5.魔法使いと正義の味方

 ミサキの心配そうな表情が目の前に現れる。


「――拓哉くん? どうしたの?」

「あ、いや、大丈夫」


 ミサキを目の前にボーっとしてしまうとは、かなり追い込まれているかもしれない。

 とは言え、心配をかけないためにも毅然とした態度を貫く。


「あ、中入って」

「うん、お邪魔しまーす」


 ミサキは玄関周りに視線を下ろしながら入ってきた。

 ミサキが来るということで綺麗にしてあるつもりだが、少し緊張してしまう。

 一メートルにも満たない廊下を通り、リビングに入る。


「む、来たか、ゴリラ女」


 ソファに座っていた師匠が目を細めてミサキを威嚇した。

 うっかり流しそうになったが、ゴリラ女て……まぁ、師匠のことだ。彼女が読者モデルと知っての狼藉だろう。


「きゃあああ! フィアちゅわあぁぁん! 会いたかったよぉ! 今日からよろしくねぇ!」


 師匠の辛辣な悪口に怯む様子は一切見せず、ソファに飛び込んで師匠に抱き着いた。

 本人曰く、何等かの成分を吸収しているとのこと。彼女の中に潜むレヴナントと奇行に関係がないことを願う。


「いやぁん! フィアちゃんの匂い落ち着くわぁ……食べちゃいたいくらい」

「うわぁ! 耳を甘噛みするでないわ! たわけ!」


 師匠が慌てふためく姿は結構レアなので眺めていたいが、少し気の毒だ。


「飲み物は?」

「んー今は大丈夫、自分でやるから気にしないで。フィアちゃんは欲しいよねー?」


 どのみち用意するつもりだった俺はキッチンへと足を運んだ。

 師匠が買った、ロクに飲んでいない紅茶があったはずだ。


「――三岳拓哉、紅茶はどうやって淹れるんだ?」

「あー、まずはお湯沸かさないと……」


 キッチンでカップとポッドを持った遊佐アカリと目が合う。


「なるほど、ではお湯はどこで――」

「――いつから!」


 遊佐アカリを出迎えた記憶が無かった。


「さっき普通に窓から入ったが……」

「普通に窓からって何!? ……てかお前」


 俺は彼女の顔から視線を落として服装に着目した。

 外国人の怒鳴るような顔がデカデカとプリントされたTシャツに、今は懐かしきダメージジーンズという良く分からないファッション。

 極めつけは、外国人の目の部分だ。彼女の胸のせいで目が飛び出しているように見える。


「ぷっ……い、いや……あの」

「なんだ」


 遊佐アカリは冷ややかな視線を向けてくる。吹き出したら殺されかねない空気だ。


「こ、これ、向こうに運んでくれ……」


 外国人と目が合う。


「――んんっ!」 

「なんだ、調子でも悪いのか?」

「い、いやぁ? ダイジョウブ……」


 遊佐アカリは珍しく心配するような声掛けをしてきたが、今はそれどころではない。

 何がズルいって、遊佐アカリは真面目な顔をして俺を見てくるのが余計にネタっぽく見えてしまうのだ。


「これ、持っていけばいいんだな?」

「う、うん……」


 遊佐アカリは怪訝な視線を向け、俺が用意した紅茶をミサキの下へと運んだ。


「――ぎゃははははははははっ!!!!!!」


 師匠の遠慮なき大爆笑が響き渡る。


「なんじゃその服! ひーっ! 腹痛い! 目ん玉飛び出てるぅ! やめよ! こっちを見るでない! 誰じゃ、この外国人は! ぎゃははははっ!!」


 釣られて口角が上がってしまい、思わず口を隠した。


「フィ、フィアちゃん笑いすぎ……ぷっ……ま、まって、アカリちゃん、こっち向かない……あははははっ!!」


 ミサキと師匠は遊佐アカリの服装を見て腹を抱えて笑い始めた。

 俺は笑うのを我慢しながら、そっと遊佐アカリの顔色を伺う。


「あ、あの遊佐アカリさん?」


 無表情なのには変わりは無いが、微かに頬が赤く染まっていた。


「……なんで二人とも私の胸を見るんだ……べ、別に変なところなんて」

「いや、それは……」


 外国人とまたしても目が合った。

 逃げるように視線を上げると遊佐アカリと目が合う。案の定、不服そうに眉をひそめていた。


「いや、まぁ……色々あるんだよ」


 遊佐アカリは何のことか本気で分かっていないようで、さらに怪訝そうに目を細めた。


「ふいー、ダサすぎじゃろ、小学生男子でももう少しマシじゃぞ」


 師匠は辛辣な評価を述べた。ミサキに絡まれて鬱憤がたまっているのかもしれない。


「うーん……」


 続いて、落ち着きを取り戻したミサキが、遊佐アカリの全身を品定めするように見つめ始めた。

 彼女であれば、もう少しオブラートに包んだ感想を言ってくれるに違いない。


「まぁ、うん、頭以外ゴミ箱に捨てた方が良いかも」


 言葉を選んだ風に見えたが、オブラートのオの字も無い酷評が飛び出た。


「もういい。さっさと話すことを話せ」


 遊佐アカリは声音に微かな苛立ちを込めてずっと手にしていた紅茶をテーブルに置いた。


「だーめ、こんな格好の人が近くに居たら話入ってこない!」


 ミサキは感情に任せてとんでもないことを言い放った。


「何よりもまず、洋服! 買いに行こう!」


 急遽、遊佐アカリにちゃんとした服を着せてあげるためのショッピングが始まった。

 場所は本厚木駅に隣接している商業ビル。

 遊佐アカリは俺の部屋にあった適当なTシャツに着替えたが、それだけでもかなりマシになった。

 だが、火のついたミサキは止まることを知らず、困惑する遊佐アカリを連れて店を転々としている。

 俺もその後を追いかけていた。

 因みに、師匠は面倒くさがって家で留守番をしている。


「私にこんなことをしている暇は……」

「あ、ほらこれとか凄く合うんじゃないかな! 金髪だからモノトーンとかでも全然似合うから迷っちゃうなぁ」


 ミサキは構うことなく、店員さん顔負けのマーケティング力で服を選んでいる。

 俺はその様子を店の外にあるベンチに座って眺めていた。

 ふと、ミサキに迫られる遊佐アカリの横顔に目が留まる。

 普通の服を着てオシャレなショップにいる彼女を見ると、新宿で見た血生臭い姿が嘘のように思える。

 遊佐アカリという少女が日常に溶け込んでいる姿は不思議と俺の胸を締め付ける。

 二時間後、ミサキはようやく納得したのか、遊佐アカリを解放した。


「じゃーん、オシャレなアカリちゃんでーっす!」

「……」


 連れてこられた遊佐アカリは不服そうな表情をしていたが、見た目は外国人Tシャツとは比べ物にならないほど垢抜けていた。

 ベージュのキャップ、同じくベージュのワンショルダーワイドパンツと白のTシャツ。色が統一されたコーデで、遊佐アカリの金髪も相まって綺麗にマッチしている。

 テンションが上がってしまった観光客のような服装から一変して大人びた印象になった。


「うん、可愛いよ、アカリちゃん! さすがだなー、スタイルがいいからこういうシンプルな物でもオシャレ感でるの羨ましいなぁ。あとはアクセとか買った方がもっとレベルアップするけど……」


 遊佐アカリは極限まで目を細めて拒否を表情に表した。


「あ、うん、また今度にしよっか……」


 遊佐アカリが外を出歩ける恰好になったところで、一度家に戻ることになった。

 時刻は午後七時を過ぎ、街は既に夜になっていた。

 駅付近は帰宅途中の人々で溢れかえっていたのだが、マンションへ近づくにつれて人は減っていき、気が付けば辺りは静寂に包まれていた。


「あ、アカリちゃん」


 先を歩くミサキは笑顔で振り向いてきた。

 周りに通行人がいないことをいい事にそのまま後ろ向きに歩き始める。


「アカリちゃんって彼氏とかいないの?」

「いない」


 俺の隣で遊佐アカリは即答した。


「じゃあ、好きピは?」

「は?」

「好きピ、いない?」

「え、あ、うん……うん?」

「えぇー! アカリちゃん可愛いんだから! 恋しなきゃ! あ、でもアカリちゃんのことだから男の子の方から寄ってくるかもね」


 遊佐アカリは視線をこちらに送ってくる。

 やめろ、俺に通訳は無理だ。


「ね? 拓哉くん! アカリちゃん可愛いよね!」


 続いてミサキが俺に笑顔を向けてくる。やめろ、俺はこの会話に混ざれない。

 ミサキのワクワクした表情を害する気は無いのだが、遊佐アカリを普通の女の子として見るのは無理がある。

 俺は命を狙われているという理由があるが、遊佐アカリのような美人は普通の男子からしても『近寄りがたい』のだ。


「可愛いよね! ね!」

「勘弁してくれ……」

「んもう! 煮え切らないなぁ! 女の子は可愛いって言葉に弱いんだから! 言ってあげて損はないよ?」

「こいつに限っては例外だろ」


 ミサキは頬を膨らませて前を向いて歩き始めた。

 俺と遊佐アカリは同じタイミングでため息を吐く。


「お前はそれでいいのかよ」

「良くないに決まっている。私に遊んでいる暇なんて無い」


 鋭い視線をこちらへ向けてくる。どうやら威嚇のつもりらしい。


「高校生が聞いて呆れるな。青春しとけよ、後悔するぞ。絶対」

「だから、私には――」


 瞬間――空気が重くのしかかるような感覚が場を支配した。

 今まで感じていた違和感は悪寒へと変わり、前を歩くミサキの方へ視線を向けることによって悪寒は戦慄へと変わった。


「――ミサキ!」


 首無しの巨人――レヴナントが当たり前のようにミサキの前に立ちはだかっていた。ミサキは蛇に睨まれた小動物のように硬直してしまっている。


「え、うそ」

「ミサキ! そのまま動くな!」


 『声』が脳内に響く。


 ――別の運命を辿るとしても――


 ミサキの周りに『壁』をイメージし、展開した。


「おい、まずは――」


 乾いた空気中に三発の銃声が鳴り響く。

 二発はレヴナントの胸部に命中するが、残りの一発は俺が展開した障壁に弾かれた。


「――排除する」


 俺の隣で呟いた遊佐アカリは地面を蹴ってレヴナントへ距離を詰めた。


「おい、待て!」


 俺の声も聴かずに、発砲を繰り返しながら疾走する遊佐アカリ。

 金の尾を引きながら駆け抜ける彼女の眼中にミサキがいないことは明白だった。


「――」


 レヴナントの剛腕を掻い潜り、至近距離で何発もの銃弾を撃ち込んでいく。

 凄まじい身体能力を発揮して攻勢を見せるが、ハッキリ言って俺の魔法を使った方が迅速に片を付けられる。


「おい、遊佐アカリ! 邪魔だ! 燃やすぞ!」


 俺は紙一重の攻防を繰り広げている遊佐アカリに向かって声を張り上げた。


「ミサキを連れて戻ってこい! あとは俺が――」


 ミサキを守る障壁に弾かれた弾丸が俺の頬を掠めた。

 まるで「黙れ」と言わんばかりのタイミングに絶句した。

 じわりと頬に熱が広がっていくのを感じる。


「障壁が邪魔だ! レヴナントの注意がこちらに向いている内に坂本ミサキを離脱させろ!」


 遊佐アカリは俺の話も聞かずに発砲を繰り返す。

 どうやら、どうしても自分で討伐したいらしい。


「……じゃあ、焼かれても文句言うなよ……」


 俺の目的はあくまでもミサキの護衛。

 金髪のあいつはどうでもいい。

 意識を統一し、声を聞く。

 あの怪物を焼――


「――あとは、我々に任せてもらおうかな」


 知らない男の声と共に、肩に手が乗せられる。

 意識は乱され、魔法が発動することは無かった。


「っ!」


 声をする方へ視線を送る。

 黒髪をオールバックにしたスーツ姿の男が俺の傍らに立っていた。

 長身の男は俺ではなく、レヴナントを見つめている。


「全部隊、目標へ集中砲火を開始せよ」


 男は冷徹に呟いた。

 遅れて重装備に身を固めた兵士たちが隊列を成して現れ、レヴナントへマシンガンの銃口を向けた。


「――!」


 容赦なく撃ちだされた凶弾によってレヴナントの巨体が踊り出す。

 弾丸は容赦なくミサキを護る障壁にも打ち付けられ、舞い上がった粉塵は瞬く間にミサキの姿を隠してしまった。


「おい! ミサキがいるんだぞ!」


 叫んだが、銃声によって自分の声すら聞こえない。

 数秒の間続いた銃撃の嵐。

 ようやく煙が晴れ、姿を現したのは地面に伏せ、徐々に灰になっていくレヴナントの姿、そして、障壁の中で横たわり、ピクリとも動かないミサキの姿だった。

 綺麗だった道はミサキがいる周辺の地面を残して、すっかり荒れ果ててしまっていた。


「ミサキ!」


 ミサキのもとへ駆け寄り、障壁を解除して生死を確認する。


「……ん……」

「ミサキ?」


 返事ではなかったが、彼女の反応を見て安心した。

 安堵の息を漏らした後、レヴナントと白兵戦をしていた遊佐アカリの存在を思い出す。

 彼女は障壁の外側にいたはずだ。


「……日下部さん、お疲れ様です」


 俺の心配をよそに、聞きなれた声が背後から聞こえる。

 声のする方を見ると、額から血を流し、新しく買った服もボロボロになった遊佐アカリの姿があった。


「流れ弾当たっちゃったかな、大丈夫かい?」


 男は穏やかな口調で遊佐アカリを案じた。


「いえ、避けなかった私の責任です。それより、弾がレヴナントの外皮を貫通していました……これは?」

「良く気づいたね、新型の弾薬だよ。近々君にも支給するよ」 

「そうですか……では、今回の戦闘の報告を……」


 男は遊佐アカリの言葉を手で遮って俺の方へ視線を向けてくる。

 武装兵たちは男の動きに合わせるように取り囲んできた。

 まだ銃口は向けてきていないものの、かなりの威圧感がその場を支配する。


「君が三岳拓哉くんだね? すまない、手荒なことをしてしまった。だが、なぜそのレヴナントを庇うんだい?」


 武装兵に気を取られていると正面の男は声を上げた。

 正直、男のセリフは予想できた。

 ミサキが射線にいるのに斉射を命じるあたり、人の心は持ち合わせていないことは明白だ。


「お前たちみたいなクズから大事な人を守って何が悪い」

「ほう? 魔法使いの言葉は迫力があるね……」


 俺の怒りを嘲笑うかのような表情には殺意が沸く。


「この場で坂本ミサキを殺害しようとしたら君とケンカになりそうだね。ところで、君は今の状況を正確に理解しているのかな?」


 男は不気味に笑う。


「坂本ミサキはレヴナントであるだけではない。もっと厄介な存在だ。分かるかな? なぜこうも都合よくレヴナントが君たちの前に姿を現すのか……」


 男の言葉を理解したわけでは無い、ただ、鳥肌が立った。


「何が言いたい」

「日下部さん……それはどういう意味ですか?」


 男の隣に立つ遊佐アカリが声を上げた。

 だが、男は遊佐アカリの言葉を無視するかのように俺から視線はそらさなかった。


「まぁ、君はいずれ自分自身の失態に気が付くはずさ」


 男はそれだけを言い残して踵を返した。

 俺の周りに居た兵士たちも男を追いかけるように去っていく。

 自然と、残された遊佐アカリと目が合った。

 男の背中をしばらく見送った後、相変わらずの無表情で俺の方へ歩いてきた。


「すぐに撤収したほうがいい。この道はしばらく封鎖される」

「お前も消えたらどうだ?」


 反射的に毒を吐いてしまったが、後悔はしていない。

 レヴナントが出現してからの対応の速さを鑑みて、俺たちはずっと監視されていた。

 恐らくここ一帯も奴らが占拠し、不測の事態に備えていたのだろう。


「私はお前たちを近くで観測、監視しなければならない」

「何が経過観察だ……レヴナントを言い訳にミサキを殺そうとしやがって」

「これは、私も聞かされては……」


 遊佐アカリは言い訳をしかけて、口を閉じた。


「やっぱり信用できないな」

「坂本ミサキの中に脅威がいる限り、仕方がないことだ……と思う」


 奥歯を噛みしめる。

 全て「仕方がない」で片づけようとする彼女の姿勢に腹が立つ。

 ミサキを背負い遊佐アカリに背を向けて歩き始めた。

 すぐに工作員と思われる連中が登場し、戦闘があった一帯に有刺鉄線を引き始める。

 俺は巻き込まれないように速足で有刺鉄線の外に出た。


「三岳拓哉」


 俺の後ろを歩く遊佐アカリが声を上げた。


「お前が思っているより、事態は深刻だ」

「だからさっさと殺そうって?」


 俺は振り返ることなく返事をした。


「……お前を一瞬でも受け入れようとした俺がバカだったよ」

「三岳拓哉、お前は責任を取れない……きっと後悔する」

「っ! テメェ、言いたい放題言って……っ!」


 怒りをぶちまけようと振り返ると、今まで見たことの無い遊佐アカリの表情があった。

 眉をひそめ、悲し気な視線を地面へ向けている。


「……」


 遊佐アカリの手に握られている拳銃が微かに震えている気がする。


「なんだよ……今なら相手になるぞ」


 向こうが攻撃してくれるなら、俺も気兼ねなく遊佐アカリを殺せる。

 だが、俺の言葉に遊佐アカリは歯を食いしばるだけで攻撃してくる様子は見せなかった。

 これ以上は時間の無駄だ。


「……もう来るな、ミサキは俺一人で守る」


 俺は吐き捨てて歩き出した。

 この一言で遊佐アカリとの関係は終わりになるだろう。

 ふと、肩が軽くなった気がした。

 同時に胸の中に小さなモヤが生まれ、遊佐アカリの悲し気な表情が脳裏に焼き付いてしまう。

 だが、これで良かったのだと、自分を正して帰路についた。

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