7.魔法使いと人見知りの天使

 ミサキと暮らし始めてから早くも一週間が経過した。

 レヴナントが出現することも無く、政府の人たちが接触してくることも無かった。

 何もない一週間だった。だが、依然として気の抜けない日々が続いている。


『新宿での事件の後に組織されたレヴナント対策特殊部隊パージですが、今のところ目覚ましい活躍を見せていますね、被害者が出る前に迅速に対応できるのは彼らだけでしょう』


 ソファに座ってテレビを眺めながら流れ作業的に、レヴナントの情報を集めていた。

 ニュース番組内で話題に上がったのは、政府が新たに立ち上げた『パージ』と呼ばれる組織だ。

 言わずもがな、俺が見た連中で間違いないだろう。

 嫌な男の顔と金髪が脳裏を過った。


「ねぇねぇ、拓哉くん、今度ここのカフェ行ってみない?」


 隣でくつろぎながらスマホを見ていたミサキが楽し気にスマホの画面を見せてくる。

 相変わらず自分の立場を理解しているのか怪しい彼女だったが、俺はなるべく柔らかい表情で応対する。

 ミサキも俺の家での生活に慣れ始めたのか、遠慮が無くなってきた。

 まぁ、人の家で本格ラーメンを一から作り上げるような図太い人間なんて他にいないだろうが。

 俺はミサキの話を半分、もう半分をテレビに耳を傾けて聞いていた。


「戻ったぞーー」

「あ、フィアちゃんが帰ってきた!」


 と、師匠の声が聞こえた瞬間、ミサキはスマホをソファへ投げ捨てて飛び上がった。

 会話をぶち切られ、振り回されて白目を剥きそうになった。

 時刻は午後三時。

 ちゃんと小学五年生をやっている師匠が帰ってくる時間だった。


「お・か・え・りぃ! フィアちゃ――えええええええ‼」


 ミサキの奇声が轟く。

 俺の目の届かないところではあるが、叫びの声色からして危機感は一切感じられないので、動かなくてよし。


「なんじゃうるさいぞ、ゴリラ女、そこを退け」


 師匠の声が聞こえた後、足音がリビングに近づいてくるのだが、ミサキと師匠、二人にしては音の数が多い気がした。


「お、拓哉もおったか」


 俺はリビングに入ってきた師匠の方へ振り向いた。


「師匠、おかえり……は?」


 見慣れた師匠の赤髪の横に、見知らぬ女子児童が立っていた。

 フワフワとした毛質の夜色の髪の毛はショートボブに纏まっており、小さく細い身体を申し訳なさそうに師匠に寄り添わせている。


「え、えっと、あのフィ、フィアちゃん? お家の人いるなんて聞いてないよ?」


 微かに聞こえたその声は透き通っており何の穢れも知らないかのように綺麗だった。

 視覚と聴覚が一気に満たされ、うっかり思考を停止してしまったが、彼女の正体を暴かなければならない。


「あの、この子は?」

「カエデじゃ」

「あの、情報不足です」

「細かいことはよい、さっさと菓子を出せ。客じゃ」


 突然の来客に俺はソファの立ち退きを強要された。大学生二人はリビングの外から、テーブルにノートと教科書を広げる女子小学生二人を眺めていた。


「た、拓哉くん、あの美幼女……知り合い?」

「し、知らない、あんな美幼女」

「目が蒸発しそう……! つらい! 尊すぎてつらい! お願い、目を潰して! 私の目を潰して!」

「出来るか!」

「――おい、うるさいぞマヌケども」


 と、茶番を繰り広げていると、師匠から痛烈な視線を貰ってしまった。


「フィアちゃん……わたし、もう帰るよ……」

「ダメじゃ、漢字練習と計算ドリルやってからじゃ」

「お、お家でやるよぉ」

「ダメじゃ、お主は友達に頼るということを覚えよ」

「ふえぇ」


 俺は勇気を振り絞って、師匠の背後に移動する。


「あの、どういうことですかね」


 小声で尋ねる。


「む、カエデは人見知りが激しくてのう、出来れば勉強を教えると同時にコミュニケーションの仕方を教えてやってはくれぬか?」


 師匠は小言で中々ハードルの高いことを要求してきた。


「最近転校してきたのじゃが、どうにもクラスに馴染めておらんのでな、拉致ってきた」

「言い方」


 ともあれ、師匠が誰かのために行動することは珍しい。

 何かに感化されたか、ただの興味本位かのどちらかだ。

 実のところ、既にカエデちゃんのために一肌脱いであげようと思っている自分がいる。


「あと、あそこの変態は近づけるな」


 と、師匠が指す方を見ると、ミサキがドアの影に隠れて、ヨダレを垂らしながらこちらを見つめていた。


「あ、うん、多分近寄ってこれないと思う」

「それはそうと、お主勉強は大丈夫かのう?」

「まぁ、それなりに……なんで?」


 師匠はそれを聞くとにやりと笑った。


「勉強を教えてはくれぬか? 現役大学生さん?」


 何となくだが、師匠の意図が読めた。

 勉強を介してコミュニケーションを取れということなのだろう。師匠にしては気の利いた行動だ。


「なるほどね」

「にしし、儂、天才じゃからな。気遣いが出来るいい女よ」


 だが、師匠でも教えながらコミュニケーションは取れるのではないかと、疑問が生まれる。


「カエデが算数を教えてもらうとして、拓哉? 県庁所在地ってなんじゃ」

「……なるほどね」



 昔から勉強が得意というわけでは無かった。ただ、昔の俺には勉強しかすることが無かった。

 一言で言えば日陰者。

 俺はクラスメイトや同じ学校の生徒たちを一歩引いて見ていた。


「――三岳ってなんか不気味だよね」


 言われ慣れたセリフだ。

 仕方がないことではある。

 まだコミュニティが十分な社会性を持たない段階では、自分と違う物は排除するのだ。

 ――俺ははみ出し者だった。

 子供たちからすれば恐怖の象徴にすら成り得たのだろう。

 おかげでイジメや嫌がらせは無かった。報復が怖いからだ。


「――三岳って犯罪とか色々してるらしい」


 聞き飽きた噂だ。

 魔法使いである俺を政府の連中は面白がり、付き纏ってきた。

 俺は青春が壊れていく音を毎日のように聞いていた。

 だが、不思議と俺は誰のせいにもしなかった。子供が作り上げるコミュニティに触れなかったからこそ、達観した物腰で自分に起きている出来事を整理できていたのだ。

 全てを仕方がないことだと。これは誰も悪くないことなのだと割り切っていた。

 ミサキが現れるまでは。


「一人で考えてダメなら二人で考えよう!」


 ミサキはそう言ってくれた。

 彼女は俺の荒んだ心を救ってくれた。

 俺には青春は無かった。

 だが、この二人が居なかったら、俺の人生はもっと別の、良くないものになっていただろう。

 だからこそ、得体の知れない理不尽に「今」を奪われたくないのだ。



「――で、ここではみ出しちゃった数字を足して……」

「あ、そっか、なるほど」


 あれから小一時間ほどでカエデちゃんはすんなり俺に心を開いてくれた。算数をはじめとして、社会と理科も出来る範囲で教えた。


「どう? これでこの問題は出来そうじゃない?」

「はい! ありがとうございます! 拓哉さん」


 カエデちゃんの無邪気な笑顔が俺の心臓を貫いた。


「――て、天使……?」

「お、やるではないか、拓哉」


 師匠が肘で脇腹を突いてきた。


「まぁね。ていうか、師匠? なんで群馬県が九州にあるの?」


 師匠がやった日本地図の穴埋めを確認したところ、東京と神奈川、北海道と沖縄以外はめちゃくちゃな位置だった。


「ち、違うのか?」

「日本地図を当てずっぽうでやろうとするなよ……わからなかったら調べてもいいから」

「ふふっ、フィアちゃんって面白いね」


 カエデちゃんは上品に笑った。


「宿題はこれで全部終わったかな、カエデちゃん」

「はい、拓哉さんのおかげです」


 カエデちゃんが帰り支度を済ませて立ち上がったところで時計の針は五時を指していた。日照時間が長くなったことを実感する時間だ。

 玄関まで見送ろうと一緒に立ち上がる。


「今日はありがとうございました……あの……拓哉さん?」


 カエデちゃんは視線を泳がせてモジモジしている。


「ん? トイレなら――」

「ま、また来ても良いですか?」

「――っ!」


 特上の上目遣いが飛んできて思わず失神しかけた。


「も、もちろん、いつでも来ていいよ」


 気恥ずかしさから視線を逸らすが、逸らした先にミサキがお茶碗を持って立っていた。


「し、白飯食ってたの?」

「うん、最高のオカズがあったものだから……つい」

「えぇ……」



 カエデちゃんが帰った後、恍惚とした表情のままクッションを抱きしめるミサキと、ニヤニヤした師匠が部屋に残された。

 俺はどちらにも関わらないように台所に向かい、冷蔵庫を開けた。

 晩飯には良い時間だろう。


「拓哉」


 不意に、師匠から呼ばれ、冷蔵庫の中身を見ながら返事をした。


「なに?」

「いや、お主も成長したのう」

「もう大人ですから?」


 冷蔵庫の中にあったソーセージとフランスパンを持ち出した。

 冷蔵庫の中に俺の趣味ではない垢抜けた物が入っているのは恐らくミサキの影響だろう。

 俺がソファに近づくと、師匠はミサキを無理矢理スライドさせて二人分のスペースを確保してくれた。


「拓哉があそこまで親身になるとは……可愛い子には弱いのかのう?」

「まぁ、間違っていない。カエデちゃんにはちゃんとした青春を送ってもらいたいよ」

「ほう? それは良い心がけじゃな。じゃが、自分のことを粗末にするなよ。このまま籠城するつもりか?」

「……」

「お主も若者じゃ、たまには外で遊んで来い」


 小学生に言われると混乱するセリフだ。


「ま、その内ね」

「お主の青春はこれからじゃぞ」


 師匠はそう言ってニカっと笑う。

 部屋の中が変に蒸し暑い気がした。

 俺が恥ずかしがっているだけなのか、単に夏が近づいているのか。

 ――青春か……。

 俺には青春なんて訪れないと思っていた。

 師匠が居なかったら俺はずっと誰とも関係を持つことなくひっそりと暮らしていただろう。

 ふと、遊佐アカリの姿が脳裏を過った。

 彼女はレヴナントとの戦いに追われてJKとしての本分を全うできていないのではないのだろうか。

 またしても――胸が苦しくなった。


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