13.魔法使いと親睦組手

 電気も付けずに、入り口側のベッドへ遊佐アカリを寝かせた。

 冷蔵庫から備え付けの飲料水を取り出してコップに注ぐ。


「飲めるか?」

「……」


 返事は無い。

 枕元のサイドテーブルにコップを置き、空調を強めに設定する。

 すぐに冷たい風がエアコンから流れ出し。火照った体を冷まし始めた。


「なぁ、一つ、いや二つだな……聞いていいか?」


 返事は無いが、続けた。


「なんでそんなことになってんだ?」

「……て」


 空調の音に紛れて何か聞こえた。


「あ?」

「熱い風呂は苦手なんだ……」


 思いのほか可愛い理由で内心ほっとした。

 重い体調不良でせっかくの旅行を台無しにされては敵わない。

 俺は徐に彼女のわきに落ちているスマホを見つめた。

 赤いスマホリングが取り付けられたスマホ。その煌めきを見るたびに謎の既視感が芽生えるのだ。


「じゃあ二つ目の質問。そのスマホリングさ、良かったら師匠に見せても構わないか?」

「……」


 遊佐アカリは微かに肩を震わせた。


「ずっと気になってんだ。どっかで見たことある気がするし、ミサキか師匠にも聞いてみたいから――」

「――ダメだ」


 食い気味に拒絶された。


「……理由は無い。とにかくこれを赤髪の少女に見せることだけは絶対にダメだ……!」


 言い終え、遊佐アカリは苦しそうにうめき声を上げた。


「おい、無理すんなって」


 どうやら彼女にとってスマホリングについての話題は地雷のようだ。

 これ以上食い下がっても体に障ってしまう。


「三岳拓哉……」


 彼女の声は空調の音に負けそうなほどにか細く、弱々しかった。

 彼女の声を聞き逃さないためにも彼女が寝ているベッドに腰を下ろして耳を傾けた。


「あ?」

「私に……こんなことをしている暇は無い……」

「またそれ? 別に強要するつもりはないけどよ、普通のJKとしてこのくらいの青春は経験しておいた方がいいんじゃないか?」

「必要……ない……」


 普段と違って覇気を全く感じない。

 情けない話だが、彼女が弱っている今こそ俺も強く出られる気がした。


「それに……お前が、なぜここまで私のことを気にするのか分からない……私はお前を殺そうとした」

「気にしてるっていうか……」


 意外なタイミングで追い詰められた気分にさせられた。

 勝手に罪悪感を覚えていたせいか、俺の口は気が付けば本音を漏らしていた。


「同情って言ったら失礼かもな……」


 少しカッコつけて見たかった……なんて、口が裂けても言えない。


「同情なんていらない」


 空虚な返事は俺の中に眠る嫌な記憶を呼び覚ますとともに体温を上昇させた。


「と言うかお前は好きでこんなことしてんのか? まさか戦いを望んでるなんて言わないよな」


 言葉を発してから踏み込み過ぎた質問だったと後悔した。遊佐アカリはすぐに返事をしてくれることは無く、空調の音だけが場を漂っている。

 俺が高校生の俺が同じ質問をしたら確実に怒るだろう。


「好きでこんなことしてるわけない……!」


 彼女は弱々しくも怒りと苛立ちを込めた声を響かせた。

 分かり切った答えだ。

 だが、彼女の口から聞くことに意味があった。


「そっか、じゃあ何でやめないんだ?」

「……――仕方が無いだろ」

「仕方がないのか?」

「私にはみんなを守る力がある。それに、カエデを守るためには日下部くさかべさんの言う通りにしなきゃいけない」


 分かってはいたが、訳ありだ。

 正直、今そんなことはどうでもいい。


「で?」

「……?」

「お前は何がしたいんだ?」


 言い放って、頬が熱くなっていくのを感じた。

 自分が苦しかった時に求めていた言葉。

 まさか自分が誰かのために使うとは思いもしなかった。

 遊佐アカリは少し間をおいて、何かを言いかけようとして、再び口を閉じた。


「――」

「ん?」


 遊佐アカリはゆっくりと上体を起こして俯いた。

 依然として呼吸は荒く、肌も紅潮している。


「おい、大丈夫なのか?」

「なんで――」


 一瞬の隙を突かれた。

 抵抗する間もなく、胸ぐらを掴まれベッドに組み伏せられてしまう。

 遊佐アカリは体調不良とは思えない身のこなしで、俺の上に馬乗りになった。

 俺を覗き込んでくるその顔は影になってよく見えない。

 不意に新宿での記憶が蘇る。


「え、ちょ……」

「はぁ……はぁ……」

「無理すんなって……」


 か細い手腕からは想像もできない膂力で押さえつけられ、引きはがそうとしても微動だにしない。

 彼女から伝わる熱が次第に全身へと伝播していく。


「なんで、優しくするんだ……!」


 絞り出したような声と共に怒りや苛立ちを露わにした視線を向けてきた。


「私は……! お前の生活をめちゃくちゃにして、お前の大事な人を危険に晒しているのに……! なんでお前は私なんかに構うんだ……!」


 垂れ下がる金髪は湿気を帯び、度々俺の頬を擽った。

 嗅ぎなれない女子の匂いが鼻の奥に充満し、遊佐アカリが俺の感覚を支配していく。


「嫌な……奴だろ、私は」


 胸ぐらを掴む手に微かに力が籠る。

 状況で言えば、新宿の時と大差ないのに、俺の心臓は不思議と落ち着いていた。


「まぁ、俺はお前のこと、嫌いだよ」

「そう……だろ」

「でも、俺の日常の一部に、お前が必要な気がする」

「!」


 遊佐アカリは目を見開いて顔を離した。


「なんで……」

「知るか、ミサキとかカエデちゃんに聞いてみろ。てか、さっきの質問の答えはまだか?」

「私がどうしたいかなんて、どうでもいい」

「どうでもよくない。JKだろ、そこら辺しっかりしたらどうだ」

「どうでもいいんだよ!」


 珍しく遊佐アカリの声が荒ぶった。


「私なんかどうなったっていい! 苦しい事には慣れてるし、誰かの役に立つことでしか生きてる意味を見いだせない。それにお前も……」

「……?」

「お前も……!」


 感情を露わにする遊佐アカリだったが、何かを言いかけて言葉を絶つように唇を閉ざした。

 後に続いた内容がどうであれ、俺の腹は決まっている。

 バカげている。の一言だ。


「何かあるだろ、他に」

「……ない」

「ある」

「ないよ」

「だから――」

「――無いってば!」


 剥き出しの感情を表に出した一瞬の隙。

 俺は彼女の腕を掴んで力任せに体勢を入れ替えた。

 両腕をベッドへ押さえつけ、今度は俺が彼女に馬乗りになった。

 面を喰らったかのように目を見開く彼女をよそに叫んだ。


「――まだあるだろ! お前がしたいこと!」


 こんな拘束は彼女の力を以てすれば簡単に振りほどかれてしまうだろう。

 というか、新たに殺される口実を作ってしまった気がする。

 でも構わない。


「俺を襲ったのも、今こうして旅行に来てるのも世界のためだと!? ふざけんな! 毎度毎度、俺の質問は無視しやがって! 世界とか他人とか! この際カエデちゃんだってどうでもいい! ――お前が何をしたいのか聞いてんだ!」


 彼女の手に力が込められた。

 二、三発のビンタは覚悟しておいた方が良さそうだ。

 女子の身体を押し倒した罪は重い。

 だが、いくら待っても彼女は拘束を振りほどこうとする素振すら見せなかった。

 互いの荒い呼吸音だけが静寂にリズムを彩っていた。


「どうなんだ……」

「私は……――普通に暮らしたい……みんなと同じような人生を歩みたかった」


 やがて顔を歪めて呟いた。

 目に浮かぶ涙の膜は彼女の本心を確証づけていた。

 見たことも無い彼女の表情に鼓動が高鳴る。


「私には力がある! だからみんなのために頑張らなきゃいけない!」


 胸が――締め付けられる。

 ミサキと出会わなかった俺。

 師匠と出会わなかった俺。

 周りの意見に飲まれてしまった俺。

 自分を好きになれなかった俺。

 力の意味を理解してしまった俺。

 ずっと独りだった俺。

 正論に折れてしまった俺……。

 あったかもしれない結末なのだ。

 そうして折れてしまった人間は自分の人生をこの一言で片づけるのだ。


「仕方ないだろ……」


 ――と。

 俺が遊佐アカリという人間が気に食わなかった理由、それは、殺されかけたからとか、大事な人を殺そうとしているからではない。

 過去の自分を見ている気分になるからだ。

 人間として立派なことを『強いられている』彼女の姿が情けなく見えるから。


「仕方ない、じゃねぇよ」

「え?」

「――力があるなら抗え! 力があるせいで不幸になってたまるか!」


 声が裏返ろうとも、俺は彼女に言いたかったこと叫んだ。


「ダメなら頼れよ! 嫌い同士でも友達だろうが!」


 柄でもないことをしているのは重々承知している。

 だが、遊佐アカリも本心を見せてくれたのだ。

 それに答えなければ、ミサキと師匠に顔向けが出来ない。

 胸が高鳴り、今の自分に自惚れていた。

 だが、沈黙が重なっていくたびに胸の高鳴りの要因は羞恥心へと変わっていく。

 沈黙が場を支配してからどれくらいの時間が経っただろう。

 人生で一番苦痛な静寂ではあったが、離れて負けを認めるわけにはいかなかった。


「……ぷふっ」


 腹を括って作り出した静寂は何ともマヌケな声に崩される。


「――へ?」

「あはっ! あはははははははははっ!!」


 あろうことか、遊佐アカリは大口を開けて笑い始めた。


「は? てめ……はぁ!?」

「す、すまない……ぷふっ……あはははははっ!」


 俺に押さえつけられている状況にもかかわらず彼女は気の抜ける笑い声を上げ続けた。


「わ、笑いすぎだろ」

「はぁ、はぁ……そうか……そうだったな、お前はそういう奴だ」

「は?」


 俺をバカにするような笑い方ではなく、何かから解き放たれたかのような気持ちのいい笑みだった。


「どいてくれるか?」


 何かモヤモヤが残るが、ひとまずは彼女の心に訴えかけることが出来たのだろう。


「……参ったな……どうしても敵わないのか」

「たりめぇだ。見てきた世界が違ぇんだよ」


 俺は彼女の手を放し、起き上がろうとした、その時。


「――拓哉さん? お姉ちゃんと何してるんです……か?」

「「!!」」


 突如としてカエデちゃんの声が背後から聞こえた。

 咄嗟に遊佐アカリの身体から離れようとしたが、無様にもベッドから転げ落ちてしまう。


「だ、大丈夫ですか? 拓哉さん」

「だ、大丈夫大丈夫。カエデちゃん? どうかしたの? てかなんでここに?」


 直ぐに毅然とした態度を持ち直し、立ち上がるが、声は裏返りまくっていた。


「えっと、青山さんから拓哉さんを呼んできてと頼まれて……」


 よく見るとカエデちゃんの手にはカードキーが握られていた。


「皆さん、お風呂が終わったので、一緒に夜ごはんを……」

「そ、そっか! いいね! じゃあ行こうか!」


 一度深呼吸をして心臓を落ち着けてから部屋の出口へと向かう。


「何してたんです? すごい大きい声が聞こえましたけど……それに、お姉ちゃんに跨って……」


 カエデちゃんとのすれ違いざま、純真無垢な瞳で見上げられ、俺の身体は硬直してしまう。


「えっと……」


 穢れなき眼に問いかけられ、必死になって言い訳を探す。

 マッサージ……は他の連中に話された時に感づかれる。

 動揺した脳では最適な誤魔化しを選出できないでいた。

 ダメ元で助けを求める視線を遊佐アカリに送る。

 すると、遊佐アカリは口角を上げて俺を一瞥した。

 急いで涙をぬぐったのか、彼女の目元は赤く腫れてしまっている。

 だが、そんなの関係無しに悪戯な笑みを浮かべた。


「――プロレスだ」

「ばっ!?」


 あろうことか最低な誤魔化し文句を言い放ちやがった。


「プロレス? うふふ、お姉ちゃんと仲良いんですね! 拓哉さん」


 カエデちゃんは何の疑いも無く、遊佐アカリの言葉を真に受けた。


「でも、せっかくお風呂に入ったのに汗かいちゃいますよ?」

「ソウデスネ……」


 冷静に考えて、遊佐アカリからも今回のことはバレたくない……はずだ。

 最悪、カエデちゃんの口止めは、姉である彼女に任せるとしよう。


「でも、お姉ちゃんと仲が良くて良かったぁ。確か、仲がいい男女は、夜にプロレスするってフィアちゃんも言ってたし」


 よし決めた、師匠だけは絶対に許さない。


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