11.魔法使いと坂本ミサキ

 高校二年の日、傘を忘れた日。

 絶望に暮れる俺の顔に雨が降っていた。

 何の感情も持ち合わせずに灰色の空を見つめていた。


「あ、あの……大丈夫?」


 不意に、青色の傘が覗き込んでくる。


「君、三岳拓哉くん……だよね? 今年から同じクラスの」

「誰?」

「うわ、酷いなぁ、まぁ無理もないか。とにかく、困ってるならウチ来る?」


 彼女は抜け殻のような俺を当然のように家に招き入れてくれた。


「お風呂沸いたから、家に上がる前にこれで身体拭いておいて? って聞いてる? てか生きてる?」


 差し出されたタオルにはクマの刺繍が施されていた。

 ただ茫然と差し出されたタオルを眺めていると、乱暴に顔に押し付けられる。


「むぐっ」

「もう、君、赤ちゃんじゃないんだから」


 タオルの隙間から見えた彼女の顔は笑っていた。

 不気味なほどに、タオルは温かかった。


「お風呂は無理でも、とりあえず着替えてくれる? お父さんのパーカーがあるからさ。着替えはさすがに自分でやってよね」

「……お前」

「お前じゃない、坂本ミサキです」

「俺が怖くないのか?」

「怖い? そーだなー……半分ね、半分怖い」


 飄々とした態度で俺の前に立っている彼女から目が離せなかった。

 同じ高校の制服に、黒艶くろつやなボブカット。すべてが完璧に配置された顔。


「でも、もう半分は怖いかどうか分からないから、今から質問するつもり」


 屈託の無い笑顔で覗き込んできた。


「……」


 まともに人の顔を見たのは久しぶりだった。

 気が緩んだ。

 いや、彼女の話術が巧みだったのか。

 今となってはなぜ俺が彼女に悩みを打ち明けたのか覚えていない。

 話して嫌われればそれまで……なんて思っていたのかもしれない。

 気が付けば、俺は彼女の父親のパーカーを着せられ、彼女の部屋に通されていた。


「野球観戦に熱狂、前歯を折る、治療費に三万円……あはははっ! んなことある?」


 なぜか二人淋しい人生ゲームをしていた。

 魔法のせいで政府に追われていること、自分と関わると痛い目を見ること、全てを話したうえで、ミサキは「じゃあ人生ゲームでもする?」となんの脈絡もなく誘ってきたのだ。


「ほら、拓哉くんの番」


 何順かした後で不意に我に返り、ルーレットのつまみを持ったまま動きを止めた。


「……」

「なに、どしたー?」

「いや、俺、何してんだろって」

「良いじゃん、何してたってさ」

「坂本は……

「あのさ、拓哉くん、うちのクラスに坂本って苗字は私と、あと二人いるんだよ」

「……ミサキはさ」

「わお、呼び捨て! まぁいいけど……何?」

「なんで俺なんかに構うんだ?」


 ミサキは上体を逸らして天井を見上げた。


「んーーそーだなー……私もさ、クラスでは浮いてるんだ。読モだしね、男子からはめっちゃモテるのよ。だから女子からは嫉妬されるし、今日も上履き隠されてたし」


 退屈さと楽しさが入り混じったような奇妙な口調だった。


「でも、拓哉くんは他の人たちとは違う。私に興味なさそうだし、無害そうだから、こうやって話かけたんだ。拓哉くんがパリピだったら話しかけないよ。まぁ、道のど真ん中で雨に打たれてたのは、さすがにビビったけどね」


 ミサキは無神経なほどに明るい笑顔で質問に答えてくれた。


「勝手に親近感とか感じちゃうから嫌われるのかな、私」

「……かもな」

「うわ、酷い! せっかく助けてあげたのに。私が拾ってあげなかったら風邪ひいてたかもよ?」

「今日のことは感謝している」

「えっへん。私は優しくて気配りが出来るスーパー美少女なのです」

「……」

「あー! そんなこと言うから友達いないんだぞ、みたいな顔してる!」


 ハッキリ言って、少し鬱陶しかった。

 だけど、一連の会話で彼女が良い奴だということは理解できた。


「……俺に関わらない方がいい」


 理解したからこそ、彼女を俺の不幸に巻き込みたくは無かったのだ。


「その、政府に追われてるって話? 別に大丈夫でしょ。だって私は悪いことしてないし。今日だって――『友達』と家で遊んでるだけだし」


 ミサキはそう言って笑ってくれた。

 俺でも気が付かなかった、俺が一番欲しかった言葉をさも当たり前のように。


「ふふっ――また困ったらウチに来たら?」


 この出会いは俺とミサキじゃなければ、起こらなかったのだろう。

 ミサキは事あるごとに俺を政府の連中から逃げるのに協力してくれた。

 下心が介入する余地なんて無い。

 彼女は単純に、拠り所を提供してくれたのだ。

 ミサキと話して、ミサキに優しくされて、助けられて、初めて自分が一人では立てないほどに疲れていることを知った。

 いつしか俺は彼女のお節介に依存していたのかもしれない。



 早朝の街を散歩した同日。

 ミサキの計らいで遊佐アカリを俺の家に呼ぶことに成功した。

 丁度、俺たちの監視を再開したらしく、大声で呼んだらすぐに来てくれた。

 海老名で言い合いになった手前、少し気まずい空気が漂うが、ミサキはそんな空気を簡単に壊して笑っていた。


「なんだ、用って」

「まぁまぁ、アカリちゃん、まずは座ったら?」


 ミサキは警戒する遊佐アカリをソファに座らせた。

 俺はテーブルを挟んで向かい側の床に腰を下ろす。

 高校の制服を身に纏っているということは学校に行っていたということだろうか。

 ミサキはキッチンからマカロンのようなお菓子が乗った皿を運び、遊佐アカリの隣に腰を下ろす。


「はい、JKの大好物ですよー」


 テーブルに置かれたマカロンは通常のマカロンと違い、形がクマやウサギと言った可愛らしいキャラクターを模していた。

 最近の女の子はこの可愛らしさに目を惹かれるのだとか。


「これ可愛いでしょ? トゥンカロンって言ってね。あ、写真撮ってアップしよ――」

「――もぐもぐ……」

「食べてるし」


 金髪のJKはミサキの解説も聞かず、既にウサギの耳を食い千切っていた。

 いつかのファミレスの時もそうだったが、こいつの食い意地は俺でも委縮してしまうレベルだ。

 その後、ミサキが写真を取れなかったことに阿鼻叫喚したのは別の話として、本題へ入る。


「ねぇ? アカリちゃん? 私たちと一緒に旅行に行かない?」

「行くと思うか? 爆弾二人と仲良く」


 当然、ミサキが言う青春に遊佐アカリを付き合せようとしても拒否されるのは明白だった。


「で、ですよねー」


 と、ミサキは涙目でこちらに助けを求めてくる。


「坂本ミサキ、お前は自分の立ち位置を理解した上で発言しているのか? お前が今やろうとしていることは脅威を振りまくテロリストと大して変わらないことだ」


 と、クマのトゥンカロンを食べながら辛辣な意見を述べる……が、一旦食うのやめろよ。


「うぅ……そうだよね。ごめん」


 珍しくミサキが圧倒されている。ここは俺が頭を使って丸め込むしかないようだ。


「か、関係無い。付いて来たかったら来ればいいってだけの話だ。監視がお前の仕事、なんだろ?」


 我ながら雑な言い訳だ。

 遊佐アカリはため息を吐いて俺とミサキを交互に睨んだ。


「……そのことをわざわざ私に話す理由が分からない。どういう風の吹きまわしだ?」

「え、あ、いや……」

「三岳拓哉……お前、何が目的だ?」


 遊佐アカリはニワトリのトゥンカロンを持って立ち上がった。

 JKからは決して出ることの無い威圧感が場を支配しているのだが、トゥンカロンのせいで程よく場が和んでいる。


「何を企んでいる?」


 俺は涙目でミサキに助け舟を求めた。

 ミサキからは「えー情けなっ!」という旨の視線が帰ってきた。


「えっとね、アカリちゃん、正直に話すから! 一回落ち着いて? 拓哉くんが本当のこと話すから!」

「は!? 何で俺!?」

「なーに恥ずかしがってんの? 全部話してあげて!」

「他人事じゃないよね!?」


 俺が口籠っていると、ミサキは両拳を胸元まで上げて「がんばって」と口パクで表現してきた。やはり他人事だと思っているらしい。


「……えと、お前がロクな学生生活送ってないんじゃないかなーって……」

「……ひ、必要ないし、余計なお世話だ」


 遊佐アカリは一瞬、たじろぐような不思議な反応をした後、すぐに鋭い返答をし、誤魔化すようにトゥンカロンを口にした。

 俺も言葉に詰まっていると、ミサキは「だからね?」とバトンを握ってくれた。


「アカリちゃんは高校生だけど、軍隊で頑張ってるわけでしょ? 年頃の女の子がやっていることよく知らないんじゃないかなーって! ほらほら! 溶け込むにも情報は必要でしょ?」


 ミサキの言葉に遊佐アカリは多少なりとも合理性を感じたのか、咀嚼しながら顎に手を当てた。


「学校にもあんまり行けてないでしょ? だからお友達とか……」

「友達ならいるぞ」


 トゥンカロンを食べ終えた開口一番、まさかの発言が飛び出た。ミサキは口を大きく開けて驚愕している。俺は一度、目撃しているため、さして驚かなかったが、友達と呼べるような関係かは判然としない。


「え、本当?」

「あぁ、よく昼食の調達をお願いされるほど頼りにされている。最近の女子高生は軒並み金欠だと聞いていたが、まさか毎日の昼食を食べられないほど金欠だとは……」

「え……まさか奢ってあげてるの?」

「私が買ってあげなければあの子たちは餓死してしまうだろう?」

「うん……うん?」

「だが、最近は特に話しかけられることは無いな……みんな忙しいのか私から話しかけても返事が無い」

「えっと、誰かと遊びに行ったりは……」

「カフェに行ったぞ」

「……へ、へぇ? よく行くの?」

「一回だけ。後は誘われない。恐らく私の身を案じて付き合わせないように気を遣ってくれているのだろう。これが空気を読むというやつか?」


 遊佐アカリは得意げに話した。

 なんというか、うん……。

 俺とミサキは目を見合わせて互いに遊佐アカリの異常を認識した。

 遊佐アカリの交友関係は大体予想できていたが、予想の斜め上を行かれた気分だ。青春を経験していないどころの騒ぎではない。彼女の学生生活はゼロではなくマイナスだ。


「……なんだ……なぜ二人とも黙っているんだ?」

「決めた! アカリちゃん! 私たちと一緒に遊ぼう! 絶対!」


 涙ながらに叫ぶミサキに、遊佐アカリは気圧されたように一歩身を引いた。続いて、怪訝な表情を浮かべて俺の方を見てきた。普段であれば、彼女の心中を察してやることもできるのだが、今回ばかりはミサキと意見が一致している。


「俺もミサキに賛成だよ。お前は少し俗世に触れた方がいい……」

「は?」


 素っ頓狂な返事が返ってきた。


「お姉さんがしっかり話聞いてあげるからね……辛かったね、アカリちゃん」


 遊佐アカリは迫りくるミサキの頬を突き放しながら、呆れた様子でため息を吐いた。

 俺の口からは死んでも『同情』なんて言葉は吐き出せない。


「まぁいい……私の任務はお前たちの監視だからな……仕方がない。だが深く干渉をするつもりは無い」


 ミサキは俺の方を向いて勝利の笑みを浮かべた。

 とりあえずミサキの望み通りの展開になっただろう。なんだか無駄な体力を使った気がする。

 遊佐アカリは面倒くさそうにため息を吐くと、途端に意外な質問をしてきた。


「――ところで、赤髪の少女はどうした?」

「え? 師匠? 学校だけど」


 遊佐アカリの表情は依然として無表情だが声音は何かとても重要なことを聞いているかのような印象を得た。


「なんで師匠?」

「いや……いないのなら良いんだが……」


 彼女の言葉を疑問に思っていると、狙ったかのようなタイミングで玄関が開いた。ミサキは超反応で飛び立ち、玄関へと向かった。


「お帰りぃ! フィアちゃ――」


 数秒後、師匠がミサキの首を掴んで引きずりながらリビングに入ってくる。


「む、今日は珍しい客人がおるな」


 遊佐アカリは師匠を一瞥すると、すぐに虚空へと視線を移した。

 俺でなくとも、彼女の周囲に漂っている妙な空気には違和感を覚える。

 妙に互いを意識しているような、変な感じだ。


「――拓哉さん、お邪魔します」


 続いて、師匠の同級生であるカエデちゃんが顔を覗かせてきた。

 実に一週間ぶりだが、小動物のような愛くるしさは健在である。


「いらっしゃい、カエデちゃん」


 2LDKの部屋にしては少々人数が多くなり過ぎたようで、多少の窮屈さを覚えた。

 だが、その窮屈さは強烈な違和感へと変貌する。


「……あ……」


 カエデちゃんが小さな声を上げて金髪のJKを見つめていた。

 師匠は気まずそうな笑顔を浮かべて俺と頑なに視線を合わそうとしない。

 金髪のJKこと遊佐アカリは、カエデちゃんを見つめて驚愕の表情を浮かべていた。

 ミサキは幸せそうな顔で気絶している。


「な、なに? この空気……」

「――お姉ちゃん?」


 カエデちゃんの言葉が、凍結した空気を砕いた。


「カエデ、どうしてここに……?」


 遊佐アカリはカエデちゃんの言葉を否定することなく、名前を呼ぶことでカエデちゃんの言葉を肯定した。


「わー! お姉ちゃんだー!」


 カエデちゃんは遊佐アカリの腰に抱き着き、愛情にあふれた笑顔を見せた。


「お姉ちゃんお姉ちゃん! 今日はお休みなの? 一緒に居られるの? あ、ご飯は何がいい? お姉ちゃんが好きなものいっぱい作るよ! あとね――」

「ま、待ってカエデ、落ち着いて?」


 遊佐アカリはカエデちゃんの頭を撫でると、転じて鋭い視線をこちらへ向けてきた。正気に戻り、突拍子もない展開に改めて困惑する。


「拓哉、すまぬのう。話すのを忘れておったが、カエデの苗字は『遊佐』じゃったわ。もっと早くに言うておくべきじゃったな……あはは」


 師匠は遅すぎる告白をして、誤魔化すような笑みを浮かべた。

 まぁ、普通の大学生が魔法使い……なんて事実もある訳だし、殺し屋と純情な小学生が姉妹なんて事実もあるのだろう……勘弁してほしい限りだが。

 その後、各々が落ち着きを取り戻したところで、新たな議題が生まれた。いや、俺とミサキにとってはいいネタを得たという方が正確だ。


「え、じゃあ、いつもは一人でお留守番してるの? 寂しくない? 私が一緒に居てあげよっか? 大丈夫? 話聞こうか?」

「あ、え、いや……その……」


 ミサキの質問攻めに遭い、ソファの端に追い詰められたカエデちゃんは涙目になりながら俺と遊佐アカリへ視線を向けてきた。

 助けてあげたい気持ちは山々だが、確かめなければならないことなのだ。


「えっと……家では大体一人です……お姉ちゃんがたまに帰って来てくれますけど……月に1回あるかどうかです」


 俺とミサキの蔑むような視線が遊佐アカリに集中した。

 この女、カエデちゃんという愛くるしい妹が居ながら仕事を優先してやがる。人類悪め。


「し、仕方がないだろ……私だって遊んでいるわけでは無いんだ……」


 遊佐アカリは苦しそうに言い訳を述べた。

 だが、仕方がないで済む問題ではない。


「カエデちゃん? ちなみにだけど、お姉さんと会ったのは、いつぶりか覚えてる?」


 俺はダメ押し気味に質問した。


「えっと本厚木に来てからだから……四ヶ月? になりますね」


 絶句するほかない。これではネグレクトと変わらないのでは。

 再度、俺とミサキの怒りの眼差しが遊佐アカリへと集中する。


「あ、でも、お姉ちゃんとは毎晩スマホで電話してます! それにお姉ちゃんが忙しいのは私も知ってますから!」


 カエデちゃんは必死になって遊佐アカリの肩を持った。この健気さは俺とミサキの涙腺をいとも簡単に打ち砕く。

 ミサキは、涙ながらにカエデちゃんの身体を抱きしめて頭を撫でまわした。カエデちゃん本人が困惑しているのはさておき、俺も同じことをしてあげたい気分だ。


「で? お前はどうなんだ? 俺らのカエデちゃんをこんな目に遭わせやがって」

「お前らのではないが。……仕方がないだろう、どこぞの魔法使いとレヴナントに憑依された女が騒ぎばかり起こすから……」

「「――ギクっ」」


 冷静に考えてみれば遊佐アカリの言い分は最もだ。だが、ここで止まるほど俺たちの青春への情熱はヤワじゃない。


「ね、ねぇ? カエデちゃん? お姉ちゃんと一緒に旅行とか行ってみたくない?」


 多少無理矢理ではあるが、ミサキはいい方向へ舵を切った。


「おい坂本ミサキ! 何を勝手なこと――」


 遊佐アカリの行動を阻止するように頭の中に『声』が響き渡る。


 ――たとえ、君が先に大人になったとしても――


「――むぅっ⁉ んむーー!」


 魔法を発動すると、遊佐アカリの唇が接着剤で固められたかのように閉じた。すぐに俺の仕業だと気が付いたのか、殺気を帯びた視線を俺へ向けてくる。いつ見てもJKのガチ怒り顔は心臓に悪い。ここは腹を括って毅然とした態度を見せておく。


「どう? カエデちゃん」

「い、行けるんですか? お姉ちゃんと……」

「うん! あ、でも私たちも一緒になっちゃうけど……」


 カエデちゃんが俺たちと行動を共にするなら、必然的に、遊佐アカリも妹の傍に居ることになるだろう。これでも尚、離れようとするのであれば、児童相談所に通報する。


「大丈夫です! お姉ちゃんと一緒にいられるなら!」


 カエデちゃんはこれ以上ないほどの笑顔を浮かべてミサキの甘い誘いを受け入れた。


「やった、じゃあ決まりだね! ここにいる皆で旅行に行っちゃおう!」

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