乾杯しよう!
波の音を聴いていた。あたりは仄暗く、モールの明かりが際立ってきた頃だ。私はそろそろお暇しようと思った。そういえば、カードを破って汽車を呼ぶ寸でのところでクッキーと再会したのだ。
「そろそろ――」
ぐぅ。
盛大に鳴った。クッキーが何か言いかけたところでだ。というか、彼女との出会いから私は自分を情けなくさせる天才だろうか。
「お腹、空いてるの?」
クッキーが笑いを堪えて聞いてくる。もういっそ豪快に笑ってほしい。
「うん……」
潔く答える。耳まで真っ赤なのがわかる。
「夕飯、御馳走するよ。それでさ、よかったら泊っていきなよ」
思ってもみない提案だった。
彼女は立ち上がって私の手を取った。私の返事なんてこれっぽっちも待っていなかった。浜を踏みしめて彼女が歩きだす。私も後ろに続いた。もちろん断る理由はなかった。なんだ、そういうことなのか。となんとなく私の中で符号が一致したような気がしたのだ。
汽車は、私の行きたいところへ、私の行くべきところへ。きっとそういうことなんだ。私はクッキーとやり直しがしたかったのかもしれない。
「家、近いんだ。すぐそこ」
クッキーは寂れた住宅街のあたりを指差した。どれかはわからないが、すぐそこに見えている住宅街のどれかがクッキー宅らしい。
「クッキーはモール住みじゃないの?」
こういう地域では、モールに集まって過ごす人の方が圧倒的多数だ。
事実、背を向けてしまったが、超大型のモールがこの町にはある。
「実家に一人で住んでるの。両親はモールで過ごしてるけど」
クッキーの家庭もいろいろあるみたいだ。
「父も母も、みんなでいる方が落ち着くとか言うけど、私はそうじゃないからさ」
人並みと言ってしまえばそうなのかもしれないが、このクッキーの考え方があったからこそ、私たちは、学生時代――とは言っても彼女はまだ学生だが 友人たりえたのかもしれない。そんなことを思った。
「クッキーのそういうところ、好き」
「なにそれ。褒められてなくない?」
「褒めてるよ。めっちゃ褒めてる」
なんておしゃべりをしている内にどうやら着いたらしい。クッキーが青い屋根のアパートを前にして「ここ」とエントランスを潜った。私も後に続く。埃っぽく、カビ臭い。随分草臥れている。共用地の廊下を進み、102のプレートがかかったドアの前で立ち止まった。旧式の鍵をガチャガチャと音を鳴らしながら開けると、クッキーが扉をひらいて、私を中へと促した。
「どうぞ」
クッキーに促されるまま靴を脱ぎ中へと入る。外見は人が住める場所なのだろうかと思えるほどに寂れていたが、中に入ると存外、快適そうだ。
一番に、心地の良い木々の香りが鼻を掠めた。玄関と一続きのリビング、魔法光と思われる灯りが、宙にいくつも浮いている。一つのダイニングテーブルを囲むように、ソファーが一つと椅子が二つ置かれていた。ソファーの上には、ふんわりとしたクッション。テーブルの上には、キャンドルが炊かれてる。良い香りのもとはこれだろうと思った。奥にあるキッチンは生活感が溢れていた。おたまが入ったままのミルクパンが目に入った。
「適当に座って」
そういう彼女はどこか楽しそうだった。私も胸が高鳴っているのがわかる。私は椅子の一つに腰かけようとした。
「遠慮しないでよ。ソファーにしなよ」
「あ、じゃあ遠慮なく」
浜に座っていたときとは違う。身体の芯から力が抜けていく気がする。
クッキーはキッチンに入って、ミルクパンを温め、棚からバゲットと、グラスを二つ出した。
「私たち、もう飲めるようになったんだよね」
確かにそうだ。私たちはもう禁酒の制限が解かれる年齢になっていた。
「乾杯しよう!」
クッキーが高らかに言った。
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