17.魔法使いと我欲

 師匠と並んでテレビを眺めていた。

 未だに祭りの時に得た高揚感が抜けきっておらず、気を抜けば頬が緩んでしまう昼を過ごしていた。


『見てください、こちらの動物園では今月からペンギンのお散歩が――』


「ペンギン……ペンギンって飼えるのかのう?」

「いや、無理だろ。特殊過ぎる」


 クーラーの効いた部屋で中身の無い会話を繰り広げていた。


「フィアちゃん、ペンギン好きだっけ?」


 と、ミサキはキッチンから戻ってきて麦茶が入ったコップをテーブルに置いて、師匠へ話しかけた。


「まぁ、可愛いと思ってな」

「フィアちゃんの方が可愛いよぉん?」

「そーかそーか、じゃあ儂もお散歩とかしたら金稼げるかのう?」

「稼げる稼げる! 私は万札出しちゃう!」


 中身の無い会話が繰り広げられている。

 話題には上がらないが、レヴナントのことは話題に上げない方がいいのかもしれない。

 テレビでもネットニュースでもレヴナントの出現報道は一切見なくなった。

 アユ祭り以降、ミサキの体調も回復し、今では師匠へのダル絡みを更にエスカレートさせていた。

 ミサキは何事も無かったかのように俺に接してくるが、どうしても壁を感じてしまう。


「ん? ミサキ、スマホ鳴ってない?」

「あ、ほんとだ。……アカリちゃんだ、珍しい」


 ミサキはワクワクした面持ちでスマホを耳に当てた。

 彼女がどう思おうと、全てが終わるまでは何気ない日常、平和な日常を演出して見せる。


「もしもし? うん、今は拓哉くんの家にいるよ? え? うん、もちろんいいよ! あー、えっと……私服じゃなくて制服で来てもらえる?」


 どうやら悪い報告ではないらしい。

 安堵したところで、背中を指でつつかれた。


「師匠?」

「拓哉……あのな、一つお願いがあるのじゃが」

「お願いなんて珍しいじゃん、いつも通り命令したら?」

「いや、それもそうじゃな……えっと、出来ればでよい、あの金髪を一度家に呼んでくれぬか? 少し気が付いたことがあってな。一度話をしておきたい」


 ミサキに次いで今度は師匠の様子がおかしい気がした。

 遠慮をしているというか、いつもよりずっと間合いが遠い。


「拓哉くん拓哉くん、今からお出かけしない? アカリちゃんが洋服を選んでほしんだって!」

「おけ、師匠も来れば? 話したいことがあるんでしょ?」

「え、あぁ……そうじゃな……じゃが、今日は遠慮しておく。また後日にな」

「師匠、体調悪い?」

「そんな事ないぞ、元気じゃ、元気」


 師匠は俺の問いに視線を逸らして答えた。

 ミサキの一件があってからか、体調不良を隠されると少し嫌な気分になる。


「まぁいいや、一応、買い物の帰りに寄ってみないか聞いてみるよ」

「あぁ、よろしく頼むぞよ」



 遊佐アカリの呼び出しに応じた俺とミサキは曇り空の下、本厚木駅へと向かった。

 日差しが出ていない分、体感温度が低いように思えるが、しっかり暑い。

 浴衣姿のミサキも素晴らしかったが、白のオーバーサイズシャツに黒の短パン、黒のキャップと言うラフな格好も様になっている。


「私たち、ロクに学校行ってないのにもうそろそろ夏休みだよ」

「そう言えば、青山が補講あるって言ってたな」

「それは行かなきゃだね、卒業できなくなっちゃうし」


 ミサキは伸びをしながら俺の前を歩いていく。


「拓哉くん、ありがとうね。お陰で生きてるよ」


 見れば分かることをわざわざ口にされると、むずがゆい。


「まだ死なないだろ?」

「あははっ! そうだね! まだまだ死ねないね。海も行きたいし、私の水着姿、楽しみにしててよね」

「まぁ、かなり楽しみではある」

「そーでしょ?」


 ミサキはそう言って微笑むと、再び前を向いて歩き始めた。

 互いに笑いながら街を進んでいく。

 一時はどうなるかと思った。

 今もどうなるかは定かではない。だが、束の間であってもミサキがくれた今を堪能したかった。


「あーあ、でも、拓哉くんの彼女にはなれないのかな~」

「……」


 不意に覗いた彼女の横顔は曇っているように見えた。普段からミサキの感情は掴みづらかったが、今日だけはなんとなくテンションが低い気がする。


「お? ドキッとした?」


 と思っていたら、ミサキはこちらを向いて悪戯な笑みを浮かべた。


「いや、ドキっというか……くそ……性格悪いな、ほんと」

「冗談だよ、ほら、アカリちゃんが待ってるし、急ごう?」


 ミサキは疑問だけを植え付けて歩き続けた。彼女は冗談で済ませたが、彼女のテンションが少し低かった気がするのだ。

 言及する勇気は持ち合わせていないので無かったことにしてミサキの後を追う。

 その矢先、ミサキは「あれれ?」と、足を止めてしまう。俺も躓くように足を止めた。


「どうしたの?」

「なんか、私のスマホおかしくなっちゃった? ずっと圏外なんだけど」

「え? どういうこと? こんな街中で?」


 冗談かと思ったが、俺のスマホの画面にも圏外の文字が表示されている。

 俺たちだけではない。行き交う通行人もスマホに視線を落として首を傾げていた。


「通信障害かな? こういう時のためのライブニュースよー……って見れないじゃん!」

「何してんのさ……。とりあえずあいつと合流しよう。その内、直るだろ? こういう時の日本の対応は早いから」

「そだね、アカリちゃんが待って――」


 警戒と警戒と警戒の隙間、俺が感じ取った数舜の違和感。

 ――鈍い音と共にミサキの身体が硬直した。


「ミサキ? どうしたの?」

「あれ……何これ……」


 ミサキの手からスマホが零れ落ち、地面に落ちる。

 彼女の腹部に真っ赤な花が滲んでいく。


「ミサキ!」


 崩れ落ちるミサキの肩を支え、彼女を守ることだけに意識を集中させた。

 『声』が脳内に響き渡る。


 ――私と君が同じ世界にいる限り――


 周りの通行人が突如として現れた見えない壁に激突する。

 不思議な現象による小さなパニックは血を流して倒れているミサキを目撃して大きなパニックへと変化していく。


「ミサキ! しっかり!」

「……あ……痛……い」


 ミサキは苦悶を表情に浮かべながら腹部を抑えている。

 的確な止血の方法、今できる応急処置、何が起こったのか。

 混乱が頭の中を支配する。


「くそっ! 何が起こってんだ! なんでこんな!」


 俺の混乱を煽るようなタイミングで耳をつんざくような警報が鳴り響く。

 同時に嫌な気配が目の前に現れた。


「三岳拓哉くん、この障壁を解いてくれないかな?」


 ミサキから顔を上げると、嫌な顔と目が合う。

 大量の武装兵を侍らせた背広の男――日下部ケイジが俺たちを見下ろしていた。


「お前……何をした……」

「何って、仕事だよ。最後のレヴナントを排除しに来ただけだ」

「……覚悟はできてんだろうな……」


 ミサキをゆっくりと地面に寝かせ、怒りに任せて間合いを詰める。

 障壁を解けば拳が届く距離だ。


「もちろんだ。アカリのお陰で坂本ミサキが守られていたとも知らずに君は……哀れだな」

「は?」

「さぁ、早くこの障壁を解いてくれたまえ――トドメを刺さないと彼女が苦しむだけだよ?」


 ……頭の後ろで張り詰めていた何かが弾け飛んだ。


「――」


 日下部は笑みを隠すようにガスマスクを被る。


「作戦開始」


 合図と共に、いくつもの鉄の缶が転がってきた。

 煙を吸い込んだ瞬間、目の奥が熱くなり、開けていられなくなる。

 催涙弾はあっという間に視界を白に染め上げていく。


「三岳拓哉を拘束した後、坂本ミサキの討伐を再開する」


 俺は今、冷静さを欠いている。

 単純な苛立ちが今の動力源だった。

 誰かの声の後、日下部の姿が、見ていた景色が白に染め上げられる。

 耳鳴りに周りの音がかき消され、全ての情報が遮断された。

 恐らく閃光弾でも投げ込まれたのだろう。

 感覚が焼ける。

 障壁を保っていた意識が消える。

 お陰で自分のすべきことがハッキリした。

 今はただ、この連中を黙らせることだけを――願う。


 ――私が君を、永遠の愛で守るから――


 『声』が頭の中に響き、両手に冷気が集まっているのを感じる。

 何も見えない中、激情に任せて両手の冷気を地面へ叩きつけた。


「ふぅ……」


 しばらくの轟音の後、凍てつくような静寂が生まれた。

 視界は開けた時、見えたのは自分の口から吐き出される白い息だった。

 空気中で星のように輝く結晶。

 凍てついたビル群。


「……寒いな」


 凍り付いた武装兵たちは地面から足を剥がそうと、もがいている。


「凄まじいな……季節を変えてしまうとは」


 日下部は体中に霜を生やしながらも、平然とした態度でこちらに歩み寄ってくる。


「まだ余裕そうだな……日下部……」

「総員、坂本ミサキへ集中砲火せよ」


 条件反射でミサキに駆け寄って障壁を展開し、間髪入れずに無数の弾丸が襲い来る。


「いつまで守れるかな? その下らない青春とやらを」


 銃声の嵐の中、日下部の声だけは妙に耳に入ってきた。


「……拓哉……くん」


 不意に、俺の頭をミサキの手が包み込んだ。

 血に濡れてはいるものの、温かみを感じる彼女の手だった。


「ミサキ」

「私……大丈夫だよ……? だから……――」


 ミサキの口が耳元で囁いた。


「――ヤっちゃえ」


 それだけを言い残すと、ミサキの身体から力が抜ける。


「……あぁ」


 ――……―――、―――


 ノイズのような『声』が頭の中を支配した。

 うるさい。

 全部、寄越せ――。

 体温は燃え上がる炎のように、視線は降り注ぐ雷のように、吐息は厄災のように、俺のあらゆる意識がセカイを壊していく。


「日下部……お前、世界を救うとか、言ってたよな?」


 火災、嵐、地震、ありとあらゆる災害が自分の手足のように巻き起こる。

 まるで、すべてを手にしたかのような高揚感が胸の中を満たしていく。


「救ってみろ」


 ガスマスクの向こうで日下部が目を見開いているのが見えた。

 大したことは無い。人外に怯えて排除しようとする貧弱な人類と何も変わらない。


「化け物め……」


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