21.赤の魔法使いと遊佐アカリ

 見渡す限りの背の高い廃墟と黒煙、そして曇り空。崩れかかった看板や街を走る人々を見るとここが日本だということが分かる。

 恐らくは新宿のどこか。


「ここは?」

「三周目の終わりだ」

「ん?」


 遊佐アカリは無表情で理解に苦しいことを言ったが、百聞は一見に如かずであった。

 目の前に現れたのは雨に濡れる金髪の後ろ姿だった。

 隣にいる遊佐アカリよりも大人びていて、下手をしたら俺よりも年上だ。

 彼女の両腕にはぐったりとした青年が抱えられており、全体的に哀愁が漂っている。


「私の人生には何もなかった」


 市都直下型大地震。

 その可能性の世界。

 迷彩服に身を包んだ遊佐アカリは無表情で抱えた青年を見つめていた。

 音は何も聞こえないが、瓦礫の下で顔を歪めて何かを叫んでいる人々や、それを助けようともがく人々を見ていると胸の奥が騒めいた。

 一つの終わりの世界。


「目標も家族も、守る相手も……あったのは遊佐アカリという誰の物かも分からない名前だけ」


 言葉が出なかった。


「でも、私の人生には三岳拓哉という一人の男がいた」


 地獄の中で、彼女が抱えている青年が自分自身だと気が付いたその時。


 ――場面が切り替わった。


 今度は神奈川県民なら馴染み深い、七里ヶ浜しちりがはまの海岸だった。

 晴天の下、金髪の少女とパーマが掛かった髪の毛の男が仲良さげに走っている。


「何もなかった私の人生に、三岳拓哉という男は、遊びを教えてくれた。生き方を教えてくれた。恋を教えてくれた……愛を教えてくれた」

「……そ、そうか……なんか恥ずいな」

「三岳拓哉は私を愛してくれた。私も三岳拓哉を愛した。世界なんかよりもあの男の幸せを願った。何よりもあの男の笑顔を守りたかった」


 話している遊佐アカリの顔が少し和らいだ。

 疑問なのは俺の目の前にいる彼女は何者で、今見ている世界は何なのか、ということだった。


「一つ聞いても良いか?」

「なんだ?」

「誰に飛ばしてもらったんだ?」

「……」


 まぁ、こんな芸当が出来る人物は俺の人生において一人しかいない。


「師匠か?」


 ――場面が切り替わった。


 今度は見慣れた街、本厚木駅前交スクランブル差点の雑踏だった。

 群集の波は目まぐるしく動き続け、その中で遊佐アカリの金髪は輝き、目立っている。


「アカギ……いや、ソロモエル=フィアは三岳拓哉の幸せを願っていた。でも、自分では無理だと思ったんだろう、三岳拓哉にとって幸せの種だった私に『リング』を渡した」

「あぁ、これか」


 ポケットから熱を帯びたリングを取り出す。


「可能性の円環。彼女はそう言っていた」


 遊佐アカリは赤いリングを見つめながら物憂げな声で言った。


「何度も繰り返した。大切な人が何度も自分の手の中で死ぬのは苦しかった。いつからか、三岳拓哉の不幸は私の責任だと感じた。だから私自身を遠ざけたかった」

「……それは、無理じゃないか?」


 何となくだが、感じる。

 彼女がいくら遠ざけようと、どの世界の三岳拓哉であろうと、絶対に彼女を追いかける。現に時空を超えてまで追いかけているバカがいるのだから。


 ――場面が切り替わった。


 いつか、箱根旅行に行った時に乗った小田急ロマンスカーの車内。

 俺と遊佐アカリはボックス席に向かい合うように座っていた。

 遊佐アカリは退屈そうに、流れていく車窓を眺めている。


「だから私はカエデという庇護対象を作ることで、三岳拓哉を忘れようとした。お互いの人生からお互いを完全に消し去ろうとした」

「まって、そんなことできんの?」


 驚愕と同時に、少し呆れた。


「あぁ、赤の他人と無理やり運命を結びつける……」


 もう一人の自分がミサキを用意したと言っていたが、話が繋がり、頭を抱えたくなった。


「カエデと一緒にいる時は時間や自分の目的を忘れられた。だけど、私の人生にそんな安寧が許されていないことを忘れていたんだ……。まさかカエデにまで不幸が掛かるなんて思わなかった。気が付けば、三岳拓哉に助けを求めていた」

「結果、暴走した俺が世界を滅ぼした……と」


 めちゃくちゃ好きだったんだな。

 まぁ、こんな美人を手放すなら世界くらい壊れてもいいじゃないか、と思う自分がいた。


「今回は上手く行くと思った。三岳拓哉から見れば大切な人を付け狙う『悪人』だったから……このままこの人に殺されても良いと、後は坂本ミサキがこの人の幸せを引き継いでくれる……そう、思っていた」

「全部、俺に嫌われようと?」


 遊佐アカリは小さく頷いた。


「え、あのクソダサイ洋服も?」

「あれは……別にダサくない」

「あぁ、うん」


 服のことに関しては色々言いたいことがあったが、自重した。


「でも、どんな事されても、俺は君のことが好きだ」


 遊佐アカリの無表情な横顔に一筋の涙が零れ出る。


「酷いよ……なんで優しくするんだ……拒絶なんてできるわけがない。あなたと一緒に居る時間が、あなたと言葉を交わす時間が……どうしても幸せだった。上手く行かないって分かっているはずなのに……どうすればよかったんだろうな、私は」


 とめどなく、涙が溢れ出す。

 世界のために、とか、俺と言う異質な存在をどうにかする……とか、そんな大それた目標を掲げているんだと思っていた。

 結果としては世界のためかもしれない。

 それを全部裏切ることになったとしても、俺の中で彼女に掛けられる言葉は決まっていた。


「それでも、俺は遊佐アカリのことが好きでたまらない」


 彼女の苦悩も、俺が彼女にしてしまった仕打ちも、許されるものでは無いかもしれない。


「ごめんな、また好きになっちまって」


 それでも俺は、彼女、遊佐アカリをずっと愛していた、ずっと求めていた。

 これがいつ、どの時代の三岳拓哉の感情かは知らない。

 俺に出来ること、俺のすべてを持って、罪滅ぼしを願う。


「じゃあ、次があるとしたら、何を望む?」

「え?」


 ようやく彼女の顔がこちらを向いてくれた。


「望むなら、出会わない世界だって作れる。俺がいない世界だって作れる」


 そう言って、笑って見せる。


「今回は君のおかげで限りなく幸せに近づいたよ……今度は俺の番だ」


 結果として空振りに終わったっていい。

 だけど、俺の『これまで』は彼女に支えられてきたのだ。

 だからこそ、恩返しするのが最高の自己満足だ。

 遊佐アカリは目を見開いて口を歪めた。


「――私は! あなたと一緒にいたい! 一緒の人生がいいっ!」


 金髪の彼女はクシャクシャになった顔で叫んだ。

 聞くまでも無い。

 これが彼女と俺の幸福だったのだ。

 手の中に握られているリングが熱を放つと共に、視界が白に染まっていく。

 どうやら時間が来たらしい。


「よかった……同じ気持ちで」


 金髪の彼女が白に飲まれていく。

 耳鳴りに遮られ、彼女の声も聞こえない。


「時間はかかるかもしれない、でもまた会える。だから、待っていてくれ――」



 耳鳴りがする。

 視界は白に染まり、見渡す限り何もない空間が広がっていた。手足の感覚も意識もしっかりしているのに、妙な浮遊感がある。


「師匠……?」


 白の中にポツリと赤色が立っていた。

 師匠は何もない空間で俺を見つめている。


「最後じゃな」

「うん……その前に色々聞きたいことがあるんだけどさ、結局、魔法って何なの?」


 俺の質問に師匠はいつもの偉そうな教師面になった。


「魔法とは、願いじゃよ」

「願いかぁ……」

「そうじゃそうじゃ、どうじゃった? 

「ラブレター? なにそれ……あ」


 言われて初めて、魔法を使う際に聞こえていた『声』の内容が蘇ってくる。


「じゃあ、あの意味の分からない言葉の羅列って……」

「意味が分からないとか言うなー」


 師匠は子供のように頬を膨らませて睨んできた。


「ご、ごめん……」

「儂の願いは『声』となってお主の願いを叶え続けてきたのじゃ。まぁそれもストックが切れてしまったがのう……」

「いや、すごく助かったよ。ありがとう」

「そう言われると少しは報われる」


 師匠は儚むような表情を浮かべて言葉を紡いだ。


「さて、これは永久とわに続く円環の物語じゃ……儂はここで終わりじゃが、お主はまだ繰り返すのであろう? 儂の様に、あの金髪が頑張ってくれた様に……」

「師匠、俺……やるよ。今度は一人で」


 師匠は俺の言葉に微笑んでくれた。


「お主ならできる。じゃが、気を付けよ? 運命は求めれば求めるほど遠ざかっていく。儂の様に『求めすぎて』小学生にならないように注意せよ」


 言葉は出なかった。

 俺の知らないところで、師匠は想像もつかないような苦難に悩まされていたのだろう。

 結果として遊佐アカリに全てを託したのだ。

 俺はそれを何も知らない。

 知らないのに、師匠の目を見ていると、目の奥が熱くなった。


「孤独で長い旅になるじゃろうが、まぁ、やれるだけのことをやってこい」


 師匠は言葉と裏腹に笑って見せた。

 俺もそれに笑顔で答えてあげたかった。

 だが、溢れ出る涙が師匠の姿を滲ませてしまう。


「う……ぐ……ごめん、師匠……俺は師匠に……君に何もしてあげられない……!」

「これ! 泣くでない! そんなんで他人を幸せに出来ると思うておるのか」


 涙に滲む赤髪の少女はゆっくりと、優しく、俺を抱きしめてくれた。


「このリングに願い続けよ……さすれば、お主が満足するまで円環は続くであろう……」


 師匠の温もりが霧の様に消えていく。

 あぁ、何度もこうして慰めてもらっていた気がする。

 温かくて、全てを肯定してくれて、一緒に居るとなんだか安心する。


「――ほら、泣かないで? 君の世界は希望に満ちているよ。彼女にもそれを見せてあげなさい」


 優しげな声で囁かれた。

 俺はずっとこの声に助けられてきたのだ。

 師匠が俺から離れて両手を広げ、白の背景に様々な色が浮かび始める。

 万華鏡の中にいるような幻想的な景色の中で、師匠は得意げに笑っていた。


「――私はいつまでも、三岳くんを愛しています。さぁ、行ってらっしゃい――」



 様々な記憶、願い、未来が目の前で目まぐるしく回っている可能性の世界。

 自分が自分で無くなっていくような喪失感を何度も味わった。

 どれもこれも絶望の人生。

 何度も幸せを目指した。

 何度も遊佐アカリと恋に落ちて世界を滅ぼした。

 セカイが俺たちを拒んでいるのを肌と心で感じた。

 彼女は死んだ。

 知らない誰かが描く身勝手で最高のハッピーエンドのために。



 繰り返される残酷な円環の中で……円環? ……―――違う。



 これは俺のセカイで、彼女のための世界。

 少しは暗い過去があったって良い。

 少しは怪我をしたって良い。

 少しは傷心することがあったって良い。

 ただ、彼女が生きて、生き抜いて、幸せに死ねればそれで良い。

 君が笑ってくれさえすれば、君が幸せを迎えさえしてくれれば、少しくらい世界が壊れたって良い。

 やり直しなんかじゃない。

 これは彼女と俺の新しい人生。

 これは彼女が望んだ俺との人生。


「抗うぞ……何度でも」


 二人が幸せになれるための『円環の果て』なのだ。


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