14.魔法使いと黒歴史

 箱根旅行が終わった翌日。

 普段通りの籠城生活に戻った。

 矢先、ミサキが体調を崩してしまい、今は寝室に籠ってしまっている。


「ミサキ? 体調はどう?」

「……うん、大丈夫」


 襖越しにミサキに声をかけると、覇気のない返事が返ってきた。

 箱根から帰る途中のロマンスカーの車内で、ミサキは体調不良を訴えたのだ。

 以降、現在に至るまで彼女は飲まず食わずを続けている。


「熱は?」

「大丈夫」

「そっか、ご飯とか適当に買ってくるから。なんか欲しい物とかある?」

「今は無いかなー」

「食べ物以外で欲しい物は? 暇してたら雑誌とかも買ってくるけど」

「いらないよー」

「熱は?」

「もー、過保護だなぁ。同じ質問しちゃってるよぉ」


 かなり心配だが、彼女も慣れないことをしたために反動を受けているのだろう。

 俺も疲れているため激しく動くのは控えたいところだ。


「なんかあったら遠慮なく言えよ?」

「もー、うるさーい」


 声を掛け続けるのも逆効果なのは承知の上だ。

 襖から離れ、ふと、背後のテレビへ視線が向かう。


『ここ数日、レヴナントの目撃件数は減少しつつあります』

『何が原因なのでしょうか?』

『今のところ謎だらけでしたからね、今回の鎮静化も彼らの気まぐれかもしれません』

『では未だに気の抜けない状況が続いているということですね――』


 ニュースで話されている内容と自分が感じている現実が一致し、日常が近づいているのだと期待を抱く。


『もうそろそろ普通の日常が戻ってくると思っていいのでしょうか?』


 アナウンサーの女性がそんな能天気なことを口にする。

 不意に、『普通の日常』という言葉を引き金に、『普通に暮らしたい』そう呟いた遊佐アカリの妙に艶っぽい表情が脳裏を過る。


「つああああ……! 俺は何を言ってんだ……!」


 自然と喉の奥から絞り出したような声が漏れ出てしまう。

 今思い返しても、図々しいし、臭いセリフを吐いてしまったと後悔している。


「おい拓哉、さっきからうるさいぞ」


 リビングのソファでくつろいでいた師匠はアイスを片手にそんなツッコミを入れてきた。


「急に悶えるな、心配になるじゃろ」

「師匠?」

「良いではないか、黒歴史を作るのは青春の醍醐味じゃぞ。順調ということじゃ」


 と、師匠は言うが、青春と言うのはこんなに心に負担がかかる物なのだろうか……有識者の見解を求む。


「で? 今日は何をするのじゃ?」

「今日はミサキのことも心配だし家にいるつもりだけど……でも、とりあえず買い出しに行こうかな」

「そうか、じゃが、すこし待たれよ、もうそろそろ――」


 師匠の言葉を遮るようなタイミングでインターホンが鳴り響く。

 俺は会話を切り上げて玄関のドアを開けた。


「あ、拓哉さん! こんにちは」

「やぁ、カエデちゃん……と」


 カエデちゃんの元気な顔から視線を上げると、高校の制服に身を包んだ遊佐アカリの姿があった。


「お、お前も来たのか……何の用だ?」


 彼女と目が合うと、またしてもフラッシュバックしてしまい、悶えそうになる。


「付き添いだ」


 金髪JKは俺の気持ちを知る由もなく、飄々とした態度で短く答えた。

 二人をリビングに招き入れ、麦茶を用意する。

 カエデちゃんには師匠が食べているアイスも出した。


「昨日の今日でどうかしたの?」

「あ、フィアちゃんと宿題をする約束してて……お、お邪魔でしたか?」

「いや、構わないよ?」


 箱根旅行の翌日ということもあり、今日は休みたいと思っているのは大人だけらしい。

 カエデちゃんと師匠はテーブルにノートを広げて宿題の消化を始めた。


「で? お前は何をしにきたんだ?」

「いや、特に用は無い。招集がかかっているから、ここで失礼する」


 遊佐アカリはカエデちゃんが勉強を始めたのを見届けると腰を下ろすことなくリビングから出て行ってしまった。

 俺がその様子を眺めていると、不意に背中を強く押される。


「勉強の邪魔じゃ、早く買い出しに行ってこい」

「え、あ、でも」

「ミサキなら儂が面倒を見る。早く行けボケナス」


 師匠に促されるまま玄関へ向かうと、靴を履いている最中の遊佐アカリと目が合った。


「私に何か用か?」

「いや別に? 買い物に行こうと思って」


 話を合わせたわけでもないが、俺と遊佐アカリは共に玄関を出た。

 夏が本格的に猛威を振るい始め、街には熱中症警戒アラートが発せられている。

 外の空気に肌が触れるのと同時に汗が滲み始める暑さだった。

 自然と、遊佐アカリと並んでマンションを後にする。

 二人並んで本厚木駅へ向けて歩き始めるが、永遠にも感じられる沈黙が二人の間を遮った。

 こういう気まずいタイミングでレヴナントが来てくれるなら良いのだが、そんな都合よくあらわれるわけでもない。

 金髪JKの横顔を盗むように見るが、彼女は依然として何を考えているか分からない無表情を被っていた。

 再び、箱根での出来事が脳裏を過る。


「~~~っ!」

「どうかしたのか?」

「あ、いや、何でもない……」


 数分ぶりの会話は一秒半で終了した。

 遊佐アカリは平然としているが、箱根での事はどう思っているのだろうか。

 いっそ聞いてみた方がいいのかもしれないが、どう質問するか、また悩んでしまう。


「三岳拓哉」


 セリフを選んでいると先に遊佐アカリから呼ばれてしまった。


「な、なに?」

「箱根でのことなんだが」

「ゴフっ! う、うん……あれから何か変わったか?」


 彼女は俺の動揺を無視して言葉を続けた。


「出来るなら、私はカエデとまた一緒に楽しいことをしたい」


 再び願望を吐露した彼女の横顔は険しかった。

 分かってはいたが、俺や彼女の気持ち一つで多数の人間を動かすことは出来ないのだ。


「……なぁ、聞いてもいいか? お前を縛っているものなんだけど」


 遊佐アカリは足を止めてこちらを一瞥した後、口から大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。


「私が今、日下部くさかべさんの組織を抜けたら、今度はカエデが駆り出されてしまう」

「は? なんだそれ……まだ子供だろ」

「子供でもだ。私は十二歳のころから紛争地域に駆り出されては命のやり取りをしていた」


 衝撃的な告白に、浮ついた気持ちが消し去られてしまった。

 不思議と周りが静かになった気がする。


「私の上司であり、育ての親、日下部ケイジは平和のためなら何でもする男だ。私が死ぬ、もしくは失踪した場合は新たな兵士を足すだけだろう。カエデが駆り出されることは遅かれ早かれ決まっていることだ。私たちを姉妹とし、育てたのはそのためだからな」


 今になって彼女が浮かべる無表情の意味を理解できた気がする。感情が動かないのではない。動かせないのだ。自我を押しつぶされるほどの責任の重圧に一人で耐えてきたのだ。


「カエデは私の大事な妹だ、同じ目に遭わせるわけにはいかない。すまない、私はお前たちのようにはなれないんだ……」

「……」


 遊佐アカリはハッとしたように目を見開いて俺を見上げた。


「ち、違うんだ、別に助けて欲しいわけでは無い。仕方がない事として――」

「その日下部ってやつ……どこだ」

「っ!」


 高校生の時に一度感じたことのある、全身が燃えるような感覚が全身を駆け巡った。

 胸の握り潰されるような苦しみに鳥肌が立つ。

 耐えがたい理不尽に迫られて時に沸き立つ、抑えようのない怒り。


「とりあえずそいつを黙らせればいいだろ?」


 俺にはそれが出来る。

 ――日下部と戦う。

 初めて会った時から気に食わなかった相手だ。

 この際、好都合だろう。いい口実が出来た。


「違う……ダメなんだ」


 小さく、か弱い声は怒りの隙間を縫うように頭の中に届いた。


「私は! 自分でやれるから! お前がそんなことをする必要はない!」

「どうせ仕方ないって折れるんだろ! 分かってんだよ!」


 不意に、遊佐アカリの小さな手が俺の服を掴んだ。

 力強く、離さないように込められた手は震えていた。


「ダメだ……ダメなんだよ……お前が日下部さんに会ったら、全部終わっちゃう……から」

「……は? 何言ってんだ?」

「私は、今度こそ三岳拓哉を頼らないと決めた……! だから、私に任せてくれないか?」


 俺が頭の中で彼女の言葉を理解しようと奮闘していると、熱意に満ちた瞳と目が合ってしまった。

 新宿で出会った時のような瞳と似て非なるもの。


「――抗ってみるよ」

「っ!」


 不意に、俺の言葉を返されてしまい、失速しつつある怒りは羞恥に塗り替えられてしまった。

 してやられたという気持ちと一緒に、嬉しい感情が芽生える。

 日下部と戦う選択肢もある。

 だが、この行為は彼女の決意を裏切ってしまう……と、俺の直感が訴えかけてきた。


「……でも、マジでどうにもならなくなったら、俺を頼れよ?」

「大丈夫、今回は大丈夫な気がするんだ」


 遊佐アカリは何かを成し遂げた時のような満足気な笑みを浮かべていた。


「全部終わったら、私も、その……」


 だが、すぐにばつが悪そうに視線を逸らした。


「何だよ」

「……あ、アユ祭りというのに同行、してもいいのか?」


 と、口を尖らせて尋ねてきた。

 恐らくどこかのタイミングでミサキから誘われたのだろう。


「もちろんだ……そういうのスッと言えよ。また殺害予告でもされんのかと思ったわ」

「殺害予告の方が気楽でいい。……それじゃあ、私はもう行く」

「おう」


 遊佐アカリは再び歩き出し、駅へと向かった。

 突き放されてしまったような虚しさが残った。

 俺は結局彼女をどうしたいのだろうか。

 俺の人生でもなければ、彼女が大切な家族と言うわけでもない。

 小さく芽生えた親近感は俺が気付かないところで大きく育ち、情は何か別の物へと変わりつつあった。



 翌日。

 ミサキは朝から台所に立って料理をしていた。


「ミサキ、本当に大丈夫?」


 ソファからミサキへ問いかけた。

 師匠はソファで横になり、いつも通り俺の膝に足をのせてくつろいでいる。

 関心や心配は無いのだろう。


「うん、昨日はごめんね? 今日は割と大丈夫だから。いい加減、拓哉くんの過保護も鬱陶しいしね?」


 眠いという可能性も捨てきれないが、ミサキの笑顔は心なしか元気には見えなかった。

 恐らく空元気なのだろう。


「はい、お待ちどー! ミサキちゃん特製オムレツだよーん」


 と、俺の心配をよそに運ばれてきたオムレツはホテルの朝食で出てくるような綺麗な物だった。


「わ、スゴ……プロじゃん!」

「ふむ、拓哉もこういうの作れるようにならんかのう」 


 師匠はニヤニヤしながら肘で脇を突いてきた。


「無理言うな」

「のう、ゴリラ女、料理教室とか開いてみたらどうじゃ? ……聞いておるか?」


 ミサキにしては珍しく、師匠の誉め言葉に反応が遅れた。


「……ん? あ、うん、気に入ってもらえてよかった!」


 俺たちの視線に気が付くと、ミサキはすぐに笑顔を浮かべたが、まるで生気を失ったかのような不気味な表情が脳裏に焼き付いてしまった。


「だ、大丈夫? ミサキ」

「うん、大丈夫だってば」


 ミサキはマッスルポーズをとって、自信ありげな笑顔を浮かべた。


「なら良いんだけど……」

「あ、そうだ! 拓哉くん! アユ祭りの話! アカリちゃんも誘っておいたよ」

「あぁ、本人から聞いたよ」


 アユ祭りと言うのは厚木市で夏季に開催される大規模イベントだ。

 日本国内で数に数えられる花火大会で、毎年多くの人たちで賑わっている。だが、レヴナント災害が立て続けに起こり今年は開催が危ぶまれていた。


「うん! 今年はみんなで浴衣着て行こう!」

「浴衣? 俺も?」

「もちろん! 青山くんのと一緒に用意してあげるから安心して?」


 ミサキはそう言って楽し気に提案した。モデルの伝手でもあるのだろうか。


「フィアちゃんの浴衣も選んであげるからねぇ? グフフ」

「え、あ、うむ……浴衣……か」


 師匠は警戒しつつも浴衣と言う単語を聞いて、興味との間に揺れている様子だった。

 楽し気な会話とともに朝食の時間が過ぎていく。

 海老名で起こった事件以来、レヴナントが俺たちの生活を脅かしてくることは無く、緊張とも縁が遠くなっている気がする。

 ただ、俺の中で一つ気にかかっているのは金髪のJK――遊佐アカリのことだった。

 彼女は上手く話せただろうか。いや、話せたところで現状が動くとも考えにくい。

 俺が組織を潰すか、レヴナントの問題が解決するかしか、彼女が助かる方法は無いのかもしれない。

 考えれば考えるほど、邪念が湧き出た。


「拓哉?」

「……なに? 師匠」


 意識外からの声に反応が遅れた。


「儂にも浴衣は似合うかのう?」

「浴衣が似合わない人っているの? 逆に」

「そうか、それなら良いのじゃ」


 不意に、師匠は今までの無邪気な笑顔とは違うベクトルの笑みを浮かべた。心の底から喜ぶようなはにかみ笑いに、少し動揺してしまう。


「師匠、そんなに浴衣着たかったの?」

「あ、いや、そういうわけでは無いのじゃが、まぁ、女には色々あるのじゃよ。ところで、アイスが切れておったぞ、買ってこい」


 可愛いところもあるんだと思った矢先、いつもの我儘モードに戻ってしまい、少々呆れるのであった。

 師匠の注文を聞いたわけでは無いが、洗剤が切れていたため、朝食を食べた後、外出を余儀なくされた。


「暑っ……」


 マンションから出てすぐに日差しが容赦なく俺を照り付けた。

 八月の初頭。暑さは留まることを知らず、気温は日を追うごとに上昇していく。

 猛暑の中、本厚木駅前に訪れた。

 街を彩っていた高校生たちは私服に着替え、各々が自分たちだけの時間を満喫している。

 不思議と、彼らに対して羨ましい気持ちは湧かなかった。単純に今が充実しているからだろう。


「朝から高校生の観察かい?」

「――っ!」


 背後から声を掛けられ、心臓が跳ねあがった。


「こんにちは、三岳拓哉くん」

「……えっと」


 振り向いた先にいたのはコンビニのコーヒーカップを片手に背広を着た男性だった。バレー選手顔負けの身長は圧があるが、優男風の顔つきが上手く中和している。


「あぁ、失礼、僕は日下部ケイジと言います」


 その名を聞いて戦慄した。言われてみれば、いつかの襲撃の際に見た男と同じ容姿だ。


「日下部……」

「遊佐アカリが世話になっているみたいだね。どうかな、少しお話でも」

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