第29話 不思議な老人
少年が街に戻ると、街の皆も優しく迎えてくれた。
一足先に街に戻った妹の恋人が、皆に知らせてくれていた様だった。
街の皆は、戻らない少年を心配し
「もしかしたら駆け落ちでもしたのではないか」
と噂をしていた様だった。
駆け落ちをする理由など、何処にも無かった少年は大笑いをして
その後、皆に頭を下げた。
以前に、村の神社の補修作業を手伝ってもらった仕事仲間にも会った。
皆はやはり、少年が狐に騙されて何処かに連れて行かれてしまったと思っていた様だった。
少年はそこでも笑って、心配をかけた事を詫びた。
自分が開けてしまった三ヶ月程の期間に、妹の恋人が仕事をこなしていてくれた事に感謝をしつつ
少年はその間に溜まっていた、自分にしか出来ない仕事に取り掛かった。
行く先々でも、少年の顔を見て皆が喜んでくれた。
少年は、こんな自分を皆が心配して、必要としてくれていた事に幸せを感じていた。
自分も家族も気付かなかったが、街の皆は口を揃えて言っていた。
少年は元々痩せていたが、更に痩せた否、雰囲気が変わった様だった。
何よりも、目付きが鋭くなったと言われた事が多かった。
それ故に、嫁の実家に行って、相当キツい鍛錬の類いを積んで帰って来たのかと聞かれた。
少年は笑いながらも、当たらずも遠からずの体験だったので、否定はしなかった。
凡そ三ヶ月ぶりの仕事で少年は、自分自身の変化にも気付いた。
身体が軽くなった分、力が減った事を心配していたが、力は以前より増していた。
そして、音と匂いには敏感になっていたが、視力が若干衰えていた事を実感していた。
冬の寒さも懸念していたが、スイの縫ってくれた襟巻きがとても役に立っていた。
街に戻って数日が経った晩に、妹の恋人と材料問屋の主人他、複数名と酒を呑んだ。
皆が祝福してくれていたが、少年は以前より酒が呑めなくなっていた。
それでも少年は嬉しく、楽しかった。
問屋の主人も、妹の恋人を大変好いている様だったし
彼は妹と近々結婚して、この町で住む予定だと言っていた。
少年は、大変嬉しい報告も聞けて幸せだったが、実は上の空だった。
皆が酒で盛り上がれば上がる程に、孤立していた。
否、人の声が耳に入って来なかった。
これまでの事を、ただただ、考えていた。
妹の恋人がたまに心配して、少年の肩を叩いた。
少年はそれに気付くと、笑って大丈夫だと言った。
問屋の主人や周りの人間もそれに気付き、少年を気遣って今日は早く帰る事を勧めた。
少年は皆に頭を下げて店を出た。
久しぶりの繁華街を、少年は一人歩きながら思っていた。
あの山で見た狐火は、この場所の、この何とも言えない心地の良い光景にも似ているし
それを演出していたのが狐たちだった事が、無性に愛くるしく思えて
その後は何故か、一人おかしくなって笑みを浮かべていた。
繁華街を歩いて自分の家に帰っていると、少年は誰かの視線を感じた。
ずっとこちらを見ている気がした。
繁華街では、音や匂いが入り混ざり、聴覚と嗅覚は麻痺していたが
その視線は一直線に自分に向いて居るのを悟った。
少年は、山での経験で「音と匂い」には敏感になっていたが、視力はやはり衰えていた。
人は五感の何かが著しく長ければ、その分別の感覚が鈍るのだと自負していた。
しかし今は、その先の「第六感」
否、「動物の感」が少年を何かに辿り着けるかの如く、身体を動かしていた。
自分に向いている視線と、ほんの微かに感じる匂いを辿り、視線の向いている方に向かった。
やがて、その視線の元が分かった。
繁華街の、とある店の外の椅子に、一人の老人が座っていた。
近づくと、老人は全くこちらを見てはいなかった。
ただ、近付いた事で少年は悟った。
「あの匂い」がしていた。
少年は老人の前に立ち、会釈をして隣に座った。
老人は終始黙っていたが、やはり「石の狐」と同じ匂いがしていた。
二人は会話も無く、沈黙の時間が長れた。
その後、驚く事に老人は小さな「か細い」声で「酒が呑みたい」と言った。
その意外な老人の言葉は、少年には何故か、スイが祭りで放った言葉と覆い被さった。
少年は老人を連れて、腰掛けけていた場所の居酒屋に連れて行った。
老人は運ばれて来た酒を、ゆっくりと少しづつ、口に流し込んだ。
少年も同じ酒を頼んで、自分も老人と同じペースで呑みながら、横目で見ていた。
まるで残像かやまびこの如く、老人と合わせて酒を呑んでいる自分が面白くも思えた。
そして少年が言葉を発する刹那、老人が言った。
「血が濃くなった」
少年は自分の事だと察したが、然程驚かなかった。
老人はこの町で、ずっと自分を知っていると思っていた。
今まで自分が気が付かないだけだと自負していた。
少年は単刀直入に言った。
「私も匂いで察しました」
老人も、少年の発した言葉には何の変化も無く、ただただゆっくり酒を呑んでいた。
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