22.金髪JKとN周回って遅咲きの青春
「――ぱい? せんぱーい! もしもーし?」
コロコロと鈴のような声に呼ばれて覚醒する。
ぼんやりとオレンジ色に染まった教室が映し出されていく。
目の前にいる女子を除けば他には誰もいない、寂しい教室だった。
「あ、起きた……んもう! 人に計算式を教えるだけ教えて寝るなんて酷くないです?」
何やら怒られている。
丸みを帯びた夜色のショートカット。
仕草や輪郭はあどけないが、青みがかった瞳は見ていると吸い込まれそうになる魅力があった。
付け加えるなら、彼女の自信ありげな表情は生意気に思えた。
「あれ……えっと……」
自然と、彼女の顔見て浮かんだ名前を口にした。
「……カエデちゃん?」
「はい? って、何ですか、ちゃんって……からかってます?」
「あ、いや、そんな気は無いんだけど……妙に落ち着くって言うか……不思議と口に馴染んでいるというか……」
「なんか子ども扱いされてるみたいで嫌です。やめてくだい」
少女は頬を膨らませて不服そうな表情を浮かべた。
まだ意識がぼんやりとして彼女の話が上手く頭に入ってこない。
「というか時間は大丈夫なんですか?」
「時間?」
「……約束があるって言ってたじゃないですか」
「……」
少女は不思議そうに頭を傾げた。
約束……。
そう言われると何か引っかかるような、もどかしい気分になる。
「うん……行かなきゃ……」
俺は無意識に呟いて席を立った。
机の横に掛かっているカバンを持ち上げて、マスクを着ける。
何かに釣られるように体が歩いていく。
反射的に何かとカエデちゃんを天秤にかけて、消去法で動いていた。
「先輩っ」
そんな俺の背中に優しい声が降りかかった。
「ありがとう――助けてくれて」
少女はそう言って笑った。
よほど勉強に困っていたのだろう。
俺はそう思ったのだが、妙に胸が締め付けられる。
「またね、先輩」
「うん……また」
誰もいない昇降口から出て、吹奏楽部の乱雑な演奏を聞きながら住宅街へと入っていく。
背後から冷たく吹きすさぶ風に身震いしながらも視線は上へと向かった。
秋晴れの空、夕焼けと夜の境界線の下を歩いている。
幻想的で、まるで自分が住んでいる世界では無いような錯覚を覚えた。
「ん?」
ふと、ポケットの中に何か入っていることに気が付く。
赤い円状の石細工。
だが、一部が欠けてしまい、完全な円ではなくなっていた。
「……」
見覚えなんて無いのに、なぜか手放したくなかった。
ずっと大切にしていた気もするし、そうじゃなかった気もする。
俺が石細工の美しさに見惚れていると、視界が優しく暗転した。
「だーれだ」
大人っぽく、艶やかで悪戯な声が耳元で囁いてきた。
聞いていると鼓動が早まるが、どこか懐かしさも覚える不思議な声。
俺は静かに息を吐きだして、手の中にある石細工をポケットの中へしまい込んだ。
「……えっと、ミサキ……先輩?」
「お、ご名答」
目元から離れていく手を追いかけるように背後へ振り向く。
黒髪をウルフカットにした女性が立っていた。
マスクで顔の下半分が隠れているが、彼女から溢れ出る美人オーラは輝いている。
「今日は随分遅いお帰りだね」
「……後輩に勉強を」
「へぇ、優しいじゃん」
「優しい……んですかね、俺」
ミサキ先輩は俺の肩を叩いて隣に並んだ。
「今日の拓哉くん、なんか捻くれてない? ヤな事でもあった?」
「そうですか?」
「うん、いつもと違って覇気がないよ? なにかね? 青春疲れかね?」
ミサキ先輩はそう言って俺の顔を覗き込んできた。
そんな気もするし、そうじゃない気もする。
ハッキリとした返答が思い浮かばない。
「……うーん……違うなぁ」
「え?」
「心ここにあらずって感じ。なんか屈辱的だなー、私、見た目には自信があるので」
「そんなこと言ってるから、反感を買うんですよ」
「ふふっ、冗談だよ」
ミサキ先輩と並んで歩いていると不思議と安心できる。
まるで自分のしていることが全て肯定されているかのような自身さえ沸いてくる。
住宅街を抜け、ミサキ先輩と共にバス停の前で止まった。
ベンチに腰を掛け、暗くなっていく空を眺めながらバスを待つ。
肌寒い風が頬を掠めていく。
この感覚がなんだか懐かしくて暖かい。
「そーいえば、修学旅行、残念だったね。中止とはついていないな、君」
「まぁ……」
「私も最後の体育祭潰れたし、青春が減っていくねぇ。大人になった時、思い出す記憶が無いのってどんな気分なんだろう……やっぱり悲しいのかな」
ふと、ミサキ先輩の横顔を見た。何かを懐かしむような遠い目をしている。
「でも、拓哉くんはまだ間に合うでしょ?」
「え?」
「まだ、青春が残ってる」
「……ミサキ先輩、俺――」
駆けつけたバスが俺の声を攫った。
「来たね、行こっか」
ミサキ先輩は立ち上がって優しく声をかけてくれた。
何をすればいいのか分からない俺に道を示すように。
俺の幸福が自分の幸福であるかのように。
「ごめん……ミサキ先輩、俺は乗れない」
「……そう」
ミサキ先輩の笑顔は崩れない。
だが、少し驚いた感じはした。
自分でも彼女の手を取らない理由に自信は持てない。
だけど、これは違う気がしたのだ。
「ずっと、待たせている人がいるんだ」
「そっか、じゃあ早く行ってあげないとね……一人で行ける?」
「うん、一人で……今度は一人でやってみるよ」
「そっか、君なら大丈夫だよ」
ミサキ先輩が優しいことは知っていた。ずっと知っていたはずなのに、ミサキ先輩の言葉を聞くと泣きそうになった。
奥歯を噛みしめて必死に目の奥から迫りくる熱を押さえつける。
「それじゃ、私はここで」
ミサキ先輩の足がバスに乗った。
「じゃあね、拓哉くん」
「うん、ミサキ先輩……また」
また明日……なんて甘い言葉はいらない。
きっとまた好きになってしまうから。
心配なんていらない。
きっとまた、立てなくなってしまうから。
微かな夕日を頼りに歩いた。
街灯の明かりが点き始め、街はすっかり夜の装いになった。
だが、まだ陽の光は届いている。
交通量の多い道路を抜け、ただひたすらに夜へ向かう街の中を歩いた。
ニ、三〇分歩いた辺りで息苦しくなり、マスクを顎へずらす。
何を求めているのか自分でもはっきりしないのに、俺の無意識はどこかを目指している。
目に映る全てにここじゃない、ここでもない……と心の中で迷いながら。
ポケットの中にある石細工が俺を導くままに。背中を押してくれるままに。
「……あ」
有刺鉄線で囲まれた平坦な空き地を目の前に足を止める。
足を止めた理由は、『非日常』が落ちていたから。
ナイフと拳銃。
これらは空き地の入り口に無造作に転がっていた。
そして――彼女を見た。
まるで、一足早く登った月のように光り輝く金髪。
有刺鉄線の向こう側で空を見上げるその姿は何よりも美しく、何よりも自由だった。
俺は有刺鉄線を掻い潜って空き地の中に入った。
指は切れたし、制服にも傷がついた。
でも構わない。
ただひたすらに押し寄せる充足感を前に、身体が勝手に走ってしまったのだ。
「あの!」
言葉なんて出てこなかった。
ただ、彼女に振り向いてほしくて、喉を鳴らしただけだった。
金髪の彼女は振り向いて俺の顔を見つめてきた。
「君は……」
驚いた表情を浮かべた後、限りなく無表情に近い笑顔を咲かせる。
「……遅すぎ」
声が耳に届いた、顔を見た瞬間から、得体の知れない達成感が胸を満たしていき、視界がぼやける。
彼女の髪が、彼女の瞳が、彼女の笑顔が、彼女の声が、彼女との思い出が目の前に輝きを放ち、消えていく。
彼女に殺されかけたのはいつだったか、彼女と箱根に行ったのはいつだったか、彼女と花火を見たのはいつだったか……彼女に恋をしたのはいつだったか……。
「ごめん……でも、ずっと会いたかった」
「うん」
「ずっと探していた」
「うん」
「ずっと話したかった」
「うん!」
「ごめん……こんなに……待たせて……!」
理由なんて無いのに、熱い想いが目の奥から溢れ出して止まらない。
悲しいのか嬉しいのか悔しいのか……どれが本物の感情なのか分からない。
いや、どれも本物だ。
もっとずっと彼女の姿を目に焼き付けていたいのに涙が邪魔をする。
もっといっぱい彼女と話したいのに喉に力が入らない。
「私も、会いたかった」
彼女の声は俺の心にポツンと落ちてじわじわと温めてくれた。
顔を上げた。
清々しいほど綺麗な彼女の笑顔に涙が伝っていく。
「ねぇ……三岳拓哉……ううん、拓哉……」
星が現れ始めた夜空を背景に、微かな夕日が彼女の金髪を輝かせている。
まるで写真の様に時が止まっているようだった。
「――私を愛してくれるか?」
彼女の唇から、乾いた空気へ言葉は生み出された。
あぁ……今、完成した。
生え際から毛先にかけて濁りの無い金色に光り輝く髪の毛は夜風に揺れ、神々しさと儚さを併せ持っている。
これから何度でもこの超次元的な美しさに心を奪われるのだろう。
「もう、泣きすぎ……だよ……!」
長い目で見れば些細な変化なのかもしれない。
この出会いがこれから先、幸福をもたらすのか、不幸の始まりになるのかは分からない。
多分どっちでもいいのだろう。
「うん……うん……!」
俺はこの言葉を伝えるためにここまで来た。
人類は今日という青春を失う。
そして俺は失われた青春を取り戻すのだ。
「あぁ……何度でも、どんな人生でも、君を愛し続けるよ――
金髪JKと一周回って遅咲きの青春 取内侑 @toriuchi_yu
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