20.三岳拓哉と魔法使い
耳鳴りに聴覚を塞がれている。
手足は自分のものだと認識できる。痛みも無い。
「……ここは」
目を開けると、そこは俺の部屋だった。ソファの位置もテレビの向きも冷蔵庫に張られたマグネットも全て俺の部屋の物だ。
ただ、色が無い。まるで白黒映画の中にいるような奇妙で寂しい感覚だった。
「はぁ……」
寒い。
俺の口から吐き出される白い息が寒さを物語っている。
だが、依然として俺の手の中に握られている赤いリングだけは色と熱を放っていた。
身体が動くことを確認しながら玄関から家の外に出る。
「なんだ……これ」
俺の知っている本厚木の街。俺の知っている建物、俺の知っている道。
全て色を失い、寂れた悲しさがあった。
マンションから出て街を歩く。人の気配は無い。路上に停まっている車はつい先程乗り捨てられたかのように真新しかった。
まるで一時停止されたような世界。
「レヴナント……?」
本厚木駅前の商店街、見知った道を首の無い巨人が左右に規則正しく行進していた。
まるで人類をマネしているような君の悪さを感じる。
俺や周囲の物には一切干渉せず、ただひたすらに流動している様は皮肉にも人類に酷似していた。
『まぁ、来るとは思っていた』
「……」
俺の背後、黒外套を纏ったもう一人の俺――三岳拓哉がそこには立っていた。
不思議と怒りは無く、いたって穏やかな気持ちだった。
『どうだ? これがもう一つの結末の世界だ。と言ってもお前には分からないだろうけどな』
「あぁ、さっぱり分からない。なんだこれ」
『方法はどうあれ、垣根を越えた褒美だ。少しは話してやる』
男は気色の悪い笑みを浮かべていった。
「はぁ……これ自分の顔なんだよな……」
なんだか、心底嫌になる。
『俺は遊佐アカリを愛していた。だが、運命がそれを許さなかった。戦争、災害、疫病……様々な要因が俺たちの愛を阻んだ』
「あぁ……なんとなく分かる気がするな」
『お前は世界を滅ぼしてでも彼女を愛する覚悟はあるか?』
「あー……今は自信ないな」
男は無表情で言葉を続けた。
『俺から彼女を奪うのはいつも強欲な人間どもだった。人の欠点は会話が出来ることだ。人の欠点は嘘を吐くことだ。人の欠点は夢があることだ。ならば、誰もが誰も必要としない完全な個の世界を創ればいい……俺は世界を滅ぼして彼女が幸せになれる世界を創り出した』
自ずと、俺の視線は周囲を進むレヴナントへと向けられた。
「だから頭が無いのか」
頭が無ければ、話すことも、聞くことも、考えることも出来ない。
すべてを奪われた人類の成れの果て、それがレヴナント。
『貧富も差別も争いも脅威も無い……全てが安寧に包まれた完全無欠の世界だ。これが俺の出した結論……』
「なるほどな」
完全に理解できないわけでは無い。あの男はもう一つの結末なのだ。
もし、遊佐アカリに協力して日下部に対して実力行使をしていたら、もしあの時、遊佐アカリのために日本を、世界を敵に回していたら、同じことを考えたかもしれない。いや、考えた。
だからこそ、あの男が犯した失敗が分かる。
「で、遊佐アカリはこの世界を拒んだんだろ」
『あぁ、中指を立てられて、完膚なきまでに振られたよ』
「お前のせいであいつに殺されかけたんだぞ、謝れ」
男は鼻で笑った。
『結果としてお前の世界を消したのは俺だが、これもある種の結末だ。理不尽に思うかもしれないが』
「まったくだ」
『……随分余裕だな、俺を殺したいと思わないのか?』
「そりゃー思ったさ。だけど話を聞いて、少し共感しちゃったから、別に殺したくはない。結局、お前は俺で、一歩違った道を行っただけなんだなって。それだけで俺とお前は違う人間になったんだって」
遊佐アカリがいて、ミサキがいて、師匠がいた。誰かが欠けていたらどうなっていたのか想像できる。
「……あ、そうだ、あともう一つ、ミサキはどうなる?」
『どうにもならないさ、お前はミサキと結ばれる運命を拒んでここに来た。捨てられた世界は消えゆくだけだ』
「そうか……」
『残念に思うか? 遊佐アカリの代わりに用意した好意対象者が消えることが……それが仕組まれていたものだったとしても』
「仕組まれてた、か……好きだったよ。何回も告白しかけた」
男は勝ち誇った表情をしている。無性に腹が立つが、自分だからこそツボを正確に抑えられるのだろう。
だが、彼女に救われたのも確かだ。たとえ、誰かに仕組まれた存在であっても、俺の人生に坂本ミサキはちゃんと実在していたのだ。
「……でも、また会える気がする」
『浮気か?』
「違う。ミサキは俺にとって恩人であって一番大事な友達だったんだよ。だからこれからもいてもらわなきゃ困る」
『生活と命を支払ってでも守るくらいには……か。にもかかわらず、三岳拓哉は不完全であっても遊佐アカリを選んでしまうのだな』
「バカだよな」
『自覚ありか』
男は呆れた笑みを浮かべた。
『これからどうする気だ』
「知らん。このまま進んでみて、お前の挫折を無かったことにしてやるつもり」
『それは頼もしい』
「お前こそ、どうするんだ? ずっとここに居る気か?」
『俺がここから出たら、もっと酷いことになるぞ』
「あ、じゃあここに居てくれ」
『ふっ、クソガキが』
ふと、手の中のリングが再び熱を持っていることに気が付く。どうやら時間が来たらしい。
自分と話す機会なんて普通は無いだろう。意外と楽しかった。
「……もう行くよ、邪魔したな」
『いや、面白かった……お前のような俺も生まれるんだな』
男は踵を返してレヴナントの群れの中へ入っていった。
リングに意識を集中させ、自分の想いで頭の中を満たしていく。
「行こう、師匠」
瞬きをすると、耳鳴りと共に景色が移り変わる。
「ここは……」
今度は見覚えの無い街が姿を現した。
色が無いのは変わりないが、道は横に広く、辺りを大きなビルが囲んでいる近代的な街。
だが、地面の至る所からは煙が噴き出し、ゴミと化した新聞紙が散らばっている。
「何と言うか……アメリカン?」
と言うのが俺の感想だったのだが、看板の文字を見る限り、正解らしい。
知らない街に興味を持ちつつ、あてもなく歩いた。
「っと……」
ビルとビルの間。道とも言えない路地で金髪の彼女はうずくまっていた。危うく通り過ぎてしまうところだった。
薄汚れた金髪。最低限の布切れのようなお粗末な服を着た幼い少女。
「遊佐アカリか?」
「いや、今の彼女に名前は無い」
「うおっ! びっくりした!」
まるで瞬間移動でもしてきたかのように、俺の知る遊佐アカリが現れた。
思わぬ再会につい抱きしめそうになったが、遊佐アカリの物憂げな横顔がそれを拒んだ。
「何もしない、それが一番安全だと思っていた時だ」
再会の喜びを分かち合うわけでもなく、遊佐アカリは淡々と話し始めた。
自ずと、俺の視線は幼い彼女へと戻る。
失礼な感想だが、見れば見るほど救いが無く、今にも朽ち果てそうな見た目をしていた。
「これ、何なんだ?」
「私の記憶」
「なんで俺はそれを見せられてんの?」
「ん? お前が私を望んだんだろ?」
そう言われると否定しきれない。
と、俺が軽く論破されかけたところで、幼い金髪の少女に背広の男が歩み寄る。
「――君、僕と来るかい?」
男はうずくまる金髪を見下ろして静かに呟いた。
「……あれ、日下部か?」
遊佐アカリが視界の端で首肯した。
「毎回、遊佐アカリの人生はここから始まるんだ」
「そっか……」
深く詮索する気は無い。ただ、少し悔しい気持ちになる。
と言っても、今の彼女と俺が出会ったところで、何かできる自信は無い。
「次に行こう」
「次?」
――場面が切り替わった。
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