15.魔法使いと誘惑

「あぁ、失礼、僕は日下部ケイジと言います」


 その名を聞いて戦慄した。言われてみれば、いつかの襲撃の際に見た男と同じ容姿だ。


「日下部……」

「遊佐アカリが世話になっているみたいだね。どうかな、少しお話でも」


 俺の緊張を知る由もなく、男は奇策な態度を徹底していた。どんなに睨もうと、笑顔で返してくるのは大人の余裕だろうか。

 日下部に連れられ、本厚木駅前のファミレスに入った。店の中は黒服を着た人間がまばらに座っており、警戒を隠す様子はなかった。

 以前、ミサキと遊佐アカリと一緒に座ったボックス席に通される。

 日下部は俺の向かい側に腰を下ろした。


「あ、お昼前だったりする? 昼食の調達を頼まれていたりとか」

「いや、大丈夫だけど……」

「そっか、僕は何か頼んじゃおうかな」


 と、腑抜けた様子でメニュー表を広げた。


「三岳くんはここら辺に住んでいるんだよね? このお店のオススメとかあったりするかな」


 いい加減、余裕を見せびらかされるのは頭にくる。


「何の用だ?」

「うーん……確かに僕は君に用がある。だけど、それは君も同じじゃないかな? 先を譲ろうか?」


 日下部はチャイムに手を伸ばしながら言った。さすがに何も知らないってわけでは無いようだ。


「お前たちの目的は何だ。なぜミサキを執拗に狙う」


 俺が言葉を切ったところで店員が注文を聞きに来た。


「よく考えれば分かることだろう? ……あぁ、失礼、シーフードパエリアを一つと、ドリンクバーを……三岳くんも飲むかい?」


 俺は無言で睨んだ。


「ドリンクバーを二つ。以上で」


 注文を取り終えると店員は去っていった。


「坂本ミサキの中にレヴナントがいる。レヴナントを駆逐するのが我々パージの役目だ。でも、不思議なことにここ最近はレヴナントが出現しないもので、僕たちは商売あがったりだけどね」


 男は依然として笑顔を崩さない。ハッキリ言って気色が悪い。


「君、何かしたのかい? レヴナントが出現しなくなるような魔法? 的な」

「何もしていない。レヴナントよりお前たちの方が脅威になっている状況だぞ」

「おぉ、皮肉な話だね」


 日下部は楽し気に笑った。いちいち腹が立つ。


「……で、こちらの本題だけど……」


 声音が低くなった、と言うよりは圧が増し、自ずと生唾を飲み込んだ。

 さすがは遊佐アカリの上司と言ったところだろうか。俺が意見をすることがタブーであるかのように思えてしまう。


「僕たちと協力しないかい? というか、我々の組織、パージに加入してほしい」

「は?」

「そうすれば坂本ミサキの安全も保障する」


 日下部は徐に胸元から封筒を取り出してテーブルの上に置いた。


「海老名市での君の活躍を見た。素晴らしい能力だよ。手伝うと言ってもアメリカ合衆国の監視下のもと、世界各地を飛び回るんだけどね。紛争地域とか被災国……今までは少数の手ではどうにもならなかった問題が君の存在でひっくり返るんだ」


 今までの笑顔とは違う。熱意に満ちた人間らしい表情を浮かべた。だが、男の一語一語の間に金髪のJKの姿が浮かんでしまい、彼が掲げる正義が汚れて見えてしまう。


「それで乗り気じゃない遊佐アカリを連れまわしているのか」

「彼女の意思は関係ない。彼女は僕に従う義務がある」


 義務。こいつの場合は強制という言葉に変わる。


「力ある物は力なき者を助ける。少々青臭いが、美しい正義だと思わないかい? 君はこんなところで一生を終えていい人間じゃないんだよ。もっと価値のある存在だ」


 違う。


「価値なんて無いよ。いや、マジで」

「……」

「高校二年の時、政府の連中にも同じことを言われた。君は多くの人の役に立つ……で? 俺はどうなる? そんな誰かも分からない奴のために自分の大事な青春を捧げろって? 俺が不老不死で人生に退屈してたら手をかしたかもな」


 男は俺の反論に目を丸くしている。

 大多数のために少数を犠牲にする。これならよくある大いなる決断なのだろう。だが、日下部が行っているのはそれよりも非道なこと。

 年端もいかない少女を戦わせる倫理に沿わない行為。


「残念ながら、ただいま遅咲きの青春を満喫中だ。お引き取り願う。今まで通り、ミサキを狙うなら覚悟しておけ」


 日下部は初めて笑顔を崩し、無表情になった。

 笑顔の時よりは怖くない。


「そうか、そうかそうか……。ではこうしよう、君が協力するなら坂本ミサキには干渉しないことを約束する。協力しないなら排除する……全てだ」


 ようやく本性を出したようだ。一気に大人気なくなった。 

 こんな余裕の無い大人にはなりたくないと思うばかりだ。


「……何を焦っている」

「ははっ、とぼけないでくれ、君の差し金なんだろ? 昨日、我々が保有する最高戦力である遊佐アカリが自由を要求してきた、いや、あれは……ほぼ脱走行為に近い」


 日下部の笑顔に微かな苛立ちが滲む。


「あーそれ、多分あいつの意思だぞ? 義務とか何とかで押しつぶすなんてそれは無理な話だ」


 最早、日下部の表情は笑顔では無くなっていた。

 正直、笑い出したくてたまらない。俺と話した後、すぐに実行に移したと考えると、なぜかすごく嬉しい気持ちになる。


「遊佐アカリはJKだ。この世で一番、自由な生き物だぞ?」

「……そんな下らない理由で世界が危機に晒されても?」

「俺は気にしない。それはお前の責任だ」


 無言の間合いを切り裂くように、ウェイターが注文した料理を運んできた。


「では、坂本ミサキが死ぬのも君の責任だ」

「……」


 口では虚勢を張れても、敵のスケールがデカいというのは確かだった。

 だが、目の前の男ともう話すことは無い。間合いを絶ち、席を外す。


「――後悔するよ」


 去ろうとする俺の背中に無感情な声がかけられた。



 同日の晩、暗闇に目が慣れるまでリビングの天井を見つめていた。

 何もない日になるはずだった。思いがけず濃厚になってしまったため、頭の中で上手く整理が付いていない。

 どうしても遊佐アカリのことも気掛かりだ。彼女はその後、上手くやれただろうか。今も日下部たちに追い回されていると考えると、落ち着かない自分がいた。


「……はぁ……」


 吐き出された息が暗闇の中へ消えていく。

 終息は見えているのに一寸先が全く見渡せない。

 拭い切れない不安だけが胸の中に沸々と沸いてくる。


「ん?」


 暗闇の中、ゆっくりと襖が開く音が思考を断ち切った。

 反射的に上体を起こして音のする方へ視線を送る。


「あれ、ミサキ?」


 暗闇の中にうっすらと白のTシャツ姿のミサキの姿を伺えた。


「……」


 彼女は無言でこちらへ近づき、覗き込むように視線を落としてくる。


「ど、どうしたの?」


 自ずと、彼女の方へ視線を振り向くが、違和感は小さな恐怖へと変化した。

 彼女の表情には生気がない。目の前に人間の剥製があるかのような不気味さが漂っている。


「ミサキ……?」


 俺の戸惑いを無視するように、ミサキは俺の体に乗り、両腕を押さえつけてきた。


「……っ!」


 突然の出来事に声が出なかった。

 ミサキの顔が目の前まで迫っているのに、彼女の呼吸を感じない。

 鼓動の音が思考をかき乱す。

 石鹸の良い香りが不気味さを演出していた。


「ミサキ? なに? これ……」

「……」


 彼女は依然として沈黙を貫いている。

 悪戯とは違う、この鼓動は死に直面した時の物だ。

 無意識に彼女の腕を振りほどこうとするが、異常な力の前にピクリとも動かなかった。


「……拓哉くん……遊佐アカリはダメだよ。私がいるじゃん」

「!」


 ふと、彼女の瞳の奥を見てしまった。まるでぽっかりと空いた穴のように黒く、終わりが見えない瞳だ。


「ねぇ、私と一緒になろうよ……いつまでも童貞なんて……嫌でしょ?」


 掴まれた腕が強引に胸に当てられる。生き物としての柔らかさはあるのに、全く興奮しない。


「私もずっと処女のまま待ってたんだよ?」


 声も姿もミサキだ。だが、彼女の売りである温もりが一切感じられない。

 冷ややかな唇が迫る。ミサキの身体を纏った何かの気配を感じた。


「――誰だ、お前」


 気が付けば俺は問いかけていた。

 ただの直感に過ぎないが、裏付けるかのようにミサキの動きは止まり、瞳の中に光が戻っていく。


「……あ……~~~!?」


 ミサキは声にならない叫び声をあげて間合いを取った。


「あれ? なんで? あ、あははは……私、今何してた?」

「俺を押し倒して犯そうとしてた」


 俺の頭は酷く冷静だった。

 もしもこの場にレヴナントが出現しても迅速に対応できる自信がある。


「マジ?」


 先ほどの行動はどこまでが彼女の意思だったのだろうか。


「ミサキ、ほんとうに大丈夫?」

「え、あ、うん……少し暑いくらい……かな」


 確かに、ミサキの肌は顔から首元にかけて赤くなっていた。羞恥による可能性も捨てきれないが、体調が心配になる赤さだ。


「どんくさい俺でも、今のミサキがおかしいのは分かるよ」

「……うぅ」

「明日のアユ祭り、行くのやめよう」

「え!?」

「当り前だろ。こんな状態で遊べるわけがない」


 何かあっても責任をとれる気がしない。ミサキが死んでからでは何もかも遅いのだ。

 今は日下部の圧もある。


「だ、ダメだよ! 私のせいで楽しい事を潰すなんて!」

「ミサキのせいじゃない、それにまた来年もあるだろうし、焦らなくても――」

「ダメだよ……! 今じゃなきゃダメなんだよ……!」 


 ミサキの顔が歪む。

 呼吸も荒く、切羽詰まった気配に俺の鼓動も早くなる。


「ミサキ……お前」

「ごめん、あっち向いてて」

「は? 何だよ急に」

「いいから! こっち向かないで! さもないと二度とご飯作らないから!」


 地味に嫌な脅しを貰い、仕方なくミサキに背を向けた。

 背後でミサキがどんな表情をしているか想像はつくが、思い浮かべるのも野暮だ。


「拓哉くん……私、性格が悪い子なんだよ」

「知ってる」


 無言で背中を叩かれた。


「……高校の時、拓哉くんが政府の人に追い回されて、人生詰まらなさそうにしてて、それでも、私には少しだけ心を開いてくれて……あの立ち位置が好きだったんだ」

「……」

「フィアちゃんが全部解決してくれた時、すごく怖かった。拓哉くんが自由になった時、すごく寂しかった……私の居場所が無くなるんじゃないかって……」


 ミサキの声は震えていた。今にも力尽きそうなほど弱々しい声だった。


「だからね? 今、大変なことになって……でも拓哉くんと一緒に居られて、すごく楽しいし、幸せなんだって……こんなことを思っちゃう私が嫌いなんだよ……!」


 声だけ聴いていたら、後ろにいるのがミサキだなんて事実、受け入れられない。

 いつも余裕で、いつも前向きなことを言ってくれる彼女が自分を嫌いだなんて言ってほしくなかった。


「だけど……拓哉くんが近くにいてくれるのは今しかないんだ……拓哉くんの隣に居られるのは私じゃないから……!」

「何言って」

「……私、拓哉くんが考えている事とか、どこを目指しているのかくらい、すぐ分かるよ……」


 震える声は俺の胸を締め付け、涙を誘った。


「でも私は何もわかってもらえないみたいだから……ちゃんと言葉にするね?」


 不意打ちのようにミサキの腕が背後から抱きしめてくる。


「っ!」


 柔らかな体温が背中に触れ、徐々に密接になっていく。


「私は……大好きな拓哉くんに幸せになってもらいたい」


 どこまでも真っ直ぐで、強い願いが俺の心に落とされた。

 鳴り響いているのが自分の鼓動なのかミサキの鼓動なのかも分からない。


「だから、今見なきゃいけない人は私じゃないよ」

「……ミサキ……」

「まだこっち向かないで。というか、今日は私の顔見ないで」


 最後にキツく締め付けると、ゆっくりと身体を離していく。

 彼女の言葉を押し切ってまで振り向く勇気は無かった。

 彼女の意思を無視してまで俺の意見を叫ぶことなんてできなかった。

 やがて暗闇になり、襖が締まる。

 眠れない夜は続いていく。


「……どうしろって……」

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