アイストト

アイストトの楽しい一日が始まる。

 汽車から降りると六月末のぬるい潮風と朝日が私を迎えてくれた。ホームを支える柱には、「海と暮らす町アイストトへようこそ」と書かれた青色が鮮やかなポスターが張られている。汽車を振り返る。わざわざ列車から降りて、送り出してくれたのは、神業の店主だ。


「どうしたのさ。行かないの? ここにきみのすべきことがあるのさ」

「すべきことってなんですか?」

「それは私にきかれても困る。なにせ、私はきみじゃないからね」


 店主が肩をすくめる。


「あの、ここまで運んだのは店主さんですよね?」

「だーかーらー、私は運んでないの。きみが行きたいと思ったからここに辿り着いただけ。私の意志じゃなーい!」


 店主が投げ捨てるように言い放った。ぜんぜんこれっぽちも理解できない。だが、これ以上この話をしても意味がないということもなんとなくわかった。


 それでも、もう一つだけ聞くべきことがある。


「帰るときはどうすればッ!」


 これに尽きる。いざ帰りたくなったときはどうすればいいのか。


「大丈夫さ。きみが必要になれば、この汽車は必ずやってくるよ」

「どこに?」

「どこでもさ」


 なんなんだ。まったく信用できない。


「ほんとですか?」


 念を押す。


「ほんとさ」


 彼女は私と一向に目を合わせようとしない。

 沈黙。疑いの目を向ける。


「あ、信じてないな。わかった。わかったよ。じゃあ、どうしようかな。これ! これを渡しておくよ!」


 店主は自身のズボンのポケットから、小さなカードを渡してきた。片面は白紙。もう片面は白の背景に目の前の汽車が、そう。ここまでやっきた汽車が描かれていた。紙を触ると、和紙のような少しごわっとした手触りとかすかに魔力を感じた。


「汽車を呼びたいときはこのカードを破いてよ」

「破くんですか?」

「そう。破くんです。ビリっと! 豪快に!」


 店主は紙を破くジェスチャーをしてみせる。これで、帰りの心配はしなくてよくなった。のだろうか? いや、これは信じるしかないだろう。

 汽車が警笛を鳴らす。その音は出発を告げる合図だったのか、彼女は車両へと駆けこむ。


「じゃ! そろそろ行くよ」


 汽車が動き出して、ここまで来たレールを逆走するように戻っていく。

 店主が窓から顔を出して、大袈裟にこちらに手を振ってきた。「またねー!」と大声で言う彼女はまるで子供のようだった。私はそれに小さく手を振り返した。


 一人残された私は何もわからない。ここで何かをするのだ。何をするのかわからないけど。


 無人駅で私以外に利用者はいないようだ。改札は機能していない。これではお金が払えないではないか。無賃乗車はあまりいい気分がしないが、そもそも正規にここの線を走る列車を使ったわけではないのだから、改札にお金を落とす理由がない気がする。そのまま改札を抜けた。


 駅からまっすぐ伸びるメインストリートに人の影はない。ストリートはモールに向かって伸びていた。あそこなら何かはあるだろう。


 私はモールに向かって歩き出した。

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