12.魔法使いとロマンスカー
旅行を計画してから実行するまでの間に季節は夏に移り変わっていた。毎年セミが鳴き始める瞬間をこの耳でとらえようと意識しているのだが、今年は様々な要因が重なってそんな余裕はなく、知らぬ間にセミたちは鳴き始めていた。
「はい、拓哉くん」
ボックス席の向かいに座っているミサキがお茶の入ったペットボトルを差し出してきた。
「ありがとう」
俺はキャップを捻ってキンキンに冷えた緑茶を口の中に流し込んだ。ふと右側に流れる風景に視線を向ける。
小田急線ロマンスカーは北千住と静岡県御殿場市の間を走行する特急列車だ。
下り線の運転再開を機に、一行は箱根湯本へ向かっていた。
路線は通常の小田急線と大して変わらないのに、ボックス席に座っているというだけで外の景色が全く違って見えるのはロマンスカーマジックなのだろう。
「いやー絶景だな、拓哉」
隣に座る青山が声を上げる。
なぜ青山がいるかと言うと、平たく言えば、計画のほとんどが青山だよりだったのである。
「そうか?」
俺は窓から目を離さずに答えた。箱根はこね付近になるまでは延々とビルや住宅街のような人工物が景色を支配してしまうので、絶景と言うのはオーバーな感想だ。
「あぁ……絶景だよ。お山が四つ」
「あ?」
トンチンカンなことを言っている青山の方へ振り向いた。だが、青山は窓の外など見ていなかった。彼の視線はずっと目の前に座っているミサキと遊佐アカリへと向かっていたのだ。
「アカリちゃん、その服似合ってるね」
「そ、そうか……こんな物を着るのは初めてだが……」
ミサキは白のキャップ、黒のキャミソールの上にベージュのジャケットを羽織っている。オレンジのショートパンツから伸びたおみ足が素晴らしい。
さすがはモデルと言ったところだ。なんかエロい。
隣の遊佐アカリは赤のオフショルダーに黒のスキニーパンツ。胸元にはアクセサリーとしてサングラスが掛けられており、腰まで伸びた金髪も相まって海外セレブのような大胆さが滲み出ていた。……うん、なんかエロい。
「やべぇ、なんかエロい……」
青山はバカなので正直に口に出してしまったが、俺は自分だけの感想として楽しむとしよう。
「カエデたそ達は大丈夫かなぁ?」
ミサキは通路を挟んで逆側にいる師匠とカエデちゃんの方に視線を送った。
……たそ?
「フィアちゃん、カエデたそは大丈夫?」
「む、邪魔をするでない。カエデは今集中しておる」
カエデちゃんは窓枠に両手を置いて外の景色に目を奪われていた。
「「「可愛い」」」
大学生三人の声が重なった。
特にいい景色でも無いのに夢中になる姿は愛くるしさの骨頂であった。
世界連合軍を相手にしてでも守ることを心の中で誓う。
「遊佐アカリ」
「な、なんだ……」
「お前はカエデちゃんを労わってやれよ」
「うるさい……余計なお世話だし、私にこんなことをしている暇は無い……」
遊佐アカリに小言を言ったところで、正面に座るミサキの顔が近づいてくる。
「アカリちゃん、満更でもなさそうだよ?」
と、囁く彼女の表情は妙に悪戯っぽく、状況を楽しんでいるように見える。
これが正しい青春なのか分からないが、プレッシャーと殺気に満ちた箱根旅行が始まった。
小一時間ほどで箱根湯本に到着し、一行は箱根登山鉄道に乗り込んで箱根山の上を目指した。
本厚木で見ることのできない雄大な自然や空気は日ごろの疲れを忘れさせてくれる。
彫刻の森、ロープウェイ、大涌谷……大人なってから訪れると印象が変わる風景ばかり。
どれも浮世離れしたいい場所だったが、観光地を順に回る中、俺の気を引いていたのは遊佐姉妹の微妙な距離感だった。
「よう、調子はどうだ?」
単なる興味なのか、要らないお節介なのか、俺は芦ノ湖あしのこを回遊する海賊船の船内で遊佐アカリの隣に座った。
馬鹿どもははしゃいで甲板に飛び出していったのでいいタイミングなのかもしれない。
「……何の用だ」
彼女は視線もよこさずに、酷薄な返事をくれた。警戒されているのか呆れられているのかは判然としない。
「カエデちゃん、楽しそうにしてるな」
「……あんな顔、初めて見た」
互いに視線を合わせず外の景色を見たまま会話が始まった。
「ちゃんと話してあげろよ」
「……ずっと気になっていたんだが、なぜお前がそこまでカエデを気に掛けるんだ?」
情の籠った質問だった。
遊佐アカリにしては珍しいと思い、思わず彼女へ視線を向けてしまう。
「そりゃあ、可愛いからだろ」
「……殺すぞ」
「……まぁ、幸せになって欲しいから……かな」
「――っ!」
遊佐アカリは驚いた様子でこちらに振り向いてきた。
「お前はそんなことを言っちゃいけない」
「何でだよ!」
依然として目を見開いて俺を見上げているが、可笑しなことを言ったつもりはない。
「だけど……今回は大丈夫かもな」
遊佐アカリは意味深な言葉を呟いたが、深い意味は見受けられず、無視をして会話を進めた。
「てかさ、まだ俺とかミサキの命は狙ってんの?」
「……殺そうと思ったことなんて一度も無いぞ」
「は?」
意外な回答に思わず素っ頓狂な声が出てしまった。
「いやいや、思いっきりナイフ突き付けて……」
ツッコミを入れながら、彼女の思考が分かった気がした。狙っていたのはミサキではなく、中にいる何か。
「……私自身、お前の人生に関わるつもりなんて無かったのにな」
と、微かな沈黙が場を支配すると、甲板に上がっていたカエデちゃんが小走りで船内に戻ってきた。
「いた! お姉ちゃん! 来て来て! 外の景色すごいよ!」
カエデちゃんはそう言いながら半ば強引に遊佐アカリの腕を引っ張った。対する彼女は笑顔と呼ぶにはあまりにも硬すぎる表情で戸惑いを表現していた。
「カエデちゃんは本当にお姉さんが好きなんだね」
「えへへ、はい!」
俺はカエデちゃんの元気な返事を聞いてから揶揄うような視線を遊佐アカリへ向けた。鋭い視線が帰ってくると予想したのだが、遊佐アカリは誰にも表情を見せないように顔を背けていた。心なしか頬が赤く染まっているように見える。
「行こう? お姉ちゃん」
「う、うん、行くから落ち着いて?」
距離はあれど、姉妹なのだ。こうして仲良くしていた方が見栄えがいい。
「しっかりお姉ちゃんするんだぞ」
「う、うるさい」
今度こそ鋭い視線が帰ってきた。
俺は本物の愛情と言う物を知らない。不器用で無理矢理な行動には目を瞑ってもらいたいものだ。
だが、ふと我に返る。俺は彼女――遊佐アカリをどうしたいのだろう。彼女が真に何を望んでいるのかも分からないのに手前勝手な口実を並べて振り回しているだけに過ぎない。
果たして、強要される青春は青春と呼べるのだろうか。これもまた、自分が彼女に厚意を施していることによって気持ちよくなっているだけなのでは無いだろうか。
「なんだ、あれ……」
ふと、船内から外へ視線を移した。
陽の光を反射してユラユラと煌めく水面。
他の船が行き交う湖の中腹、深い青が支配する景色に、『それ』は立っていた。
「……人?」
黒外套を纏った人のような何かだった。
脳が勝手にレヴナントだと決めつけたが、理性がそれを否定する。
遠目に見える『それ』にはどこか知性を感じるのだ。
意識が吸い込まれるような、恍惚とした気分に近しい感覚が脳に纏わりつく。
「拓哉ー」
師匠の声で我に返った。
「こっちに、カエデが来なかったかの?」
「え、あ、うん、遊佐アカリと甲板の方へ行ったよ」
「そうか、すまぬな。これだから元気な小学生は」
師匠へのツッコミも忘れてもう一度水面を見たが、そこには既に何もなかった。
空が橙色に染まり切った頃、宿泊施設の露天風呂に浸かりながら、青山は他愛のない会話を展開していた。
「いーや鮭に醤油はマストだね」
「拓哉が味音痴だっていうのは分かったぜ。もう十分だって」
青山の身体つきはプロボクサーにも負けず劣らずの肉体美で、肌色も真っ黒に焦げていた。湘南の男を体現している。
青山のため息により、無意味な会話は途切れた。
「てか、色々ありがとうな、青山」
「ん? あぁ、いいってことよ」
話は二週間前に遡る。ミサキと躍起になって旅行を計画したはいいが遊び慣れていない大学生二人では宿探しから苦労してしまったのだ。
そこで青山が声に声が掛かった。「遊びやすくて、小さい子も飽きなくて、景色が良くて、近くて、涼しい場所」というミサキの無茶振りに、青山は見事答えてくれた。
「ところで、ミサキちゃんとお前、付き合ってんじゃないの? 高校の時から一緒に居るんだろ? 互いの家を行き来してるって本当か?」
普通であればこういう手の会話は部屋に戻ってからと言うのがお約束だが、待ちきれないものは仕方がない。
「本当だけど、付き合ってないよ」
「えー? 男女の友情なんて存在しないぜー?」
青山の言葉ももっともだ。
「そう言うお前こそ、この夏で彼女は出来たのか?」
「最近サーフィンしながら海の女の子にナンパしてんだけど……」
青山が海パン姿で水着女子に話しかけている姿が容易に頭に浮かんだ。
「ほう?」
「ツーアウト、ツーストライク、ノーボールってとこかな」
「崖っぷちじゃねえか」
「お前だって、美女二人を侍らせて仲良く箱根旅行とはいいご身分だよな?」
「お前……遊佐アカリを美女だと?」
「美女だろ? それも絶世の。初めて見た時、ハリウッド女優かと思ったぞ」
あいつの恐ろしい部分を見てしまっているため美女と認めるのは抵抗があるが、青山のような普通の男から見れば高根の花的な美女なのかもしれない。冷静に考えて、あそこまで顔のパーツが整っていて、さらに金髪ともなれば嫌でも男の目は引くだろう。
「あーでも高校生かー……じゃあ今手を出すのはまずいかもな」
青山の意外な発言に思わず目を見開いた。
「んだよ……その、え、そういうのはわきまえてるんだ……的な顔は」
「いや、てっきりヤリまくってるチンパンジーだと思ってたから。高校生とかお構い無しに手を出して逮捕されそうじゃん」
「ふざけんな! ヤリもくのJKですらオレの顔見るなり警戒色出してくんだぞ!」
「悲しいな」
「――言うな!!」
「ま、俺はもう上がるよ」
気持ちのいい露天風呂だったのだが、少々湯加減が強く、俺には合わなかったというのが本音だ。「オレはもう少し泣いていく」と言う青山を置いて風呂場を後にした。
部屋へ戻る最中、エントランス付近にあるお土産屋さんに立ち寄り、地元産のみかんジュースやお酒、部屋で食べるためのつまみを買っていく。
自分たちの部屋付近、ふと目の前に金髪の女が歩いていることに気が付く。十中八九、遊佐アカリなのだが、外国人観光客の可能性もあるため、迂闊に声をかけることは出来ない。
仮に彼女だとしても、今日着ていたオシャレな服装とは違って、外国人がノリで着ているようなTシャツを着ているため、話しかけたくなかった。
「……うぅ……」
だが、彼女の歩調がやけに乱れていることに気が付く。まるで泥酔したかのように左右に揺れているのだ。
「おい遊佐アカリ?」
声をかけると、壁に手を当てながらゆっくりと床に崩れ落ちてしまった。当人が遊佐アカリでなくとも一大事だ。
速足で金髪の少女に駆け寄り、肩に手を触れる。『I♡箱根』のプリントTシャツが気になるが、苦しそうに呼吸する彼女にツッコミを入れる勇気はなかった。
「やっぱお前か」
「……う……」
金色の髪はほとんど乾いておらず、普段は白い肌が異常なほどに紅潮していた。触れている肩からも熱が伝わってくる。
「おい、大丈夫か? お前」
女子組とは部屋を別々に取っているため、遊佐アカリを部屋に戻すためには鍵を預かる必要があった。有り得るのは風呂でのぼせたことによる脱水症だろう。
「立てるか?」
と、声を掛けながらも即刻に無理だと確信し、彼女の腕を自分の肩へ回して立ち上がらせた。
風呂上りの石鹸の香りが漂って落ち着かないが、今はそれどころではない。
「ミサキは?」
「まだ……風呂だ」
「マジか……」
「カエデに……見られる前に……」
「はぁ、ったくめんどくせぇな」
幸か不幸か、すぐ目の前に自分の部屋があったので一時の退避先として遊佐アカリを自分の部屋へ連れ込んだ。
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