6.魔法使いと欠けた日常

 翌日、ミサキと共に生活必需品を求めて外出した。

 既に日は傾き始めており、有刺鉄線が張られた通りは会社帰りの人や下校途中の学生で溢れていた。みんな慣れない迂回路へ流れていく。

 今が一番人の多い時間帯。監視の目をかく乱するには最適だろう。

 俺は有刺鉄線の中で重機が道路の舗装をしているのを横に見ながら人の流れに身を任せた。


「何の工事かしら?」

「あら、知らないの? この前ここら辺で大きな事故があったらしいわよ?」


 人混みの中、俺の後ろを歩いている奥様たちはそんなことを話している。


「事故? レヴナントじゃなきゃいいんだけど」

「そうねー……レヴナントだったら怖いわねぇ」


 聞こえてくる会話だけではない。

 SNS上でもレヴナントに対する畏怖の念は広がっている。

 レヴナントは神の使いだと、ここぞとばかりに声を大きくする宗教関係の人、レヴナントに虐げられることを拒む過激派と、レヴナントとの和解や共存を望む穏健派といった、様々な人たちが論争している。


「あ、フィアちゃんがシュークリーム食べたいって。コンビニのやつじゃなくて、ちゃんとしたお店のやつがいいらしいよ?」


 スマホを見つめていたミサキが声を上げた。


「……めんどくせぇ」


 俺がぼやくと、腕を掴まれた。


「よし! フィアちゃんの頼みだ! 急いで買いに行くよ!」


 早歩きのミサキに引っ張られ、本厚木駅に隣接するショッピングセンター『ミロード』にたどり着く。

 師匠への献上を急ぐミサキを落ち着かせつつ、手短に主目的を済ませた俺たちは、大荷物を携えて同じ建物内にあるケーキ屋を訪れた。


「わぁー! 美味しそーー! 私も何か食べようかなぁ」

「ミサキも食べるの?」

「もちろん! あの、すみませーん! プレミアムダブルシュークリームと苺のショートケーキをください! あ、ラッピングってできますか?」

「はい、可能ですよ? あ、もしかして彼氏さんにですか?」


 店員のお姉さんが俺を一瞥してミサキと楽し気に会話を展開し始めた。


「ん?」

「そんなところです!」


 息をするように嘘ついたな、今。


「はぁ……ったく」

「――遊佐ちゃんマジで言ってる⁉」


 ミサキの暴走に呆れていると、不意に若い女性の声が耳に入り、俺の視線は自然と声の方へと向いた。

 店内は飲食スペースも兼ねており、買ったケーキとドリンクでお茶会を開いている客も少なくなかった。

 見覚えのある制服姿の女子高生、四人がテーブル席に座っているのが目に入った。


「そっか知らないのかぁ、じゃあ遊佐ちゃんにも教えたげる!」


 見覚えのある制服だとは思ったが、窓側に座る金髪が目に入り確証に至る。


「何やってんだ……あいつ」


 遊佐アカリは普段通り硬い表情をしているが、微かに周りの女子たちに戸惑っている様子だった。


「い、いや、ダンスは……」

「えー可愛いじゃーん、遊佐ちゃんがやれば絶対バズるって!」


 と、遊佐アカリに言い寄る女子は『普通の女子高生』と言った感じで洒落っ気もあれば、周りの女子たちか浮くような見た目もしていない。


「ピースサイン作ってー胸から顎に持ってきて……」

「こ、こうか……?」

「そうそう、で、ここからこうやって……からのギャルピース」

「ギャルピース……?」


 あそこまでタジタジしている遊佐アカリは珍しく、少しの間、見入ってしまった。

 安堵したというのが素直な感想だ。遊佐アカリのような常識を知らない変人でも女子高生ともなれば、友人の一人や二人はいるのだろう。


「マジでヤバ……何も知らないじゃん。ウケる」


 周りの流行りに着いていけず、興味だけを向けられている状況。彼女がそれを良しとしているのか、多少なりとも遺憾に思っているのかは分からない。

 だが、彼女が普通の女子高生として普通の青春を謳歌できていないことは明白であった。

 少し――胸が苦しくなる。


「よーっし! シュークリームもゲットしたことだし、帰ろうか! 拓哉くん!」

「え、あ、うん」


 ミサキは遊佐アカリがいることに気づいていない様子だった。


「今日は気合入れて晩御飯、作るからね!」

「……今日ってなんか特別なことあったっけ?」

「初めてフィアちゃんからお使い頼まれた記念日!」


 絶句する他ない。



 買い出しを終え、家に戻ると、ミサキは気合を入れてキッチンに籠った。

 スマホを見つめる師匠と共にソファでくつろぎながら夕飯の完成を待つ時間だったが、俺の頭の中にJKに囲まれる遊佐アカリの姿が焼き付いて離れないでいた。


「なぁ、師匠?」

「ん?」

「ギャルピースって知ってる?」


 師匠は無言で逆さのピースサインを突き出してきた。


「これじゃろ? 良く流れてくるわ」

「師匠でも知ってるんだよなぁ」

「む、失礼じゃな、お主よりは流行りを注視しておるわい」

「万年、白いTシャツで味気ない奴に言われてもねぇ」

「儂だって、オシャレしようと思えばできるぞよ」


 得意げに宣言する師匠の背後にミサキが現れる。


「フィアちゃん……今の聞いたよぉ?」

「のわぁぁぁっ!」

「こんど一緒にお洋服買いに行こうね?」


 と、絶叫する師匠を抱きしめるミサキ。部屋の湿度が上昇した気がする。


「そんな金どこから出てくんだ……って、何だ? この匂い」


 ミサキが近づいてから、香ばしい匂いが部屋の中に充満していた。嗅いだことはあるが、家の中ではまず嗅がない匂いだ。


「これは……ラーメン……じゃな」


 師匠はミサキの胸に顔を埋めて言った。


「お、正解! ヘルシー料理も良いけど、拓哉くんは男の子だし、フィアちゃんもラーメン大好物でしょ?」

「な、なぜ知っておる……」


 青ざめる師匠をよそに、ミサキは屈託の無い笑顔を浮かべた。


「そろそろ食べたくなるころだと思って、昨日から醤油ダレを仕込んでたんだ!」


 普通の主婦でも愛している旦那のために一からラーメンを作ろうとは思わないだろう。

 師匠のためだろうが、凄いを通り越して怖い。

 程なくして、家庭では出せないような本格的なラーメンが運ばれてくる。


「はーい召し上がれ、坂本の家系ラーメンです!」

「……いただきます」


 麺を持ち上げ、勢いよく啜る。

 醤油の味とともに豚骨の風味が口の中に広がっていく。

 もちもち太麺の触感も良く、ラーメンを食べているということを実感する。食べなれた味だが、食べ飽きない味だ。店で出されるラーメンの味を完璧とはいかずとも大方再現できていた。


「すげぇ……うめぇ」

「でしょー? まぁ……一杯三千円くらい飛んだけど」


 苦笑しつつ、ミサキのターゲットである師匠へ視線を移す。


「どう? フィアちゃん」


 ミサキの質問には答えず、師匠は真剣な眼差しで麺を啜っている。たまに具材を合わせて口に入れたり、スープを飲んだりと、言葉は無くともラーメンの全てを味わっているのが目に見える。


「師匠、美味いとかなんとか……」


 さすがに感想くらい話しても良いと思い、口を挟もうとした。だが、ミサキに「待って」と止められる。


「あの顔……味の深いところまで吟味している……麺の茹で具合、チャーシューの旨味、野菜の新鮮さや、出汁に使った材料の種類に至るまで……私が作ったラーメンのすべてを解剖している顔よ」

「……は、はぁ」


 意味の分からない領域を展開され、自ずと黙ってしまった。いや、もう下らねぇとしか言いようが無いが。

 結局、ミサキに見つめられる中、師匠は一言も発さずにスープまで飲み干した。


「……ふむ……拓哉」

「え、俺?」


 なぜか俺の名前が呼ばれ、声が裏返る。


「このゴリラ女、いや、ミサキと結婚せよ」


 師匠は涙を零しながら微笑んだ。


「儂は生まれて初めてラーメンに感動しておる。低級の食材、短時間での料理、家と言う限られた空間、なにより、店へ運ばずとも味わえる至福の一杯。まさか、これほどまで近くに存在しようとは……! ミサキよ、儂のために毎朝これを作ってくれぬか? 主は国宝に輝いても良い人間じゃ。他の誰でもない、この儂が許そう」

「~~~フィアちゃん……!」


 ミサキは感極まった表情を浮かべ泣き崩れた。


「ありがとう……! ありがとう!」


 師匠も何故か目を閉じて幸せそうな顔をしている。今にも天使が降りてきて師匠の魂を持っていきそうな勢いだ。


「……何これ」


 依然として目の前で何が起こっているのか分からなかった。

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