は自分自身には落ちてない雷のせいで絶叫し、痛みで一瞬気絶する。

 それを遠くからぽんを抱えて小十郎が見ていた。


「師匠……」

「来るな。お前まで体を乗っ取られて逃げられたらかなわない」

「でもさ……この人どうするの?」

「巫女を探さないといけないな。彼女に体を返してやらないと……年に負けて死んでしまうかもわからない」


 魂は肉体に引き摺られる。百合も口調や考えが八百比丘尼に引き摺られるのだから、他の人間だって同じようなものだろう。ましてや寺社仏閣で真面目に生活していたはずの巫女は、自分に降りかかった災難で混乱しているという。

 早く彼女を探してやらないといけないが、巫女から魂を引き摺り出さなければ、元の持ち主に返してやることすらできない。

 百合は手短に「小十郎」と言う。


「果心から絡繰り人形の修繕用の部品をもらってきている。あれを一部持ってきてくれ。なんでもいい」

「いいけどさ。でも師匠、師匠の修繕どうするのさ?」

「また果心の元に押しかけて、修繕してもらうしかあるまい。あれとはどのみち長い付き合いになるからな」

「ふうん。ならいいけど」


 百合は八百比丘尼の体に入ったまま、目を閉じた。そして、気絶している巫女の魂を睨む。雷を落として感電させたおかげで、今は巫女の体で気絶しているが、気絶している間になにもかもを終わらせなければ、巫女の命が危ない。

 百合がそうこうしている間に、小十郎が「師匠!!」と走って戻ってきた。


「これ、わからないから荷車に積んでた修繕部品全部持ってきた」

「すまないな……私の体も持ってきてくれたか」


 小十郎はぜいぜいと息を切らしながら、荷車に布と一緒に持ってきていた部品、そして背中に百合の絡繰り人形を背負っていたのに、百合は小十郎の頭を撫でて「ありがとう」と言った。

 小十郎は巫女の顔を見ながら、少し顔をしかめる。


「どうするの?」

「巫女に体を返してやらなければならないからな。ここで中身を封印する」

「でも師匠は魂を行ったり来たりする以外できないじゃない」

「それでしかできないこともあろうよ」


 そう言いながら、巫女に手を伸ばしたのだった。

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