16.魔法使いと夏の花

 アユ祭り当日。


「じゃあレジャーシート隊よろしくね 拓哉くん、青山くん!」


 張り切ったミサキは女子たちの準備のために俺の家を占拠した挙句、俺と青山を追い出してしまった。

 着付けのために俺の家を男子禁制にするらしく、甚平じんべいに着替えた男たちを掃けたいとのこと。


「ミサキちゃんも早く来てくれよー? 拓哉と二人じゃ間が持たねぇよ~」

「うん、すぐ行くからね」


 何も知らない青山はミサキの異変には気付かず、子供のような顔をしていた。

 今日はミサキと目が合わない。

 いや、俺の方が反射的に逸らしてしまっているだけかもしれない。情けない話、ミサキとどうやって話せばいいか分からなくなってしまった。



 厚木市で行われる『アユ祭り』は二日間にわたって花火や屋台が立ち並ぶ、かなり大きいイベントだ。

 本厚木駅周辺の商店街や道路には屋台が立ち並び、街は賑わいを装っていた。

 時刻は午後六時を過ぎた頃。陽が落ちていくにつれて人々は会場に集まってくる。

 俺と青山は先に予約した優良席へレジャーシートを持っていき、重石替わりとなって女子組の到着を待っていた。


「すっげー人だな、拓哉って人混み大丈夫だっけ?」

「苦手だったらなんだよ」

「いや、お前フェスとか行かなそうだから」


 青山は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。このアクティブ陽キャめ。


「お、見ろよ、あの浴衣の子たち、めっちゃ可愛くね?」


 瞬時に話題が移り変わり、青山は下賤な表情を浮かべて通行人を目で追い始めた。


「アタックしてくれば? 振られてテンション下げてこい」

「酷くない!? まぁでも、今日はミサキちゃんが来るもんなぁ、ナンパするよりナンパさせない立ち回りをしなければ!」

「それは頼もしいな」


 青山と話していると自然と笑顔が出る。

 彼は気にも留めないだろうが、俺にとっては、青山が初めて気を遣わなくてもいい友達だったのだ。

 空気も読まず、口を開けば理解しがたいことを話す彼だが、最高のムードメーカーだと思っている。

 彼がいたからこそ、俺の遅咲きの青春は楽しい物になっていたのだろう。


「あ! いたいた! お待たせー!」


 青山はミサキの声に立ち上がって硬直した。


「いい……」


 青山が硬直するのも無理はない。読者モデルの『本気の姿』なのだから。

 白を基調に、ピンクの花が描かれた浴衣。

 黒髪のショートカットをサイドアップにして耳を出すことで普段とは違う悪戯な妖艶さを纏っている。

 目の前で立ち止まった彼女から甘い香りが漂い始めた。


「うお……ミサキちゃん! マジやべぇ! やっべぇわ……やべぇ」

「ちょっと何それー! やべぇ以外無いわけ? ね? 拓哉くん」


 ミサキはいつもと変わらない笑みを浮かべてこちらに話題を振ってきた。


「え、あ、あぁ……すごくいいと思う」

「うーん、二人して相模川に沈みたいのかな?」


 ミサキは怖い笑顔で拳を構えた。

 青山は単に語彙力が無いにしても、俺はデスコンボを喰らったような理不尽さを覚えた。


「おいおい、ゴリラ女はよいから、早く食い物を買いに行くぞ」


 次いで、黒の浴衣を身に纏った師匠が現れる。

 赤髪は後頭部でキレイに纏められており、赤と黒の色合いが見た目にそぐわない大人っぽさを演出していた。


「お、フィアっち、久しぶりじゃーん」


 と、青山は師匠に奇策な挨拶をした。


「む、青山か、儂チョコバナナ食べたいぞ」

「おけおけ、買いに行くべ」


 この二人が何故こんなにも距離が近いのかはさておき、俺は師匠の背後でモジモジしているもう一人の存在に気が付いた。


「お、カエデちゃん、こんばんは」

「こ、こんばんは、拓哉さん」


 カエデちゃんは恥ずかしそうな笑顔を浮かべて師匠の背後から出てきた。

 白を基調にした黄色い花柄の浴衣。元気さを象徴するかのような色合いなのに対し、本人は控えめな表情をしているのが、もう、素晴らしい。


「……あぁ、マジ癒し。浴衣めっちゃ似合ってるよ」

「えへへ……拓哉さん、褒め上手ですね」


 俺がカエデちゃんに浄化されていると、ミサキが背後から両肩を掴んできた。

 ……割と強めに。


「いでで……」

「フィアちゃんとカエデたそを見るのは有料だぞー?」

「はい?」


 ミサキは優しく微笑んで視線でとある方向を指した。


「ほらほら、主役の登場なんだから、君はあっち」


 ミサキが指す先に、彼女は立っていた。

 一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥る。

 色彩豊かな光を背景に、金髪の少女がこちらへ向けて歩いて来ていた。


「……あ」


 水色を基調に白が入り乱れた涼し気な浴衣を纏った遊佐アカリはいつも通り、何を考えているか分からない瞳を向けてきた。

 夜でも衰えることのない金髪は三つ編みにされ、心なしか頬が紅潮しているようにも見えた。

 陶器のように滑らかな首元、真紅の宝石のように艶やかな唇。

 全体的に色素が薄い立ち姿は、彼女の儚さをより一層強調しているようだった。


「き、来たのか」

「なんだ、文句でもあるのか?」

「い、いや……別に……」


 彼女が一歩先まで近づき、俺は反射的に地面へ視線を逃がしてしまった。

 白状すると俺の心臓は高鳴ってしまうのだ。

 今日の彼女は俺の記憶の中では一番美しく、心を揺すった。

 俺が彼女へかける言葉を探していると、背後のミサキが背中を叩いてきた。


「感想は?」


 ミサキが耳元で囁く。


「え、あ……うん。えっと、良いと……思う」

「はぁ……もっと背中押した方がいいの、かなっ」


 再度、力のこもった張り手が、俺の背中を押した。

 不意に遊佐アカリの顔が近くなる。

 彼女は取り乱すことなく、依然として無表情だったが、視線だけは何故か俺の顔を刺し続けていた。

 艶やかな肌、頬や瞼に薄く散りばめられた光、香しい薫り。


「えっと……似合ってるよ……ビビった」


 ミサキは俺の精一杯の感想を聞くと、手を離して青山たちの方へ行ってしまった。


「お、俺たちも行こうか……花火上がるみたいだし、買い物を済ませないと――」


 遊佐アカリは微笑んでいた。

 作り物じゃない。まるで彼女はここにいることが幸福であるかのように笑っていたのだ。


「ど、どうした」

「え? あ、あぁ……なんだろうな、楽しみ、なんだと、思う……」

「そっか」


 遊佐アカリは穏やかに呟いた。様々な懸念があった。様々な障壁があった。だが、遊佐アカリは今こうして、目の前にいる。今は……それだけでいい。


「行くぞ、この人の数だし、はぐれたら面倒だ」

「あぁ」


 多少は居辛さもあったが、夢のような一時だった。

 奪われた青春を取り戻したかのような高揚感に包まれ、使命も、現状も何もかも忘れてしまう。

 青山やミサキと下らない話で盛り上がったり、遊佐アカリとカエデちゃんが並んで歩いているのを見て微笑ましく思ったり、師匠の我儘に全員で振り回されたり……。

 小一時間ほど屋台を回った後、レジャーシートを敷いた場所へ戻ってきた。

 たこ焼き、焼きそば、肉巻きおにぎり、りんご飴、チョコバナナ……。

 食べ物を囲むように腰を下ろす。


「そろそろ、花火上がるよ、みんなトイレとか大丈夫?」


 ……グゥゥゥ。

 ミサキに返事をするかのように遊佐アカリの腹が鳴いた。


「アカリちゃん……」

「ち、違うぞ、今のは……!」


 必死に取り繕うとする遊佐アカリの気持ちをよそに、カエデちゃんが楊枝に刺したたこ焼きを差し出す。


「はいお姉ちゃん、あーん」

「か、カエデ……!」


 遊佐アカリは分かりやすく狼狽えつつ、俺の方へ助けを求めるかのような視線を向けてきた。


「貰ってやれよ」


 微笑ましい光景を見たいという願望を込めて遊佐アカリの背中を押した。


「くっ……仕方ない……あ、あーー……――っつい!!!!」


 遊佐アカリらしからぬリアクションに場がドッと沸いた。


「わぁ! ごめんなさい! お姉ちゃん! 大丈夫?」

「あははっ! カエデちゃん、ナイス」


 俺がカエデちゃんを褒めると、遊佐アカリは口を押えながら俺を睨んできた。


「ほーら、花火上がるよ?」


 ミサキが呼びかけたすぐ後に、対岸から破裂音と共に一発の花火が打ちあがる。

 顎を釣り上げられるように皆の顔が上がる。

 やがて、俺たちの真上で真っ赤な花が咲く。

 何もなかった夜空が彩られていく。

 間近で打ちあがる花火は迫力と幻想的美しさを兼ねていた。


「……ん?」


 数年ぶりに見る打ち上げ花火に心を奪われていた。

 だが、袖が誰かに掴まれていることに気が付く。

 腕を視線で辿っていくと、遊佐アカリの姿に行きついた。


「どうした?」

「え、あ……すまない」


 遊佐アカリは自分でも不思議そうに手を見つめた。


「大丈夫か?」


 遊佐アカリは首を縦に振った後、再び空を見上げた。

 金色の髪の毛が風に靡いている。

 その横顔は相変わらず無表情だが、見ていると落ち着く自分がいた。

 二発目の花火が咲く。

 彼女の横顔が淡いピンク色に染まる。何かを哀れむような視線。何かを懐かしむような表情。


「私は――」


 炸裂音が遊佐アカリの言葉を遮った。


「な、なんだって?」


 遊佐アカリの顔が近づいてきた。互いの息遣いが分かる距離に、鼓動が早まる。


「――花火、苦手みたいだ」

「え?」


 遊佐アカリはそう言って立ち上がった。


「あれ? アカリちゃん?」

「すまない、坂本ミサキ、トイレはどこだ?」

「あー、後ろの方にあったと思うけど、結構並んでるかもね」


 彼女はそれだけ聞いて立ち去ってしまった。


「拓哉くん?」

「……なに?」

「多分、アカリちゃんトイレの場所分からないと思うから付いて行ってあげて?」


 お願いや提案なんかじゃない。

 ミサキの笑顔にはそこはかとない強制力があった。

 何か突き放されているような感じすら覚える。


「ほーら、見失っちゃうから。早く行ってあげなよ」

「……うん」

「あ、ついでにアユの串焼きあったら買ってきてね……よろしく」

「わかった」



 空を見上げている人達を掻き分けて進んでいく。みんな花火に気を取られて地上を歩く金色の輝きに気づかないでいた。


「おい、トイレはこっちじゃないぞ」


 呼び止められた金髪は静かに振り向いた。


「三岳拓哉……」

「お前、帰るとか言い出さないよな?」


 彼女の口から言われたわけでは無いが、会場の外へと足が向いている時点で嫌でも気が付く。


「まぁ、お前が何を思っているかは大体見当つくけどよ、あまり気にし過ぎない方がいいんじゃないか? 俺だって、自分の行動のすべてが正しいなんて思ったことない」

「……」

「間違ったうえで認めてんだ。自分のしてることを」

「だけど私は、まだ少し怖い……」


 無神経にも花火の音が轟く。その中、遊佐アカリは小さな声で続けた。


「誰かに命令されないと不安で仕方がない。行動の全てに責任を持てない……」


 雑踏の中で小さな声を摘み上げるように聞いた。


「なんで、何も聞いてくれないんだ?」


 何を考えているかと思えば、覇気の無い問いかけが吐き出された。


「それ、聞いてどうなるんだ?」

「え?」

「お前が抗うって言ったんだ。自分でやってみるって。だから俺はお前を信じただけだ。助けが必要なら聞くけど?」


 遊佐アカリは目を見開いた後、すぐに笑顔を浮かべた。


「本当に無責任な奴だな……」

「そりゃどうも。どっかの誰かさんに責任をとれないって言われてるからな」


 無口で不愛想だけど、誰かのために身を削るような思いをしている。

 自分より他人。 

 結果として自分が苦しめられていることに気づかず、少女は泣くことすら忘れていた。

 一度は殺されかけた。一度は惚れかけた。一度は突き放した。

 だけど、今こうして俺の前に立っている。それが全てを物語っている。


「なんで、お前のこと愛しちゃいけないんだ?」


 頭に浮かんだ疑問が何の加工も施されずに口から飛び出た。


「!」


 遊佐アカリの顔から笑顔が消え、花火の音で我に返る。


「……あ、すまん、今の質問はキモ過ぎたな……忘れてくれ」

「今は」


 俺の言葉を遮るかのようなタイミングで遊佐アカリは声を上げた。


「今は話せない……だけど、今回は、大丈夫な気がするんだ……愛してもらっても」


 遊佐アカリは再び笑顔を作り出した。

 挑戦的で、今の彼女はどこからどう見ても普通の小生意気な女子高校生だ。


「ちっ、そういう表情はどこで覚えるんだよ」

「坂本ミサキの真似だ」

「嫌なとこ真似するな……。ほら、戻るだろ?」

「うん。――あ、三岳拓哉」

「ん? なんだ?」


 踵を返して来た道を戻ろうとしたその時、遊佐アカリは俺に身体を寄せ、頭上に内カメを起動したスマホを突き出した。


「笑え」

「へ?」


 不意打ち気味にシャッターが切られる。

 いわゆる自撮りツーショットなのだが、マヌケな顔を晒した男と、硬い表情の金髪JKが良く撮れてしまった。


「おま、撮るなら先に言えよ!」

「む、意外と難しいな……」


 遊佐アカリは撮れた写真を見ながら口を尖らせた。

 彼女が若者の行為をするのは良い傾向なのかもしれない。少し微笑ましい気持ちになる。


「どうした? やはりいきなり過ぎたか?」


 不意に、遊佐アカリは恥ずかし気な表情を浮かべて見上げてきた。


「いや、良いんじゃないか? 後で俺に送ってくれ」

「あぁ、撮った写真は共有する……だろ?」

「無理するなよ、金髪のJKさん」

「む、無理はしていない……つもりだ」


 互いに顔を見合わせて笑顔を零した。

 花火はまだ上がっている。

 先の見えない夜道を照らすように、色とりどりの光を放ってくれている。

 隣で歩く金髪の彼女の横顔が焦りや不安を忘れさせてくれた。

 あぁ……参った、俺の中で彼女はこんなにも……大きな存在になっていたんだな。

 今だけは賑やかで浮ついた灯りに連れられるまま、進んでいたい。

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