1.魔法使いと慣れ親しんだ凶行
『小田急線、秦野、渋沢区間で出現した「レヴナント」の討伐による後処理により、本日も一部区間の運転は中止しています。また新宿駅の工事のため登戸までの――』
「新宿の時も思ったが、線路上での出現とはまた、人の嫌がることを覚えてきたかのう?」
リビングのソファでくつろいでテレビを眺めていると、隣で鈴のような声が上がった。
「なんで少しワクワクしてるのさ、師匠」
無表情のアナウンサーから目を離し、声のする方へ振り向いた。
相変わらず、垂れ下がる赤髪は非日常を演出している。
ソロモエル=フィア。俺に魔法の使い方を教えてくれた師匠であり、居候いそうろう。
口調は古めかしいが、小学五年生の女子相応の身体つきであり、口調とのギャップを放っていた。
余談だが、俺のような大学生が2LDKという広すぎる部屋を借りているのは師匠が原因だったりする。
師匠は俺の視線に気が付くと、首をこちらへ回してきた。
「非日常ってワクワクするじゃろ?」
屈託のない笑顔で言った。赤い目が爛々と輝いているのが無性に腹立たしい。
新宿を叩き潰して回った首の無い巨人――レヴナントは、その出現数から非日常ではなく、最早、日常の一部と化している。
「非日常の筆頭みたいな奴が何言ってんの?」
「うわ、失礼な奴じゃな~お主。儂わしはごく普通のピチピチの小学五年生じゃよ!」
「はいはい、イタイイタイ」
「お主の人生、つまらなさそうじゃな」
師匠はワザとらしくため息を吐いた。
師匠からすれば、レヴナントの出現、および討伐というのはちょっとしたイベントみたいなものなのだろう。緊張感がまるで無い。
「余計なお世話ですよ」
「こんな赤毛の美少女と同棲しておいて、なぜ不幸な顔しておるのじゃ?」
師匠は質問しながら体勢を崩し、細い脚をこちらへ伸ばしてくる。その足を辿って師匠の顔を見ると、悪戯いたずらな笑みを浮かべていた。舌を出したり髪の毛をつまんで女らしさを演出している辺り、挑発のつもりなのだろう。
「その誘惑、俺には聞かないから」
「やーいやーい、雑魚チンポ、童貞ザルー」
続いて俗極まりないセリフを連呼した。
「……」
「ほ、本気で効かぬようじゃな……」
師匠は顔を引きつらせて驚愕した。
「年下に興味は無い。不思議な存在なら俺の好みの見た目に化けるくらいの非常識さは見せて欲しいよ、まったく……」
「年下に興味が無いとか酷いのう……儂、泣いちゃうぞ? 運命的な出会いじゃったろ?」
口を尖らせて目を潤ませる師匠だったが、自然と顔が引きつってしまった。
運命的な出会い……。その言葉で連想されるのは残念ながら師匠ではなかった。
ふと、金髪の記憶が蘇る。
あの時、彼女が何を言いたかったのか、そんなことは今の今まで頭のどこかで眠ってしまっていた。俺自身、あまり深く受け止めていないことも事実だ。
「拓哉たくや」
「?」
「お主のスマホ鳴っておらんか?」
師匠に言われた通り、テーブルの上でスマホが振動していた。
メッセージだけを確認し、ソファから立ち上がる。
「悪い、師匠。今日飲みに行くことになった」
「な! 儂の晩飯はどうする気じゃ!」
「うーん……カップ麺?」
「お主、この小学五年生の身体にはちゃんとした栄養が大事なんじゃぞ!」
「赤と緑だったら両方あるよ」
「なら許す。うーむ、どっちにしよっかなぁー」
真っ当なことを言う師匠だが、意外にもちょろかったりする。
マンションのエントランスから出ると、目の前に大通りが広がる。
神奈川県厚木市。
既に夕暮れの街並みには夜の涼やかな空気が漂っており、帰宅途中の社会人や学生で溢れかえっていた。というのも、俺が住んでいる本厚木駅周辺は一言で言えば充実しているのである。駅に隣接したショッピングモール『ミロード』、駅前の娯楽施設、飲食店のジャンルの多さにいたるまで。ちょっとした遊びや買い物なら困ることは無いだろう。
むしろ、新宿を中心に小田急おや他路線が機能不全に陥っている現在、本厚木の便利さはありがたい。
俺は充実した人間たちを避けるように道の端を歩く。
訪れたのはマンションから本厚木駅へ向かう途中にある商店街。居酒屋が立ち並ぶ宴に適した通りだ。
待ち合わせの時間まであと十分弱ある。タイムライン警備をしていれば、時間は感じないだろう。
現在、SNSの話題を総取りしているのは新宿区で起こった凄惨な事件だった。実際に遭遇した人、親族に被害者が出た人、安全な部屋の中から記事だけを読んでは意見を述べている人……話題に集まる人間は大きく分けてその三種類だった。
『新宿封鎖ってヤバいな』『マジでレヴナント怖すぎる』『政府の対応が遅すぎた』
具体的なコメントも様々だったが、俺にとっては心底どうでもいい事だった。
今は生きているので、自分に危険が呼ばない限りは慌てる必要もないと考えている。
「……――っ!」
スマホから目を離して顔をあげた。目の前を金髪のポニーテールが横切ったからだ。
夕暮れの街の中で彼女の金髪はかなり目立って見えた。
件の女――遊佐アカリは超然とした態度で人の流れに沿って歩いていた。だが、存在感は隠しきれるものではなく、少なくとも俺を始めとする男の視線は引いている。
「……」
胸の淵から吐き気のような不快感がジワジワと体に充満していく。
一度深呼吸をして落ち着きを取り戻すと、俺の嫌悪感は違和感にすり替わった。
「なんでいんだよ……」
俺の記憶が正しければ、もう二度と会わない的な空気が流れていたはずだ。
中指立てて挑発しちゃったよ……どうしよ。
目を離してこの場から去りたい気持ちは山々なのだが、下手に動けないのが現状だ。天敵が近くにいる時、動物がジっとしている意味が理解できた気がする。
警視していると、茶髪で制服を着崩した「いかにも」な男子高校生が彼女に話しかけた。
「君カワイイねぇ、どこ高?」
引いたのは俺の目だけではなかったらしい。彼女の見た目では、まぁ当然だが。まだこういう輩がいるのかと、興味の視線が向く。
金髪JKは男の問いかけに一切返事をせず、駅の方へ歩いていく。
「ちょ、無視はキツイなー」
チャラ男は遊佐アカリの先回りをするかのように彼女の前に躍り出た。
助けた方がいいのだろうか……チャラ男の方を。だが、下手にかかわってナイフでも突き付けられたら面倒だ。
ここはチャラ男を囮にこの場を離れるのが賢明……。
「……ウチはスパダリしか受け付けないし、やりらふぃーはグッバイしてもろて」
……な、なんて?
金髪JKは男のことを無表情で見つめながら、訳の分からない言葉を話し始めた。
「ははっ! 微妙に意味違くねー?」
さすがはチャラ男と言ったところだろう。物おじせず、あろうことか間違いを指摘した。
笑顔のチャラ男に対して、金髪JKは依然として無表情を崩さなかったが、少し頬を赤らめている気がするのは夕日のせいだろうか。
金髪JKはそのまま何事も無かったかのように立ち去ろうとする。
「ちょっと待ってよー」
だが、チャラ男の方はさらに先回りして彼女の進路を妨害した。今の言語を理解した彼には脱帽だが、しつこい気がするのも事実だ。
「……」
「だから無視するなって――」
チャラ男の声を置き去りにして、巨体が空中で半回転して地面に激突した。
少女の見事な背負い投げに周りは静まり返る。
「……」
金髪JKは自分が起こした騒ぎに気が付いたのか、無表情は崩さずに周りを見回し始めた。どうやら、常識の概念は少なからずあるようだ。
「やべ」
彼女の視線から逃げるように顔を背け、街路樹の陰に隠れた。冷凍光線のような視線が頬に突き刺さっている気がしてならない。
「拓哉くん、おっすー」
「っくりしたぁ」
不意に背中を叩かれ、我に返る。振り返ると黒髪セミロングの美少女が立っていた。
「なんだ、ミサキか」
坂本ミサキ。
高校の時からの付き合いで、俺を魔法使いと認知している数少ない人物だ。
知り合った時から読者モデルをやっており、周りの女子たちとは一線を画す美しさを放っている自慢の友達である。
「一週間ぶりだね、拓哉くん」
「そうだっけか?」
俺の体感ではつい昨日あった気がしていた。
「拓哉くん、どこで飲むかとか聞いてる?」
「いや、青山が来たら聞くつもりだけど……」
言いながら遊佐アカリの方を一瞥するが、既に人混みに紛れてしまい、視界から消えていた。
「拓哉くん?」
「ミサキ、場所を変えない?」
「うん、いいけど」
ミサキの目の前で新宿の時のような凶行をされると非常に困る。
笑顔を浮かべているミサキを連れてその場を後にした。
「ねぇねぇ、拓哉くん。今日の私の服、どうよ」
「え? あ、うん。最高」
「相変わらず素っ気ないなぁ。そんなんじゃ一生彼女なんてできないぞー」
俺が抱えている緊張感とは裏腹に、ミサキは呑気なことを言いながら背中をポカポカと叩いてきた。
「作ろうとしてねぇっつの」
「お、それはミサキちゃんというスーパー美少女が傍にいるからですか?」
「……」
「無言で睨むのやめて? 今のは私もちょっと恥ずかしかったから」
ミサキは「たはは……」と笑いながら両手で赤くなった顔を扇いだ。
彼女の楽観さにはため息が出るが、話していると緊張が解れるのも確かだ。
「ミサキがいつも通りで安心するよ。実家みたいで」
「? なんかすごく焦ってない? 汗凄いよ? どーしたのよ」
俺の歩幅に歩きづらさを覚えたのか、ミサキは真面目な顔で指摘してきた。
下手に話して不安にさせるのは俺の中でご法度だった。
無言を貫くのも手だが、彼女に話さずに痛い目を見ることも経験済みだ。
などと悩んでいると、目の前の人混みからアロハシャツを着た長身の男が姿を現した。
「おー、バカップルじゃん」
「……お前は悩みとかなさそうだよな」
「開口一番、失礼じゃね? 理不尽じゃね?」
青山ソウスケ。
大学の友人であり、今日の飲みに誘ってきた本人である。上裸になっても、スーツを着ても、今日のようにアロハシャツを着ていても、チャラいという属性が拭えない残念な男だ。
「とりあえず店に行こうぜ。皆もう集まってっから」
青山は陽気な足取りで俺たちの前を歩いた。
「拓哉くん拓哉くん」
「ん?」
俺の隣を歩くミサキが静かに話しかけてきた。次いで、揶揄うような視線を向けてきた。
「今日は拓哉くんを酔い潰すから、覚悟しててね」
「勘弁してくれ」
俺の困る表情を見れて満足なのか、ミサキは心底楽しそうに笑った。
これが彼女なりの元気の出させ方なのだろう。
「ほらほら! 拓哉くん、シャキッとしないとマジで潰れちゃうかね!」
と、割と強めに背中を叩かれた。
ミサキが歩幅を広げて俺の前に行こうとしたその時。
「坂本ミサキだな」
青山と俺たちの間に金髪のJKが割って入ってきた。
「――!」
反射的にミサキの手を掴んで引っ張った。
「おっとっと……何? どうしたの拓哉くん」
「あれ、誰? この金髪の子。メチャクチャ可愛いけど」
あっけらかんとしている青山とミサキをよそに、俺と遊佐アカリの間には虫一匹の侵入も許さない間合いが展開されていた。
「何の用だ」
「お前に用は無い。私は坂本ミサキに用がある」
ミサキを一瞥してみるが、状況を把握できていない様子だ。
「連れて行かせると思うか?」
「邪魔するなら排除する」
遊佐アカリの右手がわざとらしくスクールバックの中に入る。
この場で暴れられると色々面倒だ。ミサキはともかく、今は魔法の存在を知らない青山もいる。
「おいおい、JKは飲み会に誘えねぇぞー」
こちらの緊張を読み取れなかった青山は冗談ぽく言った。
「悪い青山、先に行っててくれ。俺とミサキもすぐに行くから」
「は? なんで」
「後で絶対行くから! 頼むから今は消えてくれ」
「……まぁ分かった。ちゃんとこいよ? ったく隅に置けない奴だな」
青山は不服そうな表情を浮かべて人混みの中へ消えていった。面倒だが、青山の誤解は後で解くとしよう。
「おい金髪、付いてこい」
「た、拓哉くん……えっと、これは?」
「ごめん、また厄介ごと」
「あはは……私は大丈夫だけど、拓哉くんは大丈夫?」
「割とつらい」
ミサキは「だよねー」と引きつった笑顔を浮かべた。
だが、遊佐アカリは俺に用は無いと言っていた。俺を殺害するために外堀から埋めようという魂胆なのか、彼女の無表情からは一切の情報が読み取れない。
「ミサキ、離れないで」
「もちろん」
遊佐アカリが背後に付いてきているのを確認しながら青山とは逆方向へ進んだ。
面倒なことになったと、ため息を吐きながらも背後から何度も突き刺さる殺気を帯びた視線が俺の緊張感を煽る。
同時に、呆れてもいた。
以前、ミサキを二度と危険な目に遭わせないと誓ったのにもかかわらず、平和ボケして忍び寄る危険に気付けなかった自分自身に……。
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