九
百合は小十郎の持ってきた絡繰りの部品を組み立てる。胴しかないかかしのようなものをつくると、そのまま気絶している巫女から魂を抜き取った。
もちろん百合にしか見えず、小十郎からはただ手を伸ばしたようにしか見えないだろうが。
(……あなたが八百比丘尼になって苦しかった気持ちはわかりますが……人の体を奪ってまで、永遠の命と若さが欲しいと笑った気持ちだけは、ちっともわかりません)
百合からしてみれば、生きたまま燃やされてから十年の間に、なにもかもが変わってしまった。
国も残らなかったし、いつの間にやら戦だってなくなりかけている。
百合の場合は運だけはよかった。尼僧や果心居士のような助けてくれるものに出会え、人間だった頃の自分に限りなく近い絡繰り人形を用意してもらえた。
それでも。もう百合はどうあがいても、元の自分には戻れない。
嘆き悲しんでいたが、心の底まで八百比丘尼になりたくなかった百合は、絡繰り人形のままでもかまわないと思いはじめている。
だからこそ、彼女のように身勝手な理由で体を奪って回るような者は許容できなかった。
百合はかかしの中に彼女の魂を埋める。
そして八百比丘尼の力をぎゅっと使って魂を押し込んだ……百合が八百比丘尼との体を往復できるのは、魂を移し替える術を使えるに加えて八百比丘尼の体が近くにあるからだ。
彼女の場合、魂を移し替える力は新しい体にも持ち越すことができても、彼女の力の大本の八百比丘尼のものよりも強い強制力は持っていないようだった。
それらを見ていた小十郎は首を捻った。
「その胴しかないかかし、どうするの?」
「さっさと森の人の決して来ない場所に差し込むさ」
「それってさ、大丈夫なの? ほら、この人、師匠みたいに魂を勝手に移し替えてあれこれしてたんだろう? 魂だけでさまようってことは」
「不可能だろうな。魂を移し替える術は、体が近くにないと簡単に移し替えることはできん……それに胴しかないかかしなんて、普通は怖がるから、誰も近寄らんよ。こいつはかかしが崩れるそのときまで、その恐怖に怯えているがいいさ」
百合がそうきっぱりと言うと、小十郎は首を振った。
そもそも、巫女を早く助け出さないと時間がない。百合は小十郎に百合の絡繰り人形を運んでもらいながら、「探すぞ。今日中に捜し出さねばどうすることもできん」と促した。
****
荷車はカラカラと鳴る。
載せているのは巫女の体に百合の絡繰りの器。魂の切れ端を辿って探し出したところで、年老いてすっかりと縮こまってしまった年寄りが倒れていた。
百合が触れると、彼女は気の毒なほどにゼイゼイと息を切らしていた。さしずめ、元の体と同じように体を動かそうとして無理が聞かず、思うように動かない体の力を使い果たした末に倒れてしまったのだろう。
「……助けて」
老婆の声こそしわがれていたものの、口調は先程までしゃべっていたはずの巫女のものだった。
百合は彼女の頭を自身の膝の上に乗せる。そして呼吸が整うまで黙って寝かせていた。
「今の出来事は全て夢だ。本当のことじゃない。いきなり自分の体が奪われたことも、いきなり年老いて言うこと聞かなくなった体も、全て嘘だ。目が覚めれば、それは全て幻だ」
老婆は目を閉じて泣いていた。それは弱々しい擦れたところのない少女のものであった。
彼女から寝息が聞こえてきたのを確認してから、「小十郎」と呼んだ。
「ほーい」
「このまま並べて。魂を移し替える」
「……でもさあ、このばあちゃんの魂、どこに行ったんだろうな」
「わからん。ただこの体は既に弱っている。老婆の体がもたないだろうな。気の毒だが……」
巫女の中身にいた八百比丘尼のひとりの玉突き事故で奪われた体と魂は、ぐちゃぐちゃになってしまい、おまけに老婆まで混ざっているものだから、全てを元に戻すことは困難だ。
百合はもし玉突き事故で助けを求められた場合のみ助けることにした。
巫女の魂がきちんと巫女の体に戻ったのを確認してから、やっと百合は八百比丘尼の体を抜け出て、小十郎の持ってきてくれた百合の絡繰り人形の中に戻った。
「でもさあ、師匠。結局あのかかしになった人、結局金鶏伝説にかこつけてなにがしたかったんだ?」
「あくまで推測ですが。彼女は若くて美しい体が欲しかったんだと思います。八百比丘尼により自分の体を奪われたせいで、元の体にはあったはずの倫理観のたがが外れたんでしょうね」
「たがが外れたら、人の体を奪うもんなのか?」
「善悪が消えてしまったのでしょうね……八百比丘尼になってしまった人たちは、皆最初は必死に元に戻る術を探していたものの、だんだんと壊れて行ってしまうと、かつて助けてくださった方がおっしゃっていました」
「ふうん……」
「私もかつて八百比丘尼だった人に出会うのは初めてですし、ここまで大きく迷惑をかけている例も初めて見ました。もしかしたら、他にもそんな方々がいるのだとしたら、止めなくてはいけませんね」
「それが今の師匠の目標なの?」
小十郎に尋ねられて、百合はパチリと目を瞬かせた。小十郎はいつもの調子で続けて尋ねてくる。
「……妖怪退治を続けようとは思っていましたが、それは考えたことがありませんでしたね。それもいいかもしれません」
「多分さあ」
小十郎はいつものようにのんびりと言った。
「師匠が人間のときから大きく変わらなかったのってさ、果心とか助けてくれた尼僧とかがいたから、人間から離れなかったんじゃねえの? 人間から遠ざかれば遠ざかるほど、心も人間から遠ざかるんじゃない?」
「それ、誰から聞いたんですか?」
「別にー。俺が俺なのも、俺の親がどっちも死んじゃったけど、村の皆がたらい回しとは言えど育ててくれたからだし。それすらない状態だったら、どうなってたかわかんねえ」
「……そうかもしれませんね」
百合はそう呟いた。
結局のところ、八百比丘尼に目を付けられ、八百比丘尼の体に入れられても、まともな人はまともで、まともじゃない人はまともじゃない人としか言えない。
百合が百合のままでいられたのは、ただただ運がよかっただけだ。
それで他の八百比丘尼だった者たちを断罪できるかどうかは未知数だが。百合以外に八百比丘尼のやり口についてとやかく言えるのも自分しかいないだろう。
ふたりでしゃべっている間に、「ん……」と巫女の睫毛が揺れはじめた。彼女はうっすらと目を覚まして、周りを見てぎょっとする。
「あ、あのう……私。いきなりお年寄りに襲われて……あれ?」
「おはようございます。気のせいかと思いますよ。寺社仏閣にまでお送りしますから、帰りましょう」
「は、はい……そういえば、金鶏伝説で現れた方々は……」
「今は見ていない。ただ、多分もう現れることはないだろう」
巫女はわからないまま、百合たちが荷車を引くのを見ながら「よろしくお願いします」と頭を下げた。
百合と小十郎は、巫女の視界から老婆を隠していたのだった。さすがに弱っているとはいえど、体があるのに埋める訳にもいかず、かかしを差してきた森の近く……それでもかかしからできるだけ遠く……に置いてきた。
彼女にとってはおそろしい悪夢のままでいい。
ふたりはそう思っている。
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