18.魔法使いと魔王

「化け物め……」

「何を言ってる。最初から化け物を相手にしてただろ?」


 阿鼻叫喚。

 先ほどまで機械のように発砲を繰り返していた兵士たちがその顔に恐怖を滲ませている。

 快楽だった。

 誰もがこの力に逆らえず、逃げ慄く。


「来い」


 俺の呼び声に呼応するかのように一体のレヴナントが降り立つ。


「呼んでみるもんだな」

「貴様……!」


 レヴナントはゆっくりと日下部へと向かっていく。

 既に俺の意思から離れ、日下部を殺すために動き始めていた。


「所詮は君も力を盾に自分を守ることしか出来ない弱者だ! 誰かのために命を張ることもできない臆病者が、僕の夢を拒むのか!」

「俺の人生だ」


 ミサキが悪いんじゃない。ミサキの中にいるやつが悪いわけでもない。

 俺の青春を、ミサキの夢を、遊佐アカリの人生を……


「――邪魔したお前らが悪い!」


 さらに複数のレヴナントが降り立ち、他を無視して日下部へ向かっていく。

 日下部は必死に銃撃を繰り返し、抵抗を試みるが、まもなく巨腕に納まった。


「ぐっ……」

「握り潰せ。俺のセカイにそいつは要らない!」


 躊躇いなんて無かった。日下部ケイジがこの場で死のうと、俺は何の後悔もしないだろう。

 だれであろうと、目の前で人が死ぬ。異形に握り潰されて命が消えるビジョンが見えた。

 ――刹那、日下部を掴む腕が大型バイクに弾かれた。


「な――遊佐アカリ!」


 彼女が跨るバイクは横滑りしながら停車し、凍えた世界に焦げた匂いが漂う。

 日下部を抱えた遊佐アカリは降車し、唖然とするレヴナントたちを睨みつけた。


「おい、何してんだ……もう少しでその男を」


 俺が言い終える前に、遊佐アカリは日下部を投げ捨てた。

 拳銃とナイフを構え、レヴナント達の隙間から俺を見つめてくる。


「邪魔……する気か……?」


 俺の問いに彼女は沈黙を貫いた。


「これは俺の問題だ! お前の問題には手を出さなかっただろ! だから俺の問題にも口出しをするな!」


 金髪のJKは冷たい息を吐きながらゆっくりと、こちらへ向かってくる。


「もう面倒くせぇんだよ! 何もかも!」


 一体、また一体と、直立するレブナントを切り倒して進んでくる。

 怒りなのか呆れなのか、彼女の無表情からは何も読み取れない。


「その男を殺せば何もかも解決する! お前だって救われるんだよ!」


 ただ、確かなことは彼女の目は新宿で見た冷徹なものだった。


「なんだよ……! やめろ……来るな」


 恐怖が全身を駆け巡る。

 レヴナント達は命令も下していないのに、遊佐アカリを掴みにかかる。


「ま、待て……俺は……!」


 彼女にかける言葉が見つからないまま、金色の一閃はレヴナントを切り刻みながらこちらへ向かってくる。


「俺は、助けようとして……!」


 あと五歩。


「人殺しだって仕方ないじゃねぇか!」


 あと二歩。

 握られたナイフが黒く光る。

 目を閉じた。自分の死を実感したくなかったから。痛みが怖かったから。


「――」


 だが、俺を襲ったのは痛みではなく、温もりだった。

 暗闇の中で人肌に抱きしめられ、俺の身体は衝撃に耐えきれず尻もちをついた。


「はぁ……はぁ……」


 耳元で遊佐アカリの呼吸が聞こえる。

 徐々に俺を抱きしめる腕に力が籠められ、より密接になっていく。


「なん……で」

「なんでだろうな……これしか方法が無いと思った」


 小さな手が俺の後頭部を撫でた。自ずと彼女の背中に触れた。

 柔らかな少女の背中だった。


「三岳拓哉はあんな顔をしちゃダメだ」


 少し血の匂いが混じっているが、新品の制服とアロマ系の甘い匂いがする。

 間違いなく遊佐アカリの匂いだ。


「あからさまに匂いを嗅がれると恥ずかしい」

「……ごめん」

「私なんかのためにありがとう……だけど、三岳拓哉はそんな責任を負わなくていい」

「でも……こうしないと何も守れない……!」


 遊佐アカリの抱きしめる手が少し震えた。


「じゃあ、二人で守ろう。全部」

「!」

「よく考えれば、私たちが組めば最強じゃないか?」


 子供のように楽しそうな口調で言った。

 どれくらいそうしていたのか分からない。時間にしては一瞬だったのだろう。だが、随分と長く抱き合っていた気がする。


「落ち着いたか?」

「落ち着くわけがないだろ……こんな状況で」

「そうか……私は落ち着くぞ」


 彼女がどんな表情で腑抜けたことを言っているのか想像できない。だが、彼女が感じている幸福感が肌を通して俺の中にも満ちていく気がする。


「立てるか?」


 遊佐アカリはそう言って立ち上がり、手を差し伸べてきた。

 相変わらず無表情で何を考えているか分からない奴だ。

 俺は彼女の手を取って立ち上がる。


「お前みたいなやつが取り乱すと、冗談抜きで危ないから注意しろ」

「……うす」


 不気味なほどに落ち着いてしまった。


「――あーあ、好きにやらせればいいのに……アカリちゃんってば、余計なことするね」


 背後でミサキが立ち上がり、声を上げる。不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「坂本ミサキ……」


 遊佐アカリの表情は一変して警戒色になった。


「この世界なんてもう何の意味も無い。拓哉くん自身がその手で終わらせてあげた方がいい幕切れだったでしょう?」


 ミサキらしからぬことを口走っている。

 彼女、いや目の前にいる何かがミサキでは無いことは確信が付いていた。


「誰だ……ミサキを返せ」

『……自分でもわかっているはずだ。俺が何のためにこのシナリオを書いたか。遊佐アカリがなぜお前を殺しに来たかを……』


 声や表情はミサキなのに別の人物の気配を感じる。

 俺は助けを求めるように、遊佐アカリを見た。

 彼女は俺とは違って何かを理解している様子だった。驚いた表情を浮かべてミサキから目を離そうとしない。


「なぜ気が付かなかった……私は……!」


 狼狽えていた遊佐アカリの表情に恐怖の色が滲んでいく。

 直後、一発の銃声と共に、ミサキの頭が弾かれる。


「――」

「せめて坂本ミサキだけでもこの世から消す! 総員、集中砲火しろ!」


 日下部の怒号を合図に無数の銃口が俺たちに向けられた。

 直ぐに障壁を展開しようとしたが、思考を押さえつけるように、痛烈な違和感が全身を縛り付ける。


「……なんだ、これ」


 銃を構えたまま、誰一人として微動だにしない。

 兵隊や日下部だけではない。立ち込めていた黒煙までもが静止していた。


「時が……止まって……」


 遊佐アカリは俺同様、辺りを見回して怪訝な表情を浮かべている。


『やはりパージは邪魔だったな』


 俺たちの意識が向いた時には『それ』は目の前に立っていた。

 自分と同じくらいの身長。体格は黒外套に隠れていて良く分からない。レヴナントとは違う理性を帯びた何か。

 それはともかく、


『この世界も終わりだな』


 こいつの声は耳鳴りにしか聞こえないのに、意味だけが頭の中に直接流れてくる。

 不快極まりないが、俺はこの声を以前にも聞いたことがあった。


『久しぶりだな、遊佐アカリ』


 黒外套は俺と遊佐アカリの驚愕を蹴り飛ばすように会話を展開した。


「……!」

「し、知り合い……なのか?」


 未だに頭が締め付けられるが、黒外套の発言に意識が向かう。


「……」


 黒外套に呼ばれた遊佐アカリは拳銃とナイフを握りしめながら、目を見開いたまま硬直している。


「なんで……ここに……」

『お前が一番わかっているはずだ。罪の意識からは逃れられない。運命に抗っても意味が無い』

「そんなこと……ない!」

『この現状を目の当たりにしても同じことが言えるのか?』

「レ、レヴナント……!」


 上空。

 俺たちの真上から無数のレヴナントが静止した世界にゆっくりと降りてくる。


『レヴナント……こちらではそう呼ばれているのか。では俺も、そちらに合わせよう』

「放っておいてくれ! 私はここで……!」


 遊佐アカリは俺を一瞥し、何かを飲み込んで再び黒外套を睨みつけた。


『いや、無理だ。が紛れ込んでしまった以上、この世界は処分する。これも全部お前のせいだ』


 黒外套と遊佐アカリの会話は割り込む隙が無いほど、理解に苦しんだ。まるでこの場に俺が居ないかのように話が進んでいく。


「また……お前は勝手なことをっ――!」


 遊佐アカリは叫び声を上げ、空気を切り裂いて疾走した。衝撃によって舞い上がった土煙によって彼女の姿を見失った。


「おい! 待てよ! 何がなんだか――!」


 俺の叫びも虚しく、金色の一閃は黒外套へ伸びていく。

 遊佐アカリの振るうナイフは最短距離で突き出された。迷いの無い一撃だった。彼女と初めて出会った時の表情がフラッシュバックする。

 だが、直前でナイフが見えない壁に阻まれて停止した。


「……は?」


 驚きのあまり言葉が出ない。

 不可視の壁。科学では説明のつかない超常現象。その正体は俺が誰よりもよく知っている。


「なんで……」


 思考が追い付かないまま、遊佐アカリの身体は破裂音と共に大きく吹き飛ばされた。

 数秒間、コンクリートの上を転がった後、鈍い音を立ててビルの壁面に衝突した。


「う……ぐっ……」


 遊佐アカリは地面に這いつくばりながら黒外套を睨みつけ、震える手足で立ち上がろうとしている。

 もうやめろ、立つな、そう叫びたかった。だが、彼女から漂う憎悪を孕んだ殺気がそれを許さなかった。


『遊佐アカリ……戻ってこい。お前は俺が見出した運命を受け入れるしか無いんだ』


 黒外套を切り刻もうと、意識を統一させる。


 だが、『声』は聞こえない。黒外套の声と耳鳴りに阻まれて頭痛がするだけだった。


「……ぐっ……なんで……!」

『んん? どうした、三岳拓哉……さっき自立できてたじゃないか、どうした? 覚醒して世界を滅ぼす勢いはどこへ行った?』


 ようやく黒外套の意識が俺の方に向いた。


「何を……言って……」

『何もかも不完全……一度この世界をデリートする』


 視界が歪んでいく。

 辺りの景色は黒外套へ吸い込まれるように滲み、崩れていく。

 武装した兵士も、叫んだまま動かない日下部も、逃げ遅れた人たちも、道路も建物も全てが灰になって消えていく。

 厚木市が消えていく。


「なんなんだよ……これ」


 身体から神経が剥がれていくのを感じる。意識だけが黒外套へ吸い込まれていくような妙な感覚。不快に思わないことが不快だった。


『安心しろ、また新たな可能性を演算してやる』


 何が起きているのかは分からない。だが、俺は今、終焉を見ている。


「――まぁ、待つのじゃ」


 聞き馴染んだ声が聞こえ、景色の歪みが止まる。

 自ずと、黒外套と共に声の方へ向いた。

 師匠は風に弄ばれる赤髪を押さえることなく、呆れた眼差しを黒外套へ向けていた。


「結局こうなるのじゃな……もう見飽きたぞ、こんな結末……」

『ソロモエル=フィア……厄介なのが来たな』


 師匠は俺を一瞥すると、立ち上がろうと震えている遊佐アカリの背中を――踏みつけた。


「……がっ!」

「全部お主のせいじゃ、金髪」

「う……ぐ……やはり……! お前がアカギ……」


 遊佐アカリの言葉を遮るように再度、背中を踏みつける。あまりの出来事に声が出ない。


「その名を呼ぶな」


 師匠は冷酷な表情を浮かべながら、遊佐アカリのスカートからスマホを取り出す。


「これは儂の物じゃったな。返してもらうぞ」


 言いながら背面のスマホリングを力任せに取り外し、スマホを投げ捨てた。普段の師匠からは想像も出来ないような酷薄な態度には寒気がする。


「さて、本題じゃが……」

「ま、待ってくれ師匠!」


 俺の叫びを無視して師匠は黒外套へ向けて歩き始めた。


「師匠!」


 その横顔に色は無く、何を考えているのか全く分からなかった。ただ、嫌な予感だけが残る。


「久しぶりじゃな」

『お前と話すことなんて無いが……』

「連れないことを言うでない。一度は愛し合った仲じゃろ? 泣いちゃうぞ? 儂」

『というか、なんだ? その喋り方』

「この姿で貫録を出そうと必死なのじゃよ。まぁネタキャラみたいになってしもうたがの」


 師匠は黒外套を見上げて笑った。

 気づきたくは無かった。だが、師匠と黒外套は心なしか親し気に見えてしまったのだ。


「金髪は差し出してやる。元々お主の世界の者じゃ。……じゃが、ゴリラ女……ミサキは返してもらえぬか? あのバカにとって唯一の希望なのじゃ」

『返してどうなる? お前が拒んだところで俺のすることは変わらないが?』


 言いながら、黒外套の足元から火炎が広がり、瞬く間に俺たちを取り囲んだ。

 彼女の身体は燃えているのではないかと錯覚するほどに熱を持っていた。


「う……ぐ……あいつを……殺す……!」


 遊佐アカリは執念を眼に燃やし、地面を這い始めた。


「待てよ! 何なんだ! 何が起こって……」


 不意に、哀れむような表情を浮かべる師匠と目が合う。


「何だよ……お前ら……! 説明しろ! ソロモエルっ!」

「……見ろ、哀れじゃろ? お主も人間の心が残っているのなら、坂本ミサキを解放し、あのバカに返してやれ……これは、あやつの終局なのじゃ」

『律儀だな。分かった、俺も当事者だったら納得できないし……これもまた、ある可能性か』


 男が言い終えると、俺の足元にミサキの身体が姿を現した。

 ぐったりと横たわり、微動だにしない。服装も出血の位置も先ほどと変わらない。


「何なんだよ……!」


 代わりに遊佐アカリの姿が消えた。


『では、取引成立だな』


 大切なものが、ゆっくりと確実に消えていく虚しさが苦しい。


「ま、待てよ……何言って」

『遊佐アカリは……そうだな、N宇宙にでも幽閉しておく』


 足が動かなかった。全身が麻痺して声すら出せなかった。これは黒外套の魔法だと信じたかった。だが、拭い切れない恐怖心が俺の体を縛り付けていたのだ。

 遊佐アカリが消える。そんな予感が働いた。


「まってくれ、遊佐アカリは俺の――」

「――で、誰が取引だと言った?」


 師匠の声は俺の声を上書きするように響いた。


『何?』

「これは命令じゃよ。元より、儂の力を好き勝手使っているお主に拒否権があると思うていたのか? 甚だ図々しいわ。身の程わきまえろ、クソガキ――」


 まるで圧が実体を持ったかのような不自然な突風が吹き荒れた。

 砂埃が舞う中、黒外套の素顔が晒される。


「……は」


 艶の無い黒髪に、覇気を感じない気怠そうな目付き、剃り残しが目立つ髭。

 年季は違えど、それは紛れもなく――俺の顔だった。


「別世界の自分に挨拶くらいしたらどうじゃ?」

『はぁ……ソロモエル=フィア、お前もこの世界と一緒に消えろ』


 黒外套が酷薄な表情と声音で呟いた直後――師匠の華奢な身体に風穴があいた。


「――こふっ!」 


 師匠の赤髪と同じような鮮血が地面にばら撒かれた。


「あ……師匠……」

「来るな……来るでない……まさかここまで強大な力を手に入れているとはな……」


 師匠は口から血を流しながらも、苦悶の表情も浮かべず、黒外套の男を見上げている。

 何もかも壊れていく。常識も、生活も、世界も記憶も……。俺が築き上げてきたものが全て。


「すまんな……儂にも守りたい夢がある……お主と違って――愛している人がおるのじゃ」


 不意に、師匠はこちらを一瞥して微笑んだ。


「――もし君が世界を拒むなら――」


 師匠の声が脳内に響き渡った。まるで魔法を使う時と同じような不思議な感覚。

 いや、この声は――。


「――私の熱を以てすべてを焼き焦がそう――」


 頭痛とは違う。目の奥が熱くなるような感覚。

 気が付けばとめどなく涙が溢れ出していた。


「――君が堕ちても 君がどんなに絶望しても――」


 師匠の名を叫びたかった。その思いすらも目の前に広がる膨大な『願い』に阻まれる。


「――私は君だけを繰り返し愛そう――」


 意識が声に包まれ、師匠の姿を中心に視界が白く燃えていく。


「これで最後じゃな……さらばじゃ、拓哉」


 彼女の『願い』はやがて、聴覚、意識すらも焼き尽くしていった――――

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